特集

見えない傷を癒す

人道危機下の「心のケア」

2023.02.08

国境なき医師団(MSF)が医療・人道援助活動を行う際、負傷した体の治療などと同様に、重要になるのが「心のケア」です。
「MSFが心のケアを?」と意外に思う方も多いでしょうか。MSFが心のケアに取り組む理由と、その活動内容を伝えます。

【動画】「言葉で人を助けたい」──日本人心理士が語る、難民キャンプで心のケアが必要な理由

「多くの人が家族を残して逃げ、心に大きなトラウマを抱えています。将来への展望もなく、絶望感を感じている人がとても多いのです」
 
そう話すのはMSFの心理士、福島正樹です。2022年3月から11月まで、スーダン東部の難民キャンプ内にあるMSFの病院で、心のケアを担当するマネジャーとして活動しました。
 
福島の活動したタネバ難民キャンプでは、隣国エチオピアから逃れた2万人もの人びとが、いまも過酷な環境の中で暮らしています。MSFは現地で避難民の人びとに心のケアを提供しており、カウンセリングを受けることによって初めて心の問題に気がつく人も多いといいます。福島が体験したスーダンでの活動、そして心理士として活動を続ける理由を伝えます。

福島正樹(ふくしままさき)
福島正樹(ふくしままさき)
Profile
公認心理師・臨床心理士。一般企業で働いている際にMSFで心理士を募集していることを知り、「これだ!」と思い退職。大学院入学・修了を経て、公認心理師・臨床心理士の資格を取得。7年にわたり精神科などで経験を積み、2021年MSFに参加。初めての派遣でパレスチナでの活動に参加し、紛争の影響を受ける人びとの心のケアに携わった。

人道危機下の人びとに寄り添う
心のケアとは?

MSFが支援する病院に入院中の子どもたち。<br> 病気やけがの治療のほかに、遊びを通して心を刺激し、<br> 心身の成長を促す=カメルーン、2020年<br> Ⓒ Patrick Meinhardt for MSF
MSFが支援する病院に入院中の子どもたち。
病気やけがの治療のほかに、遊びを通して心を刺激し、
心身の成長を促す=カメルーン、2020年
Ⓒ Patrick Meinhardt for MSF
世界保健機関(WHO)の発表によると、コロナ禍以前の2019年に精神疾患を抱えながら生活をしていた人の割合は世界で8人に1人(※)。以降、新型コロナウイルス感染症の大流行だけでなく、世界で相次いだ自然災害やウクライナ危機をはじめとする紛争などにより、心のケアのニーズは高まっています。
 
暴力や自然の脅威にさらされた時、MSFで最優先されるのは「命を救う」ことです。しかし患者さんは、体の傷が完治したからといって、必ずしもすぐに健康的な生活を取り戻せるわけではありません。過酷な経験をした人びとには、目には見えない心の傷が残っているからです。
 
紛争地や被災地といった人道援助の現場では、体の治療はできても、専門のスタッフが不足していたり、重要視されていなかったりするため、心のケアまでは行き届かないのが現状です。MSFは、こうした医療・人道援助の穴を埋めるため1998年から心のケアのプログラムを開始。体と心の包括的なケアを提供しています。

世界保健機関(WHO)より

患者さんや状況に合わせた、ケアのしくみ

MSFには精神科医、心理士、ソーシャルワーカーなど心のケアの専門家がいます。世界各地の活動地で、人びとの心の健康を守るための活動をしています。

どんな人に心のケアが必要ですか?

ウクライナのヘルソンから避難した女性。<br> 国内避難民センターでMSFの心理士が話を聞く Ⓒ MSF
ウクライナのヘルソンから避難した女性。
国内避難民センターでMSFの心理士が話を聞く Ⓒ MSF
■ 激しい暴力や恐怖にさらされた人
■ 紛争などで家族や友人を失った人
■ 先の見えない避難生活を送る人
■ 病気に苦しむ患者さんや家族 など

MSFはどのように患者さんに対応するのですか?

