海外派遣スタッフ体験談
原点は祖父母の戦争体験──内戦が続くイエメンで、産婦人科医として命に向き合う
2023年06月23日濱川 伯楽
- 職種
- 産婦人科医
- 活動地
- イエメン
- 活動期間
- 2021年4月~8月、2022年8月~12月
出身地の沖縄の病院で約12年勤務し、2020年から国境なき医師団の医療援助に参加。これまでにパキスタンとイエメンで活動した。幸せな笑顔に出会えることが産婦人科医の魅力。
「戦争中のじいちゃん、ばあちゃんみたいに苦しんでいる人が」
国境なき医師団(MSF)を目指したのは、祖父母の影響を大きく受けています。祖父母は子どもの頃に沖縄戦を経験し、戦時中と戦後の苦しい時代を過ごしました。
当時、必要な時に医療を受けることができず、祖父の母はマラリアと産後熱で亡くなったそうです。病院に行けたらもっと生きられたかもしれないのに……と子ども心に印象に残っていました。
当時、必要な時に医療を受けることができず、祖父の母はマラリアと産後熱で亡くなったそうです。病院に行けたらもっと生きられたかもしれないのに……と子ども心に印象に残っていました。
その後小学校の授業で、医療の届かない場所で活動するMSFの話を聞いた時、祖父母の話が重なりました。「戦争中のじいちゃん、ばあちゃんみたいに苦しんでいる人が世界にいる。いつか自分が助けたい」と感じた思いが、私の原点になっています。
そして、高校生の時にアメリカで語学留学した際のホストファミリーから、ボランティア活動や人道援助活動の素晴らしさを学びました。この出会いが、医師になってMSFを目指そうと心に決めるきっかけになりました。
危険な状態で運ばれる妊婦さん
日本の病院での勤務を経て、ついに2019年にMSFに登録。初めての派遣は2020年にパキスタン、2回目は2021年にイエメン、そして2022年に再びイエメンへの派遣となりました。
2021年と2022年に活動したイエメン・アブスの病院では、多い時で月1000件以上の分娩がありました。私が働いてきた沖縄では、年間分娩件数が最も多い病院で月100件~120件程度なので、アブス病院の分娩数はとてつもなく多い数です。
私は産婦人科医として診療や手術などを行うとともに、現地の医療スタッフの指導に当たりました。毎日のように重症例があり、臍帯脱出や胎盤早期剥離という緊急で危険な状態で運ばれてくる女性が少なくありません。妊婦さんがけいれんや意識障害を起こす子癇発作(しかんほっさ)は、私が日本で10年間産婦人科医をしてきた中で診たのは数件ほどでしたが、イエメンでは毎日のように直面しました。
子癇発作が起きてしまうのは、低栄養な状態の妊婦さんが多いということ、近くに病院がなかったりお金がなかったりするために、妊婦健診を受けることがほとんどないのが大きな理由の一つです。また、自宅出産が多いなど、社会的な背景も母子の健康に大きく影響していました。
苦しむ仲間を決して一人にしない
これほどの規模ですが、対応する産婦人科医は多い時で3人、少ない時は私しかいません。自分の判断が大きな意味を持つことにプレッシャーを感じることもありました。
患者さんは症状が進んでから、病院まで何時間もかけて運ばれて来ることが多く、到着時にはかなり悪化していることが少なくありません。手を尽くしても命を救うことができず、悔しく、落ち込んだこともありました。
そんな時に現地のスタッフが、「ハク、あなたはできることはやったよ。あなたのやっていることは少しも間違っていない」と励ましてくれたことが忘れられません。難しかったケースはチームで次の対策を話し合い、つらい思いのスタッフを決して一人にしない雰囲気がありました。そんな同僚たちに精神的に支えられました。
そんな時に現地のスタッフが、「ハク、あなたはできることはやったよ。あなたのやっていることは少しも間違っていない」と励ましてくれたことが忘れられません。難しかったケースはチームで次の対策を話し合い、つらい思いのスタッフを決して一人にしない雰囲気がありました。そんな同僚たちに精神的に支えられました。
患者さんに支えられたこともあります。命を守るために、子宮を取らざるを得ない患者さんがいました。イエメンのような多産社会で、今後子どもを産めなくなる彼女の人生がどうなるのかと心配で、申し訳ない気持ちになりました。しかし手術の後、患者さん自身が「命を救ってくれてありがとう」と私の手の甲にキスをして感謝を伝えてくれたのです。申し訳ないという気持ちと、医者の仕事をしていて良かったという気持ちの両方を感じた瞬間でした。
イエメン人スタッフの願い
内戦が長く続くイエメンでは、前線の近くでなくても紛争の影響を受けて困難な状況が続いています。それでも彼らは希望を持って生きています。2021年の活動の帰国前日に手術室のスタッフと交わした会話が印象的でした。
「ドクターは日本に戻ったら、家族や友達にイエメンのことをどう伝える?」
「とても良い国だったと伝えるつもりだよ。イエメンの人たちはすごく優しくて、仲間思いで、食べ物もおいしいって伝えるよ」
「ドクターの家族と友達に伝えて。イエメンの内戦が早く終わって、僕たちに自由が来るように祈ってほしい、って」
彼の切実なお願いに胸がいっぱいになりました。
戦後の沖縄で、必要な医療を受けられずに命を落とした曾祖母。彼女と同じ状況の人びとが、現在のイエメンには数多く存在します。そのような中で、MSFの医療援助はこれからも必要です。そして、イエメンの子どもたちが将来、紛争のない世の中で生きて、平和な社会をつくる人になってほしいと願います。
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共に働いた産科の同僚たち。つらいことがあった時は支え合った=2022年
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休日には一緒に暮らす仲間たちと餃子を作ったことも=2021年
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さまざまな国から集まったメンバーと活動=2021年
産婦人科医としてMSFで活動したい方は……
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MSFを目指す産婦人科医の方に伝えたいのは、触診、聴診など身体診察のスキルの大切さです。現場ではできる検査が限られるので、聴診器一つで鑑別が必要なことが多々ありました。