特集

「それでも、未来を信じて」村田慎二郎 連載

#7 内戦ではない、代理戦争だ

2022.02.16

2013年以降、大都市アレッポでは市民も激しい空爆や砲撃に巻き込まれていました。無差別な攻撃、悪化する一方の情勢を見て、村田が抱いた違和感とは──。
内戦下のシリアで国境なき医師団(MSF)の活動を率いた村田慎二郎が体験をつづる全8回の連載です。
(写真/MSFの病院に発射されたマシンガン弾の残骸。市民のインフラも危険にさらされていた=2013年 © MSF)

MSFのアルサラマ病院は、空爆が続いていたアレッポ県都から20キロ北上した、トルコとの国境付近にあります。私たちは2階建ての病院の屋上から、双眼鏡で周辺の様子を確認することを日課としていました。印象的だったのは、夜、北のトルコ側には美しい町の明かりが見えるのに、南のアレッポ側は対照的に真っ暗だったことです。

アレッポの夜が暗闇に包まれていたのには、理由があります。電力の供給システムが1日に数時間しか利用できなかったうえ、多くの市民が空爆の対象になることを恐れて、夜はろうそくの明かりすらも消していたからです。私たちの病院でも遮光カーテンを使い、宿舎で夜、食事をとる時には携帯電話の明かりでテーブルを照らすような生活でした。

日中、空爆の瞬間を目撃したこともありました。鳥だと思っていたものから何かが発射され、瞬く間に町から黒煙が上がったのです。方角から、恐らく反体制派の拠点付近だと予測。ただちにスタッフ全員に連絡し、多くの死傷者を迎え入れるための緊急援助態勢の準備を急ぎました。

空爆が激化していた2016年7月、アレッポ市東部にある医療施設8軒はすべて攻撃を受けた © Hospitals of Aleppo
空爆が激化していた2016年7月、アレッポ市東部にある医療施設8軒はすべて攻撃を受けた © Hospitals of Aleppo

私はシリアへの派遣以前、スーダンやイラクなどの紛争地でも活動したことがあります。しかし空軍による空爆を経験したのはシリアが初めて。時折、戦闘機が飛んでいる音が聞こえると、空から襲われるかもしれないという恐怖に襲われました。日本に帰国した後もしばらくは、通常の旅客機の音を聞くだけで悪寒が走りました。

この内戦の発端は2011年、政府側に民主化を求めた市民による運動でした。政府軍と反体制派の対立までは確かに「内戦」でしたが、その後、政府を支えるイラン、反体制派を支えるトルコやサウジアラビア、カタールといった周辺国が相次ぎ介入。2014年には過激派組織「イスラム国」をターゲットとする米国が参戦しました。そして2015年、シリア政府から正式な要請を受けたロシアも加わると、テロリストを一掃するという名目で、反政府武装勢力が統制していた地域では病院や学校などがある人口密集地まで空爆される事態となりました。

シリアの人の中には、自由を求めて起こした行動が、いつの間にかさまざまな政治的思惑に「乗っ取られてしまった」と言う人もいました。私自身も複雑な対立の構図を見て、「これは単なる内戦ではなく、(周辺国や大国による)代理戦争だ」と実感しました。

こうした状況下、国連安全保障理事会には、停戦や、シリアへの支援活動の延長などを巡って何度も決議案が出されたものの、中国、ロシアが拒否権を行使。その後も決議案は否決され続け、シリアは国際社会に見捨てられたような状態が続いています。

シリア内戦の象徴でもあったアレッポの戦いは2016年12月、政府軍が反体制派を完全制圧し、終焉を迎えました。私たちが懸命にやってきた医療・人道援助とは、いったい何だったのか……。あの時の絶望感と瓦礫が積み重なる町の姿はいまも忘れることができません。

シリア活動記「それでも、未来を信じて」
《目次に戻る》

最新情報をお届けします

SNSをフォロー

  • Facebook
  • Twitter
  • Line
  • Instagram
  • Youtube

メールマガジンを受け取る

メルマガに登録する

特集をもっと見る