特集
村田慎二郎 連載
シリア活動記「それでも、未来を信じて」
2022.02.16
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2011年3月のぼっ発以降、世界で最も多くの避難民を生みだした中東シリアの内戦。戦火が広がる中、援助を届けるために奔走した日本人がいました。シリアで国境なき医師団(MSF)の活動を率いた村田慎二郎が、困難と挑戦に立ち向かった日々をつづる全8回の連載です。
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#1 “私たちの希望なのだから…”
激しい空爆によって破壊されていく大都市アレッポ。あまりの被害の大きさに援助の限界を感じていた村田が、患者の言葉からあることに気づかされます。
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#2 シリア入りの道を探れ
国境なき医師団の現地リーダーに日本人で初めて抜擢された村田。どの援助団体も入れずにいたシリア北部でプロジェクトを立ち上げるよう命じられます。
目次
村田慎二郎(国境なき医師団 日本事務局長)

大学時代は政治家を夢見ていた。静岡大学卒業後、外資系IT企業に就職。営業マンとして仕事のスキルを身につけると、「世界で一番困難な状況にある人のために働きたい」と会社を辞め、MSFに応募。最初の派遣が決まるまでの1年半は、大の苦手だった英語の勉強をしつつ、日雇バイトで食いつなぐ。
南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。
シリアでは内戦ぼっ発の翌年2012年から2015年まで、延べ2年にわたり現地活動責任者を務める。この経験が大きな転機となり、米ハーバード大学の公共政策大学院へ留学。2020年8月、人道援助への理解を日本社会でより広めるべく、日本人初のMSF日本事務局長に就任。
1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。
南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。
シリアでは内戦ぼっ発の翌年2012年から2015年まで、延べ2年にわたり現地活動責任者を務める。この経験が大きな転機となり、米ハーバード大学の公共政策大学院へ留学。2020年8月、人道援助への理解を日本社会でより広めるべく、日本人初のMSF日本事務局長に就任。
1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。
写真/シリア北部、激しい空爆を受けたアレッポの街を歩く人びと=2016年10月 © KARAM ALMASRI