特集

キャリアのお悩み相談

2022.12.10

いつか海外協力の分野で働きたいけれど…

若者から寄せられたキャリアや支援の仕方についてのお悩み。現場経験が豊富な10人の国境なき医師団(MSF)スタッフが相談に答えました。
※10代~20代のSNSフォロワーとMSFボランティア登録者から質問をアンケートで回収(2022年10月)。

日本にいる私にできることは?

海外で苦しむ子どもの役に立ちたく医者をめざしています。自分より歳の若い子どもたちが栄養失調などで亡くなっていると知ってから、遠い日本にいる自分にもできることがないかと考えてきました。
もちさん/20歳女性、予備校生(福岡県)

いまの自分が目標につながっている

回答者:西野恭平<br> (内科医・疫学専門家)
回答者:西野恭平
(内科医・疫学専門家)
フィリピンのスラム街やストリートチルドレン……僕自身、国際医療を志したのは、学生時代の旅先で、自分の日常からかけ離れた現実を目の当たりにしたことがきっかけでした。もちさんのいまの気持ちは、僕がフィリピンで感じたことと共通する点があると思います。

ご自身では気づいていないだけで、もちさんは既に「日本にいる自分にできること」をやっていると思います。小さな子どもたちが亡くなっているという現実を知った「経験」を通して、医師を目指し勉強を始める「行動」に移した──それは、いま自分にできることをしている、そのものではないでしょうか。

子どもの死を含め社会課題に対しどう向き合うかについては、正解も王道もないと思っています。自分の場合はフィリピンに行った後、世界のことをもっと知りたいと思い、学校の長期休みのたびにバングラデシュ、インド、モンゴル、ケニアといった国々でボランティア活動などに参加しました。
ナイジェリアの国内避難民キャンプでMSFによる疫学調査を主導。共に働いた地域の保健スタッフたちと=2019年 © MSF
ナイジェリアの国内避難民キャンプでMSFによる疫学調査を主導。共に働いた地域の保健スタッフたちと=2019年 © MSF

世界に目を向ければ、専門家の常識からは考えつかない方法で結果を出している若者も沢山います。たった1人で気候変動のストライキを始めたグレタ・トゥーンベリさんは、世界的なムーブメントを引き起こしました。日本でも先日、17歳の川崎レナさんが教育を受けられない子どものために国際NGOの日本支部を立ち上げ、「国際子ども平和賞」を受賞しましたね。

ぜひ、いまの自分がやっていることが、世界の子どもの命を救うという目標につながっていると信じてやり続けてください。自分より歳の若い子どもが死んでしまう状況を「遠い日本にいる自分」として捉えなくなる日が、きっと来ると思います。そして、「自分に何ができるか」という問いは決して若者だけではなく、私たち大人も考え続けていることだと付け加えさせてください。

国際医療への思いも語った西野の記事はこちら「国境なき医師団の“意外な”仕事人たち【疫学専門家編】」新規ウィンドウで開く

Nishino's Turning Points

18歳 幼少期から目指していたプロサッカー選手の夢を断念。サッカーに関わり続けたいという思いから、チームドクターになろうと決意。
22歳 医学部在学中フィリピンへ個人旅行。スラム街など世界の現実を目の当たりにし、国際医療を志す。
41歳 国際医療活動を続ける中で、国や言語を超えた「人のつながり」の必要性と可能性を実感。NGO Seeds (現:一般社団法人Seeds)設立。

問題を探れば、自分との関わりが見えてくる

回答者:草谷洋光<br> (麻酔科医)
回答者:草谷洋光
(麻酔科医)
海外で苦しむ子どものことを知り、役に立てるよう医者をめざしたい。その思いは尊いです。 遠くの弱者に対し同情はできても、直接自分の手を差し伸べようとはなかなか思えない。実際に何かするのはさらに難しいです。

この思いには、2つの大切な要素があります。

まずは目を向けることでしょう。栄養失調に限らず悲しく理不尽な出来事は世界中にあふれています。災害、貧困、紛争、差別…… 。国内でも、在留外国人、部落差別、ホームレス、貧困、虐待など、挙げれば切りがありません。 これらの問題に対し、目を背け他人事としてスルーしていては何も変わりません。世界の現実を見て、つらい気持ちから逃げずに知る。 そうすれば世界はつながっていて、僕たちの日常が深く関連していることに気づかされます。
内戦下にあったスリランカで活動。病院の手術室で=2000年
内戦下にあったスリランカで活動。病院の手術室で=2000年
例えば以前、ソマリア沖で出没した海賊は、外国の大型船による近海魚の大量捕獲で、地元の漁師が海賊にならざるを得なかったことが要因の1つです。僕たちの食べる魚の缶詰がソマリア海賊の出現に関わっていたのかもしれません。

