海外派遣スタッフ体験談

「僕は死ぬんだね」──忘れられない少年の言葉 看護師として今できるすべてを

2023年03月31日

佐藤 太一郎

職種
看護師
活動地
ハイチ
活動期間
2022年9月~12月

看護師として日本の病院や国際クルーズ船での経験を経て、2020年から国境なき医師団に参加。これまでにイラク、パレスチナ、イエメンで活動し、今回が4回目の派遣となった。(写真中央)

ギャングによる激しい武力抗争が続いているハイチ。首都ポルトープランスでは、銃撃で日々多くの人が負傷している。衝突により道路が封鎖され、患者や医療者が病院へ行くことが阻まれる事態も後を絶たない。

国境なき医師団(MSF)はポルトープランス近郊で、外傷とやけどに対応するタバル病院を運営。この病院の集中治療室で活動した看護師の佐藤太一郎が、現場での経験と葛藤を綴った。

1人分しかない血液を前に

多くの負傷者が搬送されるタバル病院(最奥は本人)<br> =2022年12月 © MSF/Alexandre Marcou
多くの負傷者が搬送されるタバル病院(最奥は本人)
=2022年12月 © MSF/Alexandre Marcou
私が働いた病院には、ギャングの抗争とそれに巻き込まれた人たちが老若男女を問わず日々運ばれてきていました。
 
そのほとんどが、銃でおなかや胸を撃たれた人たちです。多くは血を失っている状況なので、輸血をしないと命に関わります。しかしここで問題になるのが、輸血の量が圧倒的に足りないということでした。
 
複数の人が輸血を必要とするも、用意できる輸血は1人分しかないという緊迫した状況にも遭遇しました。すぐに輸血をしなければ、患者の命は危険にさらされます。誰に輸血を投与するのか、医療チームで話し合って方針を迅速に決めなければなりません。

今日輸血を使い果たしたら、明日も高い確率で来るかもしれない多数の負傷者にどう対応するのか。本当に今この患者に輸血を投与すべきなのか。これが命を左右する意思決定になるかもしれない。血液や機材などのリソースの限界と、暴力によって際限なく負傷者が出続ける現実に大きなジレンマを抱えていました。
 
カオスのような状況の中で、スタッフに疲れやイライラが溜まってしまうことは否めません。しかし、どのような状況になっても、私たちチームの主語は「患者」でした。「この患者さんに必要なのは」「あの患者さんには……」と。ギリギリのところで戦う仲間たちは、時にぶつかり合いながらも、常に患者のことを本気で考えているのです。

大やけどを負った少年との出会い

タバル病院にはやけど専門の病棟があります。ここは重度のやけどに対応するハイチ唯一の医療施設で、各地から患者が運ばれてきます。一般的に、やけどの治療は長い時間を要します。やけどの範囲にもよりますが、集中治療からリハビリ期間を経て退院までにかかる期間は、実に数カ月以上ということも珍しくありません。それだけに、本人にとっても家族にとっても、医療者にとっても長く厳しい闘いになるのです。
 
体の大部分にやけどを負うと、耐え難い傷み、感染症、重要臓器へのダメージが次々に起こり、死に至るケースも少なくありません。
タバル病院では外傷とやけどに対応している=2021年 <br> © Pierre Fromentin/MSF
タバル病院では外傷とやけどに対応している=2021年 
© Pierre Fromentin/MSF

ある日、病棟で出会った一人の少年。彼は私にとって忘れられない患者となりました。
 
10代のこの少年が大やけどを負ったのは約2カ月前。何とか集中治療を乗り越え、激しい痛みの中リハビリを継続し、広範囲熱傷で一つの山といわれている2週間を越えました。そして医療チーム、家族一丸となってリハビリを続けていたところでした。
 
ところがある日、少年の体調が悪いという情報が入ってきたのです。

少ない機材、五感で体の状態を探る

私と麻酔科医のアマンダは集中治療室で少年を見てすぐ、非常に緊急度が高いことを認識しました。
 
明らかに呼吸がおかしい。少年は肩で息をし、目を見開き遠くを見ていました。声をかけても目線が合わない。私たちは少年の体の悲鳴に全神経を集中させました。
 
ハイチの私たちの病院では、日本のような様々な検査ができないのが現状です。CTスキャンのような画像検査はできないし、血液検査も調べることができるものが限られています。しかし、ないからできないのではなく、できる検査と、自らの五感を研ぎ澄まし、私たちは治療を進めていかなければなりません。
 
