特集

「それでも、未来を信じて」村田慎二郎 連載

#2 シリア入りの道を探れ

2022.02.16

内戦下のシリアで国境なき医師団(MSF)の活動を率いた村田慎二郎が体験をつづる連載。
7年ほどMSFの現場を経験した村田は、日本人として初めて現地リーダーに抜擢されます。任務は、まだ援助団体が入れていないシリア北部でプロジェクトを立ち上げること。しかしそもそもの難関が──。最初の挑戦が始まります。
(写真/内戦で壊滅的な被害を受けたシリア最大の都市アレッポ。市場のある通りを歩く少年=2016年 © KARAM ALMASRI)

「どのチームも苦労している、何とか入り口を見つけてほしい」

欧州にあるMSF事務局からこんな依頼が舞い込んだのは、シリアで内戦が始まって、1年以上が過ぎた頃でした。シリア政府は、非人道的な事態を目撃したら国際社会に訴えることも辞さない MSFを警戒し、活動許可を出していませんでした。そのため先遣チームは苦戦を強いられていたのです。

しかしシリアでは医療・人道援助のニーズが大きく高まっていました。さらに私に与えられるポジションは、ずっとチャレンジしてみたかった現地での活動責任者。

返事はもちろん「イエス」でした。

爆撃された国内避難民キャンプに留まる子どもたち=2013年10月シリア・アレッポ県 © MSF
爆撃された国内避難民キャンプに留まる子どもたち=2013年10月シリア・アレッポ県 © MSF

現場へ向かった私は、通訳やドライバーなどの少人数チームと合流し、まずシリアの周辺国から入国ルートを探りました。しかし、どこも国境ゲートが封鎖されていて入れません。最後に期待を掛けたのが、シリア北部と国境を接するトルコです。トルコから南下すれば、すぐにシリア最大の都市アレッポにたどり着くことができます。アレッポには、いずれ内戦の火が広がるだろうと予測していました。

私たちは早速、国境に近いトルコの小さな町でプロジェクトを立ち上げました。そこは既に多くのシリア難民が逃れていた場所で、家を追われ強いストレスを抱えていた人びとに、心のケアを提供することにしたのです。これが評判で口コミが瞬く間に広がり、MSFを信頼してもらういい機会になりました。彼らの親族や知人はまだアレッポにいますし、その人たちとのつながりがいずれ活動を支えてくれるかもしれません。

NGO団体が新たな土地で活動を始めるときは、手っ取り早くその国の政治組織のネットワークを辿る方法もあります。ですが、私は市民とのネットワークを築くことを選びました。無数の勢力が複雑に絡み合うシリアの政治状況では、そのほうが確実であり、MSFの「独立・中立・公平」という活動理念にもかなっていると考えたからです。

こうしてトルコでアレッポ出身者のチームを作り、故郷の街を案内してもらえる準備が整ったちょうどその時、チャンスが到来しました。シリア北西部の統治者が政権側から反体制派へ移ったため、MSFも入国できるようになったのです。

遠回りしたかもしれませんが、シリアへのドアがいよいよ開いた。内戦が始まってからアレッポ入りを果たした国際NGOは、私たちが初めてです。ついに国内で活動を始められると心は高まるばかり──。まだこの時は、その後目にする大惨劇を予想もしていませんでした。

シリア活動記「それでも、未来を信じて」
《目次に戻る》

最新情報をお届けします

SNSをフォロー

  • Facebook
  • Twitter
  • Line
  • Instagram
  • Youtube

メールマガジンを受け取る

メルマガに登録する

特集をもっと見る