遠い国の子どもの栄養失調も、紛争、気候変動、格差社会、貧困、災害などが複雑に関わり、世界中の人の営みとつながっています。社会の問題に目を向け、その原因を探ることは重要です。いろいろな要因の最後にはいつも自分が出て来ます。

2つ目は手を差し伸べること。いくら手を差し伸べようとしても実現できなければ意味がない、という人がいるかもしれません。しかしその成否にかかわらず、可能な限り解決を追い続けることは大切です。

医者になり技能を身につけ現地に行けば、直接子どもたちを救う一端を担えます。世界の悲惨の原因に対し、自分の生活を少し変えることも重要です。無理のない簡単なことを実践し、周りに広める。どんな些細なことでもみんながやれば何かが変わるはずです。

Kusagaya's Turning Points

34歳 ドイツ留学で自分のスキルが世界に通じること、誰もが個性的で良いのだと知る。
40歳 大学病院を退職。社会的立場や生活基盤を失う不安、周囲に対する責任から離れる罪悪感を乗り越え自由を得る。
41歳 南極観測隊に参加し、学歴・肩書より実力こそが役立つことを経験。さまざまな場所で貢献するフリーランス医師に。

もし自分が死んだら?と思うと怖い…

将来MSFで助産師として働きたいと思っています。ですが両親に「もし戦地に行って何かあったらどうするの?」と聞かれ、急に怖くなりました。たくさんの人を助けたいという気持ちはあるのですが、自分がもし死んだらどうしよう、、という不安もあります。どうしたらいいのでしょうか(泣)
ぴろさん/17歳女性、高校生(愛知県)

不安を一人で抱え込まないで

回答者:土岐 翠<br> (助産師)
回答者:土岐 翠
(助産師)
ぴろさんの気持ちは本当によくわかります。私も恐怖心がわき出て、半年以上もMSFへの応募を尻込みしていたので。でも「助産師になったのはMSFに入るため、このままじゃ人生終われない」と勇気を振り絞って応募したのです。

最初の派遣地がイラクに決まると、友達からは危険地域レベルの情報が送られてきたり、お別れの写真を撮られたり。怖くなるばかりでしたが、吹っ切れたのはMSFのスタッフに「イラクのどこ? 美味しいレストランがあるよ!」と普通に言われた時。当たり前ですが、そこで暮らす人たちがいることを想像できたのです。現地へ行くと、スタッフを守るための安全対策はとても厳重なもので、信頼することできました。
イラクの病院でベビーマッサージを指導=2019年 © MSF
イラクの病院でベビーマッサージを指導=2019年 © MSF
2回目の派遣で打診されたのは、紛争地のイエメン。前線に近い場所でかなり迷いました。送られてきた事前資料をむさぼるように読むと、最後のページに1枚の写真が貼られていたのです。病院の待合室で、ぎゅうぎゅう詰めになって赤ちゃんを抱える母親たちの写真──皆ニカブ(目以外の顔と髪を覆うベール)を着ていて、顔の表情も年齢も分かりません。この女性たちは何に苦しみ、どんな助けが必要なのかな?と考えた瞬間、行かなきゃわからないなと思いました。イエスと言えばすぐにそこへ行けて、この人たちの手を握って話しかけることもできるのです。気づけばイエメン行きを承諾していました。

“自分の命を危険にさらしてまで誰かを助けられるか”と考えたり、恐怖心を抑え込んで無理に人助けに行ったりする必要はないと思います。

私は世界で自分にできることを知ってから、自分と人の命を天秤にかけなくなりました。 MSFだからこそ行ける場所があり、そこで助けを待つ人たちと関わる時間は何にも代えがたいものです。行かなければ見えない景色が広がっています。まず関係者の話を聞くなどして、安心してもらえたら嬉しいです。

土岐のMSF入団についての記事はこちら「派遣決定をなかなか言えずにいた娘、本当は真っ先におめでとうと言いたかった父」新規ウィンドウで開く

Toki's Turning Points

14歳 自分より小さな子どもが銃を携えている映像に衝撃を受け、「私は途上国で働く」と心に決める。
21歳 学生数より教師の方が多い助産コースで厳しさにくじけそうになりつつ、命を救う仕事への思いが固まる。
34歳 派遣先のイラクで現実と国際協力の難しさに直面。「種をまかないと花は咲かない」という言葉が支えに。