災害や紛争などの緊急時には、人はさまざまな事柄に影響されます。人によって対処のメカニズムや、どのような支援が必要とされるかも異なります。MSFは介入ピラミッドのフレームワークを使用し、人びとの状況や症状にあわせた心のケアを提供しています。
1 基本的なニーズと安全のサポートとは?
Ⓒ Mariana Abdalla/MSF
Ⓒ Mariana Abdalla/MSF
災害・紛争などで避難してきた人びとに、水や食料、住む場所など、基本的な安全を確保するためのサポートをします。人びとへの基本的な安全が確保されていない場合は、MSFは公的機関などに支援を訴えます。また、MSFが避難所を用意したり、救援物資を配布することもあります。
2 家族やコミュニティ単位のサポートとは?
Ⓒ MSF/Sara de la Rubia
Ⓒ MSF/Sara de la Rubia
地域や家族からのサポートによって、心の健康が保てる人へ向けた支援です。苦痛を和らげ、心の健康を保つことが目的で、悩みを共有できる集会を開いたり、皆でスポーツやガーデニングなどの共同作業をすることもあります。心理士や地域のソーシャルワーカーなどが携わり、病院や集会所といったさまざまな場所で行われます。

活動例:
■ 子どもたちに安心・安全な場所を提供し、遊びを通して成長を促す
■ 女性や若者を対象にした、手芸やお茶会、スポーツなどの活動 
■ グループで行い、同じ境遇の人が体験を共有する心理・社会的支援活動 など
3 患者さんの治療とは?
Ⓒ MSF/Evgenia Chorou
Ⓒ MSF/Evgenia Chorou
精神的に深刻な苦境にある人や家族、グループに向けた支援です。個人またはグループカウンセリングなどで辛かった体験などを話してもらい、その心の痛みの軽減、または解決への糸口を探ります。病院や地域で行われ、心理士やソーシャルワーカー、看護師などさまざまな人が関わります。
4 重度の患者さんの治療とは?
Ⓒ MSF/Tracy Makhlouf
Ⓒ MSF/Tracy Makhlouf
既に述べたサポートを受けても精神的な苦痛が大きく、日常生活に支障が出ている人に対する支援です。精神科医や心理士、ソーシャルワーカーなどで協力し合い、治療を担当します。薬で治療をしながらカウンセリングを提供します。
南スーダンで、女性を対象に行われた心のケアのグループセッション。歌や踊りはストレスを緩和し、困難な状況においても喜びを見出すための手段になる Ⓒ Scott Hamilton/MSF
南スーダンで、女性を対象に行われた心のケアのグループセッション。歌や踊りはストレスを緩和し、困難な状況においても喜びを見出すための手段になる Ⓒ Scott Hamilton/MSF

希望を失わないで──活動地から届いた声

人道危機下では、患者さん自身が自らの心の傷に気づかないまま、つらく苦しい生活を送るケースも少なくありません。MSFの心のケアを受けた患者さんと、ケアに携わるスタッフの声を伝えます。

家族にも見捨てられる中、MSFのケアで立ち直ることができました

中央アフリカ共和国 シャルロットさん(仮名)──性暴力の被害者

Ⓒ Adrienne Surprenant/Collectif Item for MSF
Ⓒ Adrienne Surprenant/Collectif Item for MSF
長期にわたる内戦が続く中央アフリカ共和国。性暴力の加害者は武装勢力の男性であるケースが大半を占めていましたが、最近は身近な人物による犯行も急増。母を亡くし、おじ夫婦の家に身を寄せていた18歳のシャルロットさんも、おじに性暴力を受けたものの、おばには信じてもらえず、助けを求めた父には学費を止められてしまいました。
 
シャルロットさんは絶望に打ちのめされていましたが、いとこの勧めでMSFの病院を受診。いまは処方をされた薬を服用し、心のケアも受けながら平穏を取り戻しつつあります。彼女は言います。「私は同じようにつらい体験をした人に伝えたいです。病院へ行ってください。希望を失わないでと」。

性暴力は被害者の心身の健康を守るため、一刻も早い治療が必要です。医師によるけがの治療や望まない妊娠をしていないかなどの確認とともに、心のケアチームが経過観察治療を行います。

ほしいのは、家族みんなを守れる頑丈な家

パレスチナ──紛争地で暮らす11歳の少年

Ⓒ Anna Surinyach/MSF
Ⓒ Anna Surinyach/MSF
「これは怖い時に、いつでも家族みんなで入って隠れられる、とっても頑丈な家です」。MSFの
精神科医とのセッションで描いた絵を見せてくれたのは、紛争が続くパレスチナに住む少年。家の上空には、たくさんの戦闘機のようなものが飛んでいます。彼はまだ11歳ですが、イスラエル軍による尋問のために勾留された経験があります。そして羊飼いの両親と離れ、21人の大家族と仮設の小屋で暮らしています。
 
