海外派遣スタッフ体験談

「医療人道援助を支える仲間」 設備管理、物資調達…チーム力と現場のやりがい

2020年03月05日

吉田 由希子

職種
ロジスティシャン(ロジスティック・マネジャー)
活動地
南スーダン、エチオピアなど
活動期間
2012年~

いつも笑顔を絶やさない吉田由希子。サービス業界などでマネジメントの経験を積み、30代で人道支援の世界に。ザンビア、インド、東日本大震災での活動を経て、2012年に国境なき医師団(MSF)に初参加。「多くの命を救っている団体の一員として活動できることは誇り」だという。ロジスティシャンの仕事を「医療者が医療活動のみに集中できるよう、仲間として環境を整えていく役割」だと、やりがいを感じている。

参加のきっかけ 多くの人の笑顔が私の喜び

人道援助への想いをもったきっかけは、アメリカの公民権運動を引っ張ったキング牧師だったと思います。中学時代、英語の教科書で読んだ「I Have a Dream(私には夢がある)」のスピーチ。世の中に人種差別があることを知り、大きな衝撃を受けたと共に感動しました。不平等な社会を理不尽に感じました。武力も戦争も理不尽です。何も関係のない一般の人びとが命を失う。仮に、今ここに、爆弾が落ちてきたら、私たちも命を失い、すべてが一瞬にして奪われてしまいます。どうして突然すべてを失う必要があるのか……。そうした受け入れがたいことに対して「何かできることはないか」と、漠然と考えていたように思います。
 
転機は30歳。「どんな夢を持って生きたいか」と、今後の人生を考えたことがありました。出した答えは「多くの人の笑顔をみられることをしたい」。日本は恵まれている国です。私はたまたま日本に生まれたので、不自由なく生活を送ることができます。でも世界には、私たちが当たり前だと思っている普通の暮らしもままならない人たちがいます。そうした人たちのために、少しでも何か力になりたい。そう思い、人道支援の世界に飛び込むことにしました。

参加に向けたキャリア形成 足りない経験は積み上げていった

アフリカ・ザンビア北部のカサマで、現地の学校に<br> トイレと井戸の建設などの活動をしていた頃の吉田(中央)
アフリカ・ザンビア北部のカサマで、現地の学校に
トイレと井戸の建設などの活動をしていた頃の吉田(中央)
そう思ったものの、海外で働いた経験もないですし、英語力もありませんでした。そこで、カナダでワーキングホリデーを1年半経験し、英語力を伸ばしました。その後、米NGO団体の開発インストラクター育成プログラムに参加し、アフリカ・ザンビアで、水と衛生分野の支援活動に関わりました。学校の敷地に井戸や、トイレをつくったり、手洗いの重要性を知ってもらったりする教育活動の他、コミュニティースクールの建設の立ち上げなども経験しました。インドでは、スラム街の子どもに対する教育支援をしました。
 
帰国したのは2011年4月。東日本大震災から1カ月後です。テレビで被災地の状況を知り、すぐに現地に向かいました。兵庫県出身の私は、1995年の阪神淡路大震災を経験しています。当時、高校1年生。自分の町のために何もできなかったという思いも、心の中にあったと思います。米NGO団体の一員として現地入りし、欧米などからのボランティアの通訳や、被災地支援プロジェクトの立ち上げなどに関わりました。

改めて実感したこと 命がなければ笑顔は作れない

被災地での活動を始めて1年後、携わっていたプロジェクトが終了したタイミングでMSFに応募しました。MSFの憲章に深く共感したと共に、それまで経験した活動の中で、改めて、人は命があるから笑顔が作れるということを実感したからです。危機的状況、苦境にある人びとを差別することなく、公平、中立、権力からの独立を保持し、医療人道援助を提供するというMSFの一員として、共に活動したいと思いました。
 