語学力が心配です

語学力が著しく低いので、いざ勉強しても、さまざまな言語が飛び交う現場で働けるようになれるのかが心配です。
いれいさん/19歳男性、エアコン工事業(千葉県)

ボキャブラリーの多さではない

回答者:宮家佐知子<br> (ヘルスプロモーター)
回答者:宮家佐知子
(ヘルスプロモーター)
いろいろな国籍の人と日本国外で働くには、コミュニケーションの手段として英語やフランス語など他の言語を使えるようになることが必要です。ただ、ここでいう語学力というのは、複雑な文法や難解な単語を用い、きれいな発音で会話をすることではありません。中学や高校で習うようなシンプルな文法や限られた語彙でも、相手に意図を伝えようとする・伝えることができる語学力です。

例えばMSFの活動地では、英語を第一言語とするスタッフは少なくて、多くのスタッフが第二言語・第三言語として話す環境が大半です。多少文法が間違っていても、発音がきれいでなくても、お構いなし。みんな、どんどん発言します。
中央アフリカ共和国で健康教育のため小学校を訪問。生徒たちと=2021年 ©MSF
中央アフリカ共和国で健康教育のため小学校を訪問。生徒たちと=2021年 ©MSF

語学力が高いほど、コミュニケーション力に長けているというわけでもありません。英語を母国語とするアメリカ人やイギリス人なら、いつでもスタッフと良い関係が築けるとは限らないのです。流ちょうに話せる人が素晴らしい発言をできるというわけでもありません。語学はあくまでも手段であり、重要なのは、自分の意見を伝えようとする姿勢や相手のことを知ろうとする姿勢だと私は思います。

ただ、MSFで働く場合、自分の職種である分野の専門用語は、事前に学んでおく必要があります。私たちのような海外派遣スタッフは、ある部署のマネージャー職になることが多いので、業務を部署のスタッフに説明できる程度の語学力は必須です。

語学の習得は終わりがない旅のようなもので、日々学んでいくものだと思います。ご自身の専門分野に関する語学力を磨きつつ、対人コミュニケーション力も鍛えていくと道は開けると思います。

宮家の体験談はこちら「意識の高い現地スタッフと協働し地域へ活動周知」新規ウィンドウで開く

Miyake's Turning Points

10歳 1984年のエチオピア大飢饉時、難民キャンプで働く日本人女性のインタビューをテレビで見て、国際協力の仕事に興味を持つ。
25歳 JICA青年海外協力隊(当時)として、ネパールの片田舎で村落開発活動に従事。国際協力分野でキャリアを積むことを決意。
41歳 政府開発援助(ODA)の仕事に10年以上従事した後、英国で公衆衛生を学ぶ。専門性を生かす仕事に挑戦するためMSFに参加。

いろいろな国の人とたくさん話してみる

回答者:ガスパー・シュラキ<br> (事務局リクルート・マネジャー)
回答者:ガスパー・シュラキ
(事務局リクルート・マネジャー)
確かに文化的に多様な環境で働くのはちょっと怖いし、ストレスを感じるかもしれませんね。MSFの現場で働く場合は、英語(できればフランス語も)で話すスキルは、重要かつ不可欠なものです。

私たちの仕事は患者や弱い立場の人たちのケアをすることですから、同僚とのコミュニケーションをきちんと取る必要があります。また、異なる国や文化の人たちと一緒に働くことは、語学テストに受かるのとは違う難しさがあります。発音や表現方法は人によってさまざまで、解釈を間違えたり誤解したりすることがよく起こるからです。

私自身はできるだけいろいろな国の人と話し、旅行して異文化にも接するようにしています。日本に移住する前は、母国フランスで日本語を少し勉強していたので、簡単な会話ならどうにかなると思っていました。ところが実際に来てみると「何もわからない!」 でも、日本に住んで2、3年の友人たちがちゃんと会話しているのを見て思ったんです。「待てよ、きっと彼らだって特別に秀でているというわけではないのだから(笑)、自分も頑張ればこのレベルに達するはずだ!」と。

そこで文法や語彙の勉強のかたわら、なるべくたくさん話すようにし、自分の居心地がよい場所から抜け出すようにしました。そしていま、日常生活では日本語で人と接することができるようになったのです。
コンゴ民主共和国での緊急対応プロジェクトに参加=2009年 © MSF
コンゴ民主共和国での緊急対応プロジェクトに参加=2009年 © MSF

Gaspard's Turning Points

9歳 エチオピア内戦で飢餓状態に陥った子どもたちのTV映像を見て、世界には多くの苦しみがあることを知る。
27歳 ビジネススクール卒業後、企業勤務するものの、収益以外の価値がある仕事を求めるように。MSFに参加。
31歳 MSFフランス事務局で働いた後、旅行先の日本が気に入り頻繁に訪れるように。2017年日本事務局の人事部に着任。

助けになりたい一般人はどうすればよい?