血圧はまだ大丈夫、呼吸がおかしい、肺の音はどうか、二の腕やふくらはぎが細すぎる、むくんでいるなど、外見から見られる情報を大量に頭に入れていきました。

麻酔科医のアマンダはエコー(超音波検査機)を立ち上げて、彼の体の中で何が起こっているのかを突き止めるべく、心臓の動き、肺の中の水と、いろいろな部分を見ていきました。

同時に私は次に起こりうる症状と治療選択、緊急性、重要度などを、頭でプランを立て現地スタッフに指示を出しました。
 
時間がない。少年の命が危ない。
 
私たちは、口に管を入れて人工的に呼吸を補助する必要があると判断し、挿管という治療を決断しました。
首都ポルトープランス。タバル病院はこの近郊に位置する<br> =2021年 © Pierre Fromentin/MSF
首都ポルトープランス。タバル病院はこの近郊に位置する
=2021年 © Pierre Fromentin/MSF

忘れられない少年の言葉

挿管をすると患者は声が出せなくなります。その前に、息も絶え絶え、少年が苦しそうに言った一言は、私もアマンダも忘れることができないものとなりました。
 
彼は、もうろうとする意識の中、天井を一心に見つめ、じっとりと全身が汗でぬれた状態で、肩で息をしながらこう言いました。
 
「僕は、死ぬんだね」
 
確かに、そう聞こえたのです。私とアマンダは目を合わせ、お互いに何かを言おうとしてはその言葉と気持ちを噛み殺しました。
 
後ろでは母親が叫び、取り乱し、看護師の静止を振り切って少年の手を握っていました。
 
「死なない!あんたは死なないのよ!ばかなこと言うんじゃない!」
 
母親の叫びが、部屋中に響き渡りました。

苦しい決断

挿管の後、24時間体制で集中治療の日々が続きました。
 
ここハイチの集中治療でチームができる治療の限界まで、本当に最大限の努力をできているだろうか。まだできることはあるのではないか。私とアマンダは、病院でも宿舎でも少年の治療の話をしました。
 
しかし、少年の状態は非常に厳しいものでした。そして1週間後、ついに決断を迫られます。それが、Withdraw Care(ウィズドローケア)です。
 
治療とは文字通り、体を良くするための医療行為を指します。しかし、患者の苦痛が非常に強く、治療による回復の見込みが限りなく厳しい場合に、積極的な治療をしないという選択をすることもあるのです。これをウィズドローケアといい、本人、家族、医療者、誰にとっても苦しい決断になります。患者が残された命の時間をどう過ごすのか、ここを皆で考えることになるのです。果てしなく続く痛みや苦しみから患者を解放する。それはつまり、これ以上治療で回復する見込みがなく、回復のための治療をせず鼓動が止まるまでの時間を待つということでもあります。
 
このような厳しい決断を日々迫られる。これが、ここハイチの救急室や集中治療室での現実でもあるのです。
 
ウィズドローケアが選択されてから2日後。少年は息を引き取りました。

タバル病院の一室 © MSF
タバル病院の一室 © MSF

今できることを続ける覚悟

私たちは、ハイチで数えきれないほどの理不尽に触れました。このような中で医療を続けるために、自分たちの心を守り、いつしかこの現状に慣れて人としての感覚を麻痺させてしまっているのではないだろうか。異国の地で活動する一人の看護師として、そんなことを考えました。
 
自分たちが、ここでできることって何だろう。どんなことをしたら、もっと患者を救えるだろうか。
 
こんな気持ちが続くとき、私は決まって朝の四時に目が覚めます。そして家の屋上に行って星を眺めるのです。夜明け前の星がきれいで、この星々はどこの国からも見えるんだよな、そう思うと遠い異国にいても自分を支えてくれる人たちの存在を身近に感じることができる気がします。

ハイチで共に活動した仲間たち  © MSF
ハイチで共に活動した仲間たち  © MSF
星空を見ながら、一生懸命に生きた少年のことを思い出し、一人でも多くの命が救われますように、そんなことを明け方の星に願い、私は私自身に今できることをただひたすらに続けていく覚悟を、改めて持つのです。
 
仲間の存在に救われ、私たちは活動を継続していくことができます。そして現地だけではなく、日本から、世界中から支えてくれる人たちの存在が、私たちの現地で活動する医療者の力になっているのです。
 

厳しい毎日の中で、リフレッシュになったのが仲間とのバスケットでした。皆初心者で始めたのですが、数カ月後にはかなり競技性が増すレベルに。何事にも本気で取り組むメンバーが多いのかもしれません。

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