「将来は大好きな理科や数学、アラビア語を一生懸命勉強して、スーパーマーケットで働きながら、お父さんと羊の世話をするのが夢です」。

常に命の危険と隣り合わせの紛争下では、大切な家族や友人を目の前で失ったりすることもあります。うつ病や睡眠障害などを発症するケースも少なくありません。

避難民キャンプの子どもにとっては、“遊び”も心のケアの一つ

イエメン──MSFの心のケアの担当者

Ⓒ Hesham Al Hilali
Ⓒ Hesham Al Hilali
子どもたちの歓声が響きわたる、イエメンのマーリブ県にあるアレクセイ国内避難民キャンプ。サッカーを教えているのは、MSFの心のケアの担当者です。もう7年以上も紛争が続く同国では、閉ざされた国内避難民キャンプでの生活しか知らない子どもたちが大勢います。
 
「サッカーのような遊びも、ここで暮らす子どもにとっては自然な成長を促す大切な心のケアの一つ。複雑な環境の中でも、社会性や協調性などの感覚を向上させるのに役立ちます」。MSFはこうした活動を含め、マーリブ県の8カ所で心のケアを行っています。

難民・国内避難民キャンプでは、行動の自由を制限されることもあり、決して自由な生活とはいえません。また将来への夢や希望を持てない状況も子どもたちを苦しめます。

海外派遣スタッフに心のケアは必要?

時には紛争地のような場所に派遣され、命を支える活動に従事するMSFの海外派遣スタッフ。精神的にもタフに見える彼らにも心のケアは必要でしょうか? 答えはイエスです。海外派遣スタッフに向けた心のケアについて、MSF日本事務局の担当者・笹川真紀子が答えます。

笹川真紀子(ささがわまきこ)
笹川真紀子(ささがわまきこ)
Profile
人事部心理社会的サポート責任者。民間企業を経て大学院に進学。精神保健学やトラウマケアを学ぶ。災害・事故・事件等の被害者や被災者支援に従事。2019年、国際人道援助を行う人に対し「心のケア」という面でサポートしたいと強く思い、MSF日本事務局に入職。

「健康に行って、健康に帰って来る」ために

Qなぜ海外派遣スタッフに心のケアを提供しているのですか?

MSFの海外派遣は「健康に行って、健康に帰って来る」ことが必須です。海外派遣スタッフが心身ともに健康であることで、MSFの活動地で助けを必要としている人びとに質の高い援助を提供することができると考えています。

Q海外派遣スタッフはどんな時に心のケアが必要ですか?

活動地の状況によっては、誘拐や強盗、紛争地であれば爆撃などに巻き込まれる可能性はゼロではありません。そのような場合に心のケアが必要であることはもちろんですが、そうでない時も心のケアは必要です。海外の活動現場では、多文化コミュニケーションの難しさや日本とは全く異なる状況で働くことなど、日常的なストレスも多いでしょう。大きな惨事だけではなく、日常的なストレスを蓄積させないようにケアをすることが大切です。

心のケアで重要な「予防」

Q海外派遣スタッフが受ける心のケアには、どのような方法がありますか?

海外派遣スタッフは、派遣前、派遣中、派遣後、いつでもカウンセリングを受けることができます。心のケアで重要なのは、まずは予防です。ストレスやその影響について知識を持つこと、自分のストレス対処についてよく理解することが大切です。悩みやストレス反応が大きくなる前に、効果的なストレスマネジメントのアドバイスも提供します。

ここが大切!心のケア ~予防編~

■ ストレスやその影響について、知識を持つこと
■ 自分のストレス対処について、よく理解すること

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Q海外派遣スタッフは「とても強い、特別な人」だと思われることも。実際に海外派遣スタッフは精神的に強い人が多いのでしょうか?

新しい環境に適応したり、目的に向かって集中したり、という意味でのメンタルタフネスは持っているかもしれません。しかし、人間は動物であり、精神の疲労も蓄積します。これは海外派遣スタッフも同じことです。彼らは決してスーパーマンやアイアンマンではありません。時には過酷な現場もありますが、ベストなパフォーマンスを維持するため、上手にストレスマネジメントをしようと努力しているのです。

カウンセリングを受けるのは、弱いことではない

Q心のケアを行うことによって、海外派遣スタッフはどのように変わりましたか?