学生の頃から、いつかは自分も海外協力の分野で何かの助けになりたいと考え続けています。就活ではこの分野の仕事を1日体験する企画にも参加。でも英語を自由に話せず、国際援助を専門で学んだこともない私は結局、一般企業に就職しました。寄付なら自分にもできると思いますが、それ以外に一般人ができることはありますか?
jjさん/28歳女性、会社員(愛知県)

目に見えない多くの支え方がある

回答者:白川優子<br> (看護師/事務局職員)
回答者:白川優子
(看護師/事務局職員)
実際に現場で活動したことがある私のような人間には、「現場に行くことだけが人道援助の全てではない」ということがとてもよく見えます。現地での活動は、目には見えない多くの支えがあって成り立っているのです。jjさんが仰っているように、寄付の活動はその一つにあたるでしょう。

例えば事務局では、1人の海外派遣スタッフを現場へ送り出すまでに多くの人たちの力が動いています。とても複雑なビザの手配や、現地までの安全なルート確保と手配なども、数多い支えの一つです。出発前にはトレーニングも受けてもらいますが、そこでも多くの講師が関わります。また、本人を送り出す家族や、派遣のために休暇を許可してくれた職場の温かい理解、不在中の仕事を担ってくれる同僚たちも、日本にいながらにして人道援助を支える大きな要です。
突然戦闘がぼっ発したイラクで緊急の外科プロジェクトを立ち上げた。たくさんの職種のスタッフが世界中から集まり何もない場所にテント病院を立てた © MSF
突然戦闘がぼっ発したイラクで緊急の外科プロジェクトを立ち上げた。たくさんの職種のスタッフが世界中から集まり何もない場所にテント病院を立てた © MSF

残念ながら、いまの日本ではまだまだ海外の人道危機が起きている現場へ支援に行くことが、困難な状況にあるといえます。周囲の反対や、職場からの理解が得られず退職を余儀なくされるなど、障害を恐れてなかなか一歩を踏み出せないという声は非常に多く聞かれます。そこで事務局の方でも、人道援助に対する理解をもっと日本社会に広め、派遣に行きやすい環境を整えることが、現場での人材不足の改善にもつながると考えています。

最近ではありがたいことに多くの学校や民間団体からも関心を頂き、講演などを通じて私たちの活動を広める機会が増えています。日本の社会の中で関心や理解を高めることが、実は遠い国の人道援助につながるということを知って頂けたらと思います。

jjさんも、まずはすぐ近くにいる家族や友人と人道援助について話す機会を作ってくださればとても嬉しいです。また、現場に行きたいという人がいたら、ぜひ協力や応援をしてあげてください。

いとうせいこうさんと白川が対談した記事「人間の言葉を伝える」新規ウィンドウで開く

Shirakawa's Turning Points

7歳 テレビでMSFのことを知り、その存在が心の中に刻まれる。
29歳 MSFに参加するための英語を身につけるべく、オーストラリアに渡る。現地の看護師資格を取り、医療機関で働く。
36歳 長い夢を叶えMSFに初参加。これが自分の進むべき道なのだと実感し、以降18回の派遣を経験。

「専門スキルがない」キャリアをどう築く?

大学時代に東アフリカで1年間ボランティア活動し、国際援助分野を志すようになりました。しかしどのようにキャリアを始めたらよいかわからず、一般企業に就職。5年経ったいまも熱が冷めることはなく、転職を考えています。MSFのロジスティシャン職に興味がありますが、専門スキルがない私はどんなキャリアを築けばよいのか、日々悩んでいます。
mocopocoさん/28歳女性、会社員(千葉県)

多岐にわたる仕事から自分に合うものを見つける

回答者:松本卓朗<br> (ロジスティシャン/事務局職員)
回答者:松本卓朗
(ロジスティシャン/事務局職員)
mocopocoさんと同様の悩みを抱えていらっしゃる方は、実は結構おられます。

