海外派遣スタッフ体験談
念願のフランス語圏での活動に参加、新たな気持ちで:畑井 智行
2018年02月08日畑井 智行
- 職種
- 看護師
- 活動地
- 中央アフリカ共和国
- 活動期間
- 2017年8月~12月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
2017年の目標だったフランス語圏の活動に参加するためです。前回のイラクでの活動終了後、休養中にオファーをもらい、決めました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?
イラクから帰国後、国内旅行でリフレッシュしました。その後、パリで7週間、語学学校に通い、そこから中央アフリカの活動に参加しました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

冷蔵庫の電源はソーラーパネル
これまで活動に12回参加しましたが、フランス語圏は初めてでした。ルールや仕事内容は同じなので、これまでの薬剤管理業務の経験が活きました。
薬局内だけでなく病棟にも積極的に足を運びました。本職の看護師としてMSFの活動で培った経験を生かし、医療器具や薬剤の使用方法などを現地の看護師に指導しました。
これまでの経験は、会議で改善点や今後の展開案を議論する際にも役に立ちました。過去の活動で作成した薬局の書類、システム、トレーニングなどを英語からフランス語に翻訳し、役立てることができました。
薬なしでは医療活動は成り立ちません。薬局業務は、活動の生命線です。中央アフリカは、内戦の激化による国内避難民と、隣国のチャドやカメルーンから逃れてきた難民が大勢いるため、薬剤需要が前年対比で約2倍となり、輸入・輸送が追いついていませんでした。
MSFがフランスから発送した物資も間に合わず、国内のほかの活動地などと貸し借りをしてしのぎました。MSFは首都に、全プロジェクトの薬剤業務を統括する薬剤コーディネーターを置いていますが、担当者が不在の折は業務をカバーしていました。また交通事故など多くの患者が発生した際には、救急看護師としても活動しました。
MSFがフランスから発送した物資も間に合わず、国内のほかの活動地などと貸し借りをしてしのぎました。MSFは首都に、全プロジェクトの薬剤業務を統括する薬剤コーディネーターを置いていますが、担当者が不在の折は業務をカバーしていました。また交通事故など多くの患者が発生した際には、救急看護師としても活動しました。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

北西部にあるパウワ県の県都……といっても公共電気もない片田舎でした。唯一の病院や地域の診療所を、MSFは2006年から支援しています。そこの薬局業務を管理・運営することが役割でした。
病院でMSFの担当は、救命救急、小児科、新生児室、集中治療室、栄養失調病棟、結核病棟、HIV診療所、放射線科、滅菌室、検査室でした。県が担当する成人病棟、産婦人科、外科の薬剤も常に不足しているため、MSFは医薬品の寄贈もしていました。外科手術の機能はなく、首都バンギのMSFが支援する病院までMSFの飛行機で搬送していました。
薬局はこれまで、病院から離れた場所にあるオフィスの近くの大きな倉庫内に設置し、そこから病院まで運んでいました。一方、今回は病院内に薬局を立ち上げました。
まずは薬局と病棟との受発注システム整えること。そして現地スタッフの指導、棚卸、病棟との請求システム作り、後方支援との請求システム作り、医薬品の温度管理、施錠が必要な管理薬品の管理、などが主な業務でした。
外国人派遣スタッフは9人。プロジェクト・コーディネーター、医療チームリーダー、看護師長、医師、看護師(地域診療所担当)、薬剤マネジャー、ロジスティシャン2人、アドミニストレーター1人でした。現地スタッフは、医療チームで約100人、全体では約150人いました。

主な症例は、マラリアと栄養失調でした。マラリアはアフリカでは一般的な病気で、蚊が大量発生する雨期には、流行がピークに達します。
私は今回、初めてかかりました。予防薬を毎日飲んでおり、かかったことがわかってすぐに治療薬を飲んだので重症化せずにすみました。ただ、夜中に突然高熱がでて関節も痛く、トイレと水分補給以外、2日間ほとんど眠り続けました。
今回は長期・継続的な活動でした。過去12回がすべて緊急援助だったので、私にとっては初めての経験でした。過去のデータを見ることで栄養失調にも変動があることを学びました。季節によって入手できる食料が限られるからだということも改めてわかりました。
- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

午前6~7時に起床後、水のシャワーを浴び、朝食。7時30分に始業し、薬局や病院を回ったり、さまざまな会議に参加したり、首都にあるMSFの拠点とメールで情報交換をしたりしました。午後1~2時に昼食をとり、午後も同様の業務をしていました。夕食は午後7時~10時ごろ各自でとりました。
金曜の夜にはプロジェクターで映画を上映してみんなで見たり、土曜の夜にはテレビでサッカーを見たりして過ごしました。
唯一の休日の日曜日は寝だめの日。交通事故はなぜか週末が多く、緊急で駆け出すこともしばしばでした。休める日は村の市場に行って食材を買い、日本料理やタイ料理を作ることもありました。夕方はみんなで空港や村の中をジョギングしていました。
活動期間の後半、治安が不安定になり、一時外出禁止になりました。そのときは施設内でバトミントンや卓球、エアロビクス、筋トレなどをしてストレス発散と運動不足の解消をしていました。
- Q現地での住居環境について教えてください。