私が着任した当時は、カウンセリングのリクエストはとても少なかったです。「カウンセラーが何をしてくれるのかわからない」「弱いと責められるかもしれない」などの不安を持っている方が多かったのかもしれません。でもいまは、気軽にカウンセリングリクエストを送ってくれます。「カウンセリングを受けることは弱いことではなく、特別なことでもない」と思うようになってくれたのかもしれません。

Q派遣中だけでなく、派遣前と派遣後も心のケアが必要ですか?

派遣前には「ブリーフィング」(打ち合わせ)をして、心の準備をしていただきます。これは心の「予防注射」のようなものです。帰国後は「デブリーフィング」(任務終了報告)を行い、人間としてどのような経験をしたかを振り返ってもらいます。自身の経験を自分の中だけで抱えるのではなく、考えたことや感じたことを表現することによって、経験が「過去のこと」として記憶にうまく統合されます。もちろん、必要であれば外部の専門家を紹介することもできます。

Qカウンセリングを受ける以外の「心のケア」があれば教えてください。

「心のケア」「ストレスケア」というと、カウンセリングを受ける、何か特別なことをするというイメージを持つかもしれません。しかし、日常的には「体へのケア」が「心のケア」につながることがとても多いのです。ストレスを感じて気持ちがふさいだ時、気持ちを言葉にするカウンセリングも良いのですが、まず、無理のない範囲で軽い有酸素運動を行うことがおすすめです。脳内物質の分泌によって気分が変わることが実感できると思います。

ここが大切!心のケア ~日常生活編~

■ 「体へのケア」が「心のケア」につながる
■ ウォーキングや軽い体操、朝の光を浴びながらの散歩がおすすめ

「心が健康である」ということは三段階で説明することができます。まずは、「安心・安全・快適」であること。次に「元気・やる気が出る」そして「幸せ・快感」です。「安心、安全」の感覚が持てないまま、意欲を出して頑張ろうとしてもうまくいきません。また、元気が出ないのに「幸せ」を感じることは難しいといえるでしょう。

この「心の健康の三段階」の第一段階である「安心・安全・快適」の感覚を持つためには、実は軽い運動をすることが非常に有効です。ストレスを感じて暗い気持ちになっていると、ふさぎがち、閉じこもりがちになります。また、第二段階目の「元気」が出ないと動くこともおっくうになるかもしれません。しかし、そういう時にこそ、ウォーキングや軽い体操などで体を動かしてみてください。朝の光を浴びながらの散歩がベストです。

もしも心が疲れたら? MSFスタッフも実践するケアの方法

心が疲れてしまうこと……ありますよね。そんな時は、どうしたらいいでしょうか。
 
MSFの活動地で働くスタッフも、普段とは異なった慣れない土地で仕事にあたっています。誰だって、同じ人間。心や体が疲れてしまうこともあります。そんな時に、MSFがスタッフに活用を呼びかけている、あるケアの方法をご紹介します。皆さんも時には、自分の心の声に耳を傾けてみては?

広がる心のケア──さまざまな活動地から

さまざまな医療プログラムの中に取り入れられ、広がっているMSFの心のケア。2021年には、38万3300件の個人に対する心のケアの相談を行いました。紛争や迫害、暴力の被害を受けた人がトラウマや痛みを軽減し、できる限り自立できるようになるために──各地の取り組みをご紹介します。

命を救う活動を、どうぞご支援ください。

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※外国為替により変動します。
※国境なき医師団への寄付は税制優遇措置(寄付金控除)の対象となります。

中央アフリカ共和国では、栄養失調の子どもを抱え育児に行き詰まった母親たちに、心のケアを行った。「MSFのおかげで畑に行く元気がでました」と感謝の気持ちがつづられた絵。Ⓒ MSF
中央アフリカ共和国では、栄養失調の子どもを抱え育児に行き詰まった母親たちに、心のケアを行った。「MSFのおかげで畑に行く元気がでました」と感謝の気持ちがつづられた絵。Ⓒ MSF

トップ写真:イエメン、ハッジャで患者を抱きしめるMSFの心のケア担当者。「何かが欠けているような虚しさを感じていました。そんなとき、MSFが心のケアを提供していることを知ったのです」と患者は語った Ⓒ Jinane Saad/MSF

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