「それでも、未来を信じて」村田慎二郎 連載
#3 奪われた命と生まれた命
2022.02.16

シリア入りを果たし、北部アレッポで国境なき医師団(MSF)のプロジェクトを始動させる村田。しかしそこでは、徐々に戦線が近づいていました……。
内戦下のシリアでMSFの活動を率いた村田慎二郎が体験をつづる全8回の連載です。
(写真/シリア北西部のアルサラマ村で、廃校となった小学校を初めて訪れた日=2012年 © MSF)
小麦畑とオリーブやピスタチオの木立が広がる、国境沿いの小さな村アルサラマ。シリア入りしてすぐ私たちは、そこにある廃校となった小学校を訪れました。地元の指導者たちに活動拠点について相談したところ、その学校を提供してくれることになったのです。病院にするには十分な建物と敷地でした。
のどかなこの場所を選んだ理由は、いくつかあります。安全面で言えば、トルコとの国境からわずか2キロの地点にあり、トルコ領空が近いため、空爆の可能性が低い。何かあったときには、トルコ側へ直ちに避難することもできます。それにもし、30キロほど離れた大都市アレッポで重症者が出た場合、隣国まで搬送せずとも患者を受け入れられるルート上にあったのです。
年が明けて1月半ばの日曜日のことです。すぐ近くにある町の市場が、政府軍による空爆に遭いました。子ども連れの家族でにぎわう夕暮れ時に、ミサイルが2発も撃ち込まれたのです。死傷者は100人を上回りました。
1時間以内に、私たちの病院に到着した患者数は数十人。救急車がないので、一般市民が乗用車で次々と負傷者を運んできました。医療者でない私は、死体安置所の拡張を手伝っていると、また新たな患者を搬送する人たちがいました。彼らは担架を手術室へ運び込んだのに、すぐに出てきて、こちらへ向かってきました。
なぜかと聞いてみると「もう死んでいた」と言うのです。覆われた毛布の下には、爆撃で吹き飛ばされたのか、頭部のない女性がいました。既に亡くなっている人でも、「とにかく病院に運ばなければ」と思ったのでしょう。それぐらい誰もが混乱した状況だったのです。

夜通しの対応を終え、翌朝、私は茫然として床にへたり込んでいました。疲れもありましたが、それ以上に空爆が及ぼす被害の凄まじさに衝撃を受けていたからです。
その時、現地スタッフの一人が声を掛けてきました。
「この夜中に、分娩室で赤ちゃんが6人も産まれたんだ。シンジロー、この病院はすごく必要とされているよ」
多くの命が無残に奪われた一方で、その日の夜、新しい命も誕生していた──。いくつもの生と死が同時に起きていたことに、紛争地の病院が持つ使命のようなものを感じました。「確かにこの病院は必要とされている。できる限りのことをやろう」。心のなかでそうつぶやきながら、私は立ち上がりました。