採用されたロジスティシャンは、医療援助活動に必要なものを供給し、環境を整えることが仕事です。医療従事者だけでは、MSFの活動は成り立ちません。病院、オフィス、宿舎などで使う水、電気、建物、移動や通信手段、その他活動に必要なすべての物の調達し、管理します。水がなければ、川から水を汲んで消毒してきれいな水にしたり、井戸を掘ったりすることもあります。病院や宿舎にする建物がなければ、ゼロから建てます。電気がなければ発電機で供給します。
 
情勢が不安定な場所で活動して怖くないのか、と聞かれることがありますが、不思議と怖さを感じません。セキュリティ面の対策が取られていることはもちろんですが、側にはいつも、地元スタッフをはじめ、目的と気持ちを分かち合ったMSFの仲間たちが共にいるからだと思います。

忘れられない出来事 2カ月ぶりに届けた医薬品 喜ぶ患者さんの姿

南スーダンで活動ではボートを使って診療所に向かった
南スーダンで活動ではボートを使って診療所に向かった
MSFの活動で印象に残っているのは、南スーダン。武力衝突や銃撃などで情勢が不安定だったときのことです。
 
当時、MSF拠点のあった北東部マラカルから、ナイル川をボートで15分くらい渡った先に、簡易式テントを張った診療所がありました。緊急医療援助と結核、カラアザールの患者の支援をする拠点だったのですが、情勢が不安定になり、MSFスタッフが行けない状態が続いていました。
 
一時、情勢が安定し、MSFの日本人看護師と2人で診療所に行くことになりました。許された滞在時間は1時間半。診療所に行くのは実に2カ月ぶり。ロジスティシャンとして、必要な医薬品をボートに積み込みました。診療所に到着するとすぐに、多くの患者さんが集まってきました。紛争下の非常に厳しい状況の中、無事でいてくれました。彼らに医療を届けるMSFの活動意義を再認識したと同時に、笑顔を見せてくれた患者さんたちの姿に、胸が熱くなったことを覚えています。

活動のやりがい やっぱり現場が好き

南スーダンで活動中の吉田
南スーダンで活動中の吉田
ロジスティシャンの他の仲間たちは、経験を重ね、活動責任者や管理部門で活動していく人もいます。組織やプロジェクトをまとめる役割も大切ですが、私はやっぱり現場が好き。ある活動では、現地スタッフのほとんどが難民だったということがありました。同僚として、彼らと気持ちを分かち合ったり、交流を深めたりできたことは大きな財産でした。より身近に援助を受け取る人びとの想いを感じ、姿に触れたい。現場でのニーズをチームで訴えていきたいと思うからこそ、現場にこだわりたいと思っています。
 
MSFでは国や言葉、文化も違う多様な人びとと働きます。さまざまな違いがあるにも関わらず、スタッフ全員が「少しでも状況を良くしたい」という共通の思いを持って働いています。それが、大きなチーム力を生み出し、一つ一つの活動に生かされます。一つとして同じだった現場はありません。何度、参加しても、必ず学ぶことがあります。

MSFで活動することの意義 医療人道援助活動を支える

多くの仲間に支えられて
多くの仲間に支えられて
MSFは、安全面を確保し、臨機応変に判断しながら、必要なものを必要な人にすぐに届けることのできる組織です。あらゆる権力や政府から独立し、活動資金の多くは、民間からのご寄付で成り立っているからこそできる事だと思います。
 
ロジスティシャンは医療従事者ではありませんが、私たちも医療人道援助を支えているチームの一員です。MSFは、同じ思いを持った仲間が、同じ目的のために現場で挑戦し続けている団体だと思います。多くの命を救う活動をしているMSFの一員として、医療従事者のみなさんと共に、仲間として活動できることを誇りに思います。

キャリアパス

2001年
大学卒業後、サービス業に従事
2010年
人道援助活動に参加し、ザンビア、インドで活動
2011年
東日本大震災の被災地で、米NGO団体職員として復興支援に従事
2012年~
MSF 南スーダンを皮切りに、エチオピア、イラク、シエラレオネ、ナイジェリアなど9カ国で活動

この記事のタグ

関連記事

職種から体験談を探す

医療の職種

非医療の職種

プロジェクト管理の職種

活動地から体験談を探す

国・地域