MSFのロジスティシャンの仕事は非常に多岐にわたります。病院やスタッフの宿舎がないときはそれらを建築し、上水道のないところでは清潔な水を提供。電気がない場所では電力の安定供給を行い、車両や通信機器、医療機器の管理なども担います。また、医療援助活動に必要な医薬品やその他の物品を、タイムリーに現地へ供給する物資調達も重要な仕事です。

どれも経験がなく、何をしていいのかわからない場合は、まずMSFの活動内容を知ることから始められてはいかがでしょうか。この公式Webサイトでは活動レポートや動画を掲載しています。また、非医療従事者向けの説明会に参加いただければ、経験者の話を聞くことができます。

その中で何かご自身で興味がありそうなものが見つけられたら、その分野の勉強を始めたり、転職してその分野で活動している団体で経験を積まれたりするのがよいかと思いました。

そしてそのプロフェッショナルとしての経験を生かす時が来たら、是非MSFに応募していただけると嬉しいです。

アフリカ南東部のマラウイで現地スタッフと共に自動車を整備=2010年 © MSF
アフリカ南東部のマラウイで現地スタッフと共に自動車を整備=2010年 © MSF

松本の記事はこちら「援助活動の“チームの要”コーディネーターとは」新規ウィンドウで開く

ロジスティシャンなどMSFの非医療職種についてはこちら「あなたのとなりにも国境なき医師団がいます」新規ウィンドウで開く

Matsumoto's Turning Points

25歳 勤めていた医療機器会社を辞め、ワーキングホリデーで渡豪。またバックパッカーとして数カ月東南アジアをまわり見聞を広げる。
27歳 父に勧められMSFに入団。以後、11回の海外派遣を経験し、ロジスティック・コーディネーターも務める。

医学生がMSFに入るには?

将来MSFで働きたいと考えている医学生です。しかし病院を辞めて入団するまでの過程がイメージできず、漠然とした不安を抱えています。MSFの先生方はどのようなキャリアを通して入られたのでしょうか。仕事や人間関係で気をつけていたこと、大切にしていたことはありますか。
Kさん/25歳、医学部学生(栃木県)

臨床力を身につけ、仲間を大切に

回答者:鈴木美奈<br> (産婦人科医)
回答者:鈴木美奈
(産婦人科医)
私も小学2年生の時からMSFで働くことを思い描いてきました。これまで6年間、日本での病院勤務とMSFを両立させている産婦人科医です。

大学卒業後は、まず多種多様な状況に対応できる臨床力が必要だと考え、医局に入局。3カ月~11年単位で複数の病院を回りながら、専門医や学位を取りました。実のところ、この修練中は日本での臨床がおもしろくて、MSFを忘れていた程です。

40歳を超え、一通り何でもできる自信がついた時、MSFのことを思い出しました。その頃には金銭面、キャリア面でも自立してやっていける余裕が持て、医局を辞めてMSFに参加するつもりでした。しかし幸いなことに医局内の先輩・後輩から協力が得られ、医局を辞めることなくMSFを続けることができています。
ナイジェリアで回診をする鈴木(中央)=2017年 © MSF
ナイジェリアで回診をする鈴木(中央)=2017年 © MSF

仕事では最重症の臨床に関わったり見学したりして、幅広い臨床力を少しでも早く身につけようとしてきました(いまの働き方改革とは程遠い勤務形態で、病院滞在時間は長かったですが……)。

人間関係で大切にしてきたのは、困った仲間がいれば当直や勤務を交代し、お互いのサポート体制の構築を常に意識することです。そうすれば自分が抜けたいときも抜けやすいですし。MSFとの両立が始まってからは、「日本にいる時は当直を多くするよ。いつでも外来、手術を手伝うよ」と宣伝しています。 海外の活動に行かせてくれる同僚、病院スタッフにはいつも感謝していて、自然と皆のために何かできることがあればしたいと思うのです。

鈴木の記事はこちら「所属医師が国境なき医師団に参加 その決断を応援する理由とは」新規ウィンドウで開く

Suzuki's Turning Points

7歳 MSFの広告を見て、いつかはMSFで働きたいと思うように。
25歳 医学部を卒業。その後は類にもれず医局に入局し、医局人事として複数の病院に勤務。
44歳 MSF参加に向けて準備開始。

フリーランスという選択肢も

回答者:真山剛<br> (救急医)
回答者:真山剛
(救急医)
僕の場合、高校生の時に母が寄付をしていたMSFのニュースレターを見て、熱帯地域の感染症に興味を持ったことがきっかけです。でもMSFは遠い存在で、自分が入れるとは思っていませんでした。

