海外派遣スタッフ体験談

救えなかった患者を忘れられない 産婦人科医として命に向き合い続ける

2018年06月28日

伊藤 まり子

職種
産婦人科医
活動地
南スーダン、アフガニスタンなど
活動期間
2003年~

2003年から15年間にわたり、国境なき医師団(MSF)の現場に立ち続ける伊藤医師。「産婦人科医として、妊娠や出産で命を落とさないように一人でも多くの女性を助けたい」と話す。さまざまな国で命の誕生と終わりを見つめ、大切にしてきた思いとは。

参加のきっかけ 日本とは異なるお産事情

日本の産婦人科では、危険があれば大病院へ搬送しますし、死亡事故も少ない。ところが、途上国では出産・妊娠で毎日800人(※)が亡くなっている。その事実を知り、「広い世界を見たい」と国際医療援助に足を踏み入れました。医師になり10年目の頃です。
 
現場に赴くと、本当に多くの妊産婦が命を落としていました。死亡率が高いのは、来院が遅すぎるのも一因。病院が遠かったり、交通手段がなかったり……イスラム教の国では夫の許可がないと外出できない、治療を受けることができないケースもありました。どんなときに病院へ行くべきか、という知識に乏しいことも理由の一つです。それは社会環境が原因であって、妊婦に罪はありません。
 
日本では母子ともに救うことが大前提ですが、MSFでは母体が最優先。母親が生きていれば、また子どもは産める。医療環境が整っていないなかで、優先順位を考えなければなりません。 
 
また、MSFのガイドラインでは、帝王切開はなるべく避けるようにとあります。子宮を切ることで、次のお産で子宮破裂のリスクが高くなるためです。途上国では、多産が母親のステータス。その後の出産で近くに病院があるとも限りませんし、家族が病院へ行くことを許してくれるかも分からない。医療施設が整っており、子どもを2~3人しか産まない日本とは状況が違うのです。

※出典:UNFPA(国連人口基金)

現場での活動 MSFの現場で世界基準の医療を学ぶことも

南スーダン・アウェイルの宿舎(トゥクル)の前で仲間たちと
南スーダン・アウェイルの宿舎(トゥクル)の前で仲間たちと
2003年に行ったスーダン南部(現・南スーダン)は、「これぞMSF」という環境でした。宿舎はテントでシャワーは水。診療所もテントやトゥクル(伝統的な茅葺小屋)で、雨が降ると壊れて、ロジスティシャンが直してくれました。それまで途上国へ旅行することはあまりなかったので戸惑いもありましたが、不便な生活のなかで電気や水のありがたさを実感しました。
 
仕事も大変でした。専門の産婦人科だけでなく、一般の患者も診たからです。マラリア、破傷風、髄膜炎など、日本で診たことのない症例も多かったです。麻酔薬を打って、膿を切って出して……と、マニュアルを見ながら実践で覚えましたね。他の活動地では、日本で経験したことのなかった子宮破裂の手術をしました。次第に度胸がついて、医師としての幅が広がりました。
 
妊産婦死亡率の高いアフガニスタンに3回行きました。2017年に活動した首都の病院はとても忙しく、1日30件以上のお産がありました。日本で勤務している病院では月に25件ほどです。地元の助産師は、みな経験豊富。触診だけで胎児の位置などを診断します。分娩の途中で異常があれば医師が呼ばれますが、正常分娩の場合は助産師が介助していました。
 
日本の産婦人科では、世界標準のプロコトルが認められていないこともあります。例えば、流産処置、分娩誘発、産後の出血に使われるミゾプロストールという薬は、日本では保険適応外で使用していません。MSFはWHOスタンダードを採用しているため、このように日本で取り入れていない治療法を活動地で経験でき、学ぶことも多々あります。

チームワーク 仲間が支えてくれたから、乗り切れた

仲間との会話が日々の癒しに
仲間との会話が日々の癒しに
残念ながら、命を救えないこともあります。最初の頃は、患者さんが亡くなると「自分の手術の何がいけなかったのか」「どうすれば助かったのか」と自問自答していました。そんなときには誰かがやってきて、「あなたが悪いのではない」と慰めてくれました。「これが彼女の運命だったのだから」と。悲しいときは仲間が一緒に泣き、楽しいときは一緒に笑ってくれました。
 
活動中の写真に写った自分を見ると、「日本ではこんなふうに笑わないな」と思うことがあります。周りに支えてくれる仲間がいるからでしょうか。同僚とは朝から晩まで一緒なので、家族のように仲良くなります。彼らの存在があったので、今までやってこられました。

今後の展望 亡くなった命のためにMSFの現場に立ち続けたい

MSFに興味があっても、参加が難しい人もいます。私も以前は病院を辞めて参加していましたが、今の職場は理解があり、長期休暇を取って活動しています。恵まれた環境なので、行けない人のためにも自分がやらねばと思っています。体が動く限りは続けたい。そのために日本でもジムに通い、体力づくりを日課にしています。
 
活動を続けるのは、亡くなった患者たちのため。多くの妊婦がこの世を去り、その家族が泣いてきました。そうした人を少しでも減らしたい。救えなかった人のことは忘れることができません。

キャリアパス

1991年
浜松医科大学卒業
2003年
MSF 初回派遣でスリランカへ
2003~2017年
MSF スーダン、パキスタン、ウガンダ、リベリア、スリランカ、アフガニスタン、ナイジェリアなど計14回の派遣を経験
2012年~
聖隷沼津病院 産婦人科医長

この記事のタグ

関連記事

職種から体験談を探す

医療の職種

非医療の職種

プロジェクト管理の職種

活動地から体験談を探す

国・地域