海外派遣スタッフ体験談

「自分の信じた道を」 フリーランスの救急医 信念を胸に現場へ

2019年09月06日

真山 剛

職種
救急医
活動地
イエメン、イラクなど
活動期間
2016年~

救急医、真山剛。東大医学部卒業後、どこの医局にも属さず、フリーランスの救急医として世界を飛び回る。「自分の信じた道を進みたい」。そう語る真山の行動を後押しするのは、記者だった父の存在だ。「国境なき医師団(MSF)での活動を一番喜んでいるのは父」と確信している。

MSFに興味を持ったきっかけ 目の当たりにした貧困

貧困の現実をエジプトで知り、衝撃を受けました。10歳のときの家族旅行で、同い年くらいの物乞いの子どもたちに囲まれて。お金をねだられて。とてもショックでした。父は、通信社の記者で世界を飛び回っていましたので、家族でヨーロッパに住んだこともありましたが、物乞いを見たことはありませんでした。
 
貧しい国では、日本では考えられないような病気があることを知ったのは高校時代。たまたま自宅で目にしたMSFのニュースレターでした。母は長年、MSFに寄付をしていました。そのときの特集が「顧みられない熱帯病」。利益が見込みにくいため、新薬の研究が進みにくい分野です。シャーガス病も初めて知りました。
 
感染症に興味がわき、貧しい人の役に立ちたいと、医師を目指すことにしました。いずれは父のように国際的に活躍したいと思いました。

ターニングポイント 震災の経験から救急医に

研修医だった2011年。東日本大震災後に医療援助活動をしました。目の前に広がる被災地の惨状。「物資も設備も不十分な中でも、誰かの命を助けられる医師になりたい」。救急医の道を選びました。
 
MSFの募集要項を確認すると救急医も募集しており、救急専門医の認定を受けたら、応募しようと決心しました。MSFとの距離を縮めたくて、定期的な寄付も始めました。

MSFを目指したキャリア形成 フリーランスの救急医、MSFの医師、バックパッカー…3つの顔

活動最終日の前夜、チームのみんなが開いてくれた送別会で=2019年、イエメン
活動最終日の前夜、チームのみんなが開いてくれた送別会で=2019年、イエメン
後期研修で勤務した都内の医療センターは、器材も施設も専門医もそろう、恵まれた環境でした。ただ、MSFで働くなら、医療設備が整っていなくても対応しなくてはなりません。そこで、2015年沖縄・石垣島の病院に移りました。離島では、輸血のストックが十分でないことが多く、緊急輸血が必要な時は、病院職員や島民を呼びかけてドナーとなってもらい、その場で採血して生血輸血をしました。離島では治療できない重症患者を沖縄本島に搬送したこともあります。地域医療の基礎を学ぶ良い機会にもなり、石垣島で多くの経験を積むことができました。
 
翌年救急専門医の認定を受け、MSFに応募。在職中に派遣も決まりました。職場にはMSFで働きたいことあらかじめ伝えていたので、スムーズに対応してくれました。
 
現在は退職し、MSFの活動の合間に、フリーランス医師として日本で働いています。それ以外は、バックパッカーとなって世界を旅しています。この2年間で40カ国は訪ねたでしょうか。もともと学生時代から旅好き。ゲストハウスにも泊まりますし、MSFで出会った同僚の元を訪ねることもあります。リュックの重さは15キロ以内。洗濯も手洗い。こうした旅の経験は、MSFの活動で役に立ちます。

忘れられない患者 助けられた命…助けられなかった命

脳マラリアから回復した兄弟たちと=2019年、イエメン
脳マラリアから回復した兄弟たちと=2019年、イエメン
2019年1月のイエメンなど、3回派遣されました。いずれも紛争地ですが、患者さんが元気になっていく姿を見るのが喜びです。
 
でも、辛いこともあります。お茶飲み仲間だったMSFの現地スタッフは地雷で命を落としました。助けられなかった命もありました。イエメンで出会った4歳の女の子は、病院に来たとき、すでに意識がありませんでした。脳マラリアと診断し、治療を試みたのですが、全く良くなりません。原因を調べるにも、検査器材がないのです。なすすべもなく女の子は亡くなり、同僚みんなで悲しみました。
 
日本であれば、もっと違った治療ができたと思います。血液検査や頭部のCT検査などで、意識がない原因をすぐに調べられる環境があります。たとえ呼吸が止まっても、日本には人工呼吸器がありますが、現地にはありません。手を尽くすのが難しい現実がたくさんあります。
 
亡くなった女の子の父親の言葉が忘れられません。「娘の死は、アッラーが決めたことだから仕方がない。全力を尽くしてくれてありがとう」と。誰かの死をイスラム教の神であるアッラーが決めたことだ、と納得せざるを得ない現実に胸が苦しくなりました。

自分らしく生きる 父に見せたかったMSFでの姿

MSFの同僚らと=2019年、イエメン
MSFの同僚らと=2019年、イエメン
僕の生き方は、変わっているのかもしれません。「なぜそんな活動を続けているのか。日本にいればもっと良いところで仕事ができるのに」とよく言われます。でも学生のときから、貧しい人たちのために医療活動をしたいと思っていました。だから、医局に属したこともないのです。親しい友人からは「真山らしいな」といわれます。自分の気持ちに正直に、正しい道を進んでいる自負があります。
 
何より、記者だった父が一番喜んでくれていると思います。世界中を飛び回って、自分の目で見たことを多くの人びとの伝える仕事でしたから。MSFは、現地で起きたことを広く世界に伝える「証言活動」を重要な役割として担っています。イエメンから帰国後、MSFの記者会見で、現地の活動を報告しました。方法は違うけれど、やっと父に追いつけたかな、と思っています。
 
残念ながら、父にはMSFで活躍している姿を見せることができませんでした。ちょうどMSFに応募していた時期に、逝ってしまったので。多くを語る父ではありませんでしたが、MSFに参加している今だからこそ、父と話をしてみたいと思うことがあります。きっと、世界情勢について、あれこれアドバイスしてくれたのではないでしょうか。いつもどこかで、必ず見守ってくれていると信じています。
 
だから、活動に参加する前に必ず父の遺影にこうあいさつするのです。「行ってきます」

キャリアパス

2010年
東京大学医学部卒業
2010年
静岡県磐田市立総合病院で初期研修
2011年
東日本大震災の被災地での医療援助活動に参加
ネパールで、国際NGOで医療ボランディアに1カ月参加
2012年
国立国際医療研究センターで救急科専門研修
2014年
3カ月ボリビア、ラオスで医療活動
2015年
沖縄県立八重山病院で勤務
2016年
救急専門医に認定
MSF イラクで3カ月活動
2017年
沖縄県立八重山病院を退職し、フリーランスの救急医に
MSF シリアで3カ月活動
2019年
MSF イエメンで3カ月活動

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