東日本大震災を経験した研修医時代、専門として選んだのは感染症ではなく救急医療。被災地で活動し、ものが全くない環境ではどんな医者が必要とされるかを知ったからです。専門のドクターがいなくても救急医が1人いれば幅広く対応できる、という気づきを得ました。

後期研修では国際医療協力の部門がある国立国際医療研究センターに入り、2カ国へ派遣。専門医の資格を取る時期にMSFを意識し始め、就職先の病院にはMSF参加の可能性を交渉した上で受け入れてもらいました。
イエメンで脳マラリアを患った子が退院。家族も共に=2019年 © MSF
イエメンで脳マラリアを患った子が退院。家族も共に=2019年 © MSF

いまはフリーランスの医師として毎年MSFの派遣に行っています。これは救急医の強みですが、夜間や週末など救急ニーズが高いので、国内でも仕事に困ることはありません。大学や研修時代によい人間関係を保っておけば、フリーになってからも情報をもらえたりします。

福利厚生がないことをデメリットと捉えなければ、好きな時に好きなことができるフリーランスは僕にとって良い面ばかり。MSFで続けていくには、この働き方が一番自分に合っていると思います。

大切にしていることは「医者から好まれる医者」になることでしょうか。医師も万能ではなく、得意・不得意分野があり、不得意なことを専門の医師にすぐ相談できるのかどうかは、患者さんへの治療の質にかかわります。そういった面でも医療者同士の人間関係は大事です。

真山のキャリア、詳しくはこちら「自分の信じた道を──フリーランスの救急医 信念を胸に現場へ」新規ウィンドウで開く

Mayama's Turning Points

20歳 東京大学在学中、興味があるゼミを回って、自分に合うのは研究職でなく対人仕事だと確信。
26歳 東日本大震災で現地入りし、救急医療のニーズの高さを実感。めざす専門を感染症医から救急医に変更。
32歳 MSFの現場で、欧州から来た医療スタッフの多くがフリーランスであることを知る。自らの働き方に。

医療の道に進んだけれど迷っています

国境を越えて活躍する人たちの存在を知り、途上国で働く夢をもっています。大学は薬学部へ進み、勉学に励んでいますが、私には医療ではなく他に向いているものがあったのではないかと不安に思うことがあります。医療の道に進むことに迷ったことはありますか?    医療資格を持っているけれど、別の分野でMSFの活動をしている方はいますか?
モネさん/20歳女性、大学生(新潟県)

見つかった時にキャリア転向をすることも

回答者:上村三徳<br> (看護師/事務局勤務)
回答者:上村三徳
(看護師/事務局勤務)
私は看護師の資格を持ち、現在はMSF日本の事務局で働いています。MSFでは、手術室看護師として派遣活動を2回経験しました。

2回目の派遣から帰国した後、これからの自分の人生を改めて思い描いてみました。その時、看護師以外のスキルを身に着けたいと思い、キャリア転向を決めたのです。

いろいろありましたが、結果的にWEB制作/デジタルマーケティングの会社に就職し、その分野の知識と経験を積みました。そして身につけたスキルを医療の道へ活かそうと考えていた矢先、MSF事務局が海外派遣経験とデジタル知識をもつ人材を募集しており、現在の仕事に就くことができました。
イエメンで手術室看護師のスーパーバイザーとして活動=2018年 © MSF
イエメンで手術室看護師のスーパーバイザーとして活動=2018年 © MSF
いま私が思うのは、どちらの仕事も自分に向いているけれど、やはり最終的には医療者として現場で活動したいと感じています。医療者はいつでも医療の現場に戻ることができる(もちろんブランクを埋める必要はありますが)、ということが一つの強みではないかと思います。

薬学の勉強に励んでおられるモネさん。私個人の意見になりますが、まずは薬剤師として経験を積んだ後で、他に向いているものが明確になれば、キャリア転向をすることもありなのではないかと思います。その過程で、きっと医療の道に進んでいて良かったと思える日が来ると私は信じています。

上村の体験談はこちら「医療も生活も、日本では体験できないことばかり」新規ウィンドウで開く

Kamimura's Turning Points

27歳 大分大学医学部附属病院に在籍中にベトナムでの口唇口蓋裂無償手術活動に参加。その後、海外医療の道に進むことを決意。
34歳 MSFに入団し、イエメン/イラクの派遣活動に参加。
38歳 キャリア転向後、MSF日本事務局のフィールド人事部に勤務。

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