「これぞMSF」というくらい典型的な宿泊環境でした。蚊帳つきベッドと机と扇風機だけの部屋。水シャワー。ボットン便所。自家発電。天気に左右されるインターネットとテレビ。日本に比べると最低限の必需品だけの生活です。
食事はコックさんが作ってくれます。現地で手に入る野菜は小さく少ないですが、地鶏とヤギは目の前で絞めるので鮮度が良かったです。雨期には月に一度ほど、アフリカの大きな川魚をいただきました。
その他の物(穀物や缶詰や乾物、コーヒー、紅茶など)は全て空輸品でしたが、舗装されていない空港は雨期には水没することがあり、2週間ほど飛行機が飛ばない時は食料に困りました。
栄養失調の人も多い状況なので、ぜいたくはできません。以前、南スーダンやエチオピアでも同様の経験があったので、なんとか我慢できました。
掃除と洗濯は現地スタッフがやってくれるので、仕事に専念できました。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

何度参加しても新たな発見があり、そこがこの仕事の面白いところだと思っています。今回は初めてのことが多く、たくさんの刺激をもらいました。
最も苦労したのは、言葉。母国語やこれまでに慣れた第2言語の英語はなんて簡単なんだろうと、フランス語で苦戦するたびに感じました。英語を使い始めたころの、言いたいことが言えないつらさを思い出しました。
日常会話がやっとできる程度でやってきて、周りはフランス人とフランス系アフリカ人のみの環境。初めはアフリカ訛りがまったくわからず。それでも自分の仕事の役割を止めることはできないので、腹をくくってガムシャラに食らいつきました。
自分の伝えたいことは例え文法がおかしくても、必死さが伝わり、みんな時間をかけて聞いてくれます。そこに少しのユーモアを加えると、毎回嫌がらずにコミュニケーションをとってくれます。
例えば、マラリアから回復したとき、「ゲーリ?」と聞かれました。フランス語で"治る"の意味だとわからず、想像力も働かずに"下痢"をイメージして「違う」と答えると、「じゃぁ寝てなさい」と言われます。「もう働ける」と言うとまた「ゲーリ?」と聞かれます。これを繰り返し、あとで日本語の意味を伝えるとみんなで大爆笑。仲間の優しさに助けられて過ごした日々だと感じています。

現地の人たちからはジャッキー・チェンと呼ばれました。どこに行ってもみんなが呼びかけてくれ、手を振り、家から道に出てきて握手を求めてくれます。道端で食べ物を分けてくれることもありました。虫料理や果物もわけてくれました。変わりに空手の型を披露すると、また喜んで人だかりができました。
12月のある日、サンタの帽子をかぶって仕事をしていました。薬の配達途中、近所の子どもたちにドイツの友人から送られてきたお菓子を配っていたら、女の子がピーナッツを逆にくれました。サンタさんはプレゼントをあげるもの、という固定概念を覆してくれました。
村にはテレビが数台しかなく、ラジオが主な娯楽でした。ぼろぼろの服を着て、ぼろぼろのサッカーボールで遊ぶ子どもたち。仕事中のささいなやりとりの中で、村の人たちの笑顔に癒され、言葉が通じないことくらい大した事じゃない!そう思い直しました。言葉の壁から逃げたくなることも初めはありましたが、踏みとどまれました。現地の人びとにも感謝がいっぱいです。
- Q今後の展望は?
少し休みます。今後も緊急活動に行き続けたい気持ちは変わりません。フランス語はもっと上達する必要があるので帰国後も続けます。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
説明会や個人的な相談を受ける時の多くの質問は英語に関することです。語学力はコミュニケーション力だと思っています。活動地ではいろいろな国の出身者が、それぞれのアクセントでやり取りをしています。語学の試験で点数ではなく、いかに伝えられるか、理解しあえるかが大事なので、その練習をしていくことが大事だと思います。ほとんどの人が言いたいことをひたすら言ってきます。聴く力を持つ日本人の特徴を出せると良いと思います。
MSFの現場でもっとも大切なのは対応力と応用力です。活動地の多くは整った環境などありません。だから私たちが整えに行きます。臨機応変に対応するためにはさまざまな経験が必要です。
経験に勝るものはなし。直接関係ないことでも、役に立ちます。バックパッカーをした経験、調理師をした経験、マッサージ師をした経験、農家で働いた経験、趣味で走ったり登ったり潜ったりした経験、キャンプをした経験。専門分野での経験はもちろんですが、多方面の経験を得て参加してください。楽しいチーム、楽しい日々になります。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2017年2月~4月
- 派遣国:イラク
- プログラム地域:カイヤラ、アルビル
- ポジション:薬剤マネジャー
- 派遣期間:2016年10月~2017年1月
- 派遣国:リビア/チュニジア
- プログラム地域:チュニス
- ポジション:薬局責任者
- 派遣期間:2016年6月~2016年8月
- 派遣国:イエメン
- プログラム地域:サアダ
- ポジション:看護師
- 派遣期間:2015年7月~2015年10月
- 派遣国:日本
- プログラム地域:熊本県
- ポジション:看護師
- 派遣期間:2015年11月~2016年2月
- 派遣国:タンザニア
- プログラム地域:キゴマ
- ポジション:薬局責任者・管理者
- 派遣期間:2015年7月~2015年10月
- 派遣国:ネパール
- プログラム地域:チャーリーコット
- ポジション:医療チームリーダー
- 派遣期間:2015年5月~2015年6月
- 派遣国:ネパール
- プログラム地域:カトマンズ
- ポジション:看護師
- 派遣期間:2015年3月~2015年5月
- 派遣国:南スーダン
- プログラム地域:マラカル
- ポジション:看護師兼薬剤マネジャー
- 派遣期間:2014年12月~2015年2月
- 派遣国:リベリア
- プログラム地域:モンロビア
- ポジション:看護師
- 派遣期間:2014年3月~2014年9月
- 派遣国:エチオピア
- プログラム地域:ガンベラ州
- ポジション:看護師
- 派遣期間:2013年8月~2014年2月
- 派遣国:南スーダン
- プログラム地域:アウェイル
- ポジション:看護師