海外派遣スタッフ体験談

現場の責任者として関係各所と交渉も:萩原 健

2018年06月15日

萩原 健

職種
プロジェクト・コーディネーター
活動地
イエメン
活動期間
2017年12月~2018年3月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

人道・医療援助のニーズは尽きません。MSFは、一過性ではない継続的な活動を可能にする資金力、人材、物資供給能力、安全管理能力など全般的な運営能力があり、それと同時に、緊急時に対応できる柔軟性や機動力をも併せ持っています。

さらに、独立・中立性を機軸の一つとしているからこそ、活動する上で直面するかもしれないさまざまな障害を乗り越える突破力と交渉力を持ち、複数の紛争当事者が存在する地域での活動を可能にしているとも言えます。

そういった意味で、MSFだからこそ活動できる医療援助の現場が多々あり、自分の経験を生かせる組織であると思い活動を続けています。活動参加の打診、受入れから出発まで、イエメンへの入国ビザ取得に時間がかかり、1ヵ月程かかりました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回のイラク・モスルでの緊急援助活動を終え、休養が必要でした。帰国後1ヵ月ほどしてから今回の活動の話を始めました。特に何をするというわけでもなく、気ままな時間を満喫していました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

武器持ち込み禁止のサインの前で
武器持ち込み禁止のサインの前で
イエメンでの活動は、9年前(2009年)、7年前(2011年)に続き3度目になります。毎回、活動に行く際には、過去に経験した現場でもできるだけ先入観にとらわれないように、と心がけています。

過去10年間に、中東地域全体の地政学的構図は大きく変わりました。過去の派遣先の中でも、イエメン、トルコ、イラク、シリア、リビアといった中東地域での活動経験は、国際政治・経済情勢の変化など外的要因に影響され、揺れ動く現場での状況を分析、理解、よりニーズに沿った、かつ現実的なプロジェクトを構築する一助になっています。
 
イエメンでは、北部地域において政府・反政府間の第6次内戦が始まり(2009年)、中東の民主化運動の潮流の中で北部・南部内戦が激化(2011年)、そして今、サウジアラビア主導連合軍による軍事介入も加わり、9年前、6年前と比べると情勢は様変わりし、複雑化しています。
 
非医療従事者でありながら、現場責任者として何が出来るのか、何をしているのか、と質問されることがあります。私自身、現場責任者であるプロジェクト・コーディネーターや、その国の全プロジェクトを統括する活動責任者としての経験を積んでみて、あらためて重要性を実感した役割があります。それは、チームが医療援助活動を遂行、継続できる必要最低限な環境条件を整え、確保することです。
 
現地当局からの理解が得られなければ合法的な活動は出来ませんし、紛争当事者の理解が得られなければ紛争の戦線を越えて活動をすることも出来ません。ただ闇雲に空爆のリスクを受け入れて、チームを危険にさらし続けることは出来ません。医療従事者・組織が行う医療活動、その根本にある医療倫理に対する理解が得られなければ、医療従事者の下した医療判断が脅かされる局面すら、あり得ます。
 
MSFがどれほど崇高な理念を持っていたとしても、必要最低限の条件と環境が整わず、結果として、真に治療を必要としている人びとに到達できなければ、チームは医療援助を直接提供することはできません。プロジェクト・コーディネーターや活動責任者としての活動は、医師団の使命と人道・医療援助という名の下に、積極的に理念と使命を内外の関係当事者に説明、働きかけをして成就できるものです。
 
「縁の下の力持ち」と理解されることもありますが、プロジェクト・コーディネーターや活動責任者の活動は単に、影ながら医療活動を支える活動とは異なるものです。専門性を持つ個々のチームメンバーの考えを集約し、ニーズに応えられる現実的な活動の枠組みを作り、それを具現化させていくために、人道・医療援助団体としての使命、私たちが何者なのか、意図、目的、そのために何が必要なのか、といったメッセージを内外に発信していく必要があり、それにより、継続的な医療援助活動が可能になります。過去の異なる環境での経験は、体外的な折衝、交渉をする上で大きく役立っています。
Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

搬送用のMSFの救急車
搬送用のMSFの救急車
アッダレ州は、同じ州内でも、地区によっては、体制を巡る異なる主張が存在します。かつての北部と南部の問題は依然残っており、2015年以降はそれにフーシ派の主張が加わり、さらに、前大統領支持勢力、周辺諸国など、異なる思惑と主張の下に、政治的な混迷を極めているとも言えます。

MSFのチームは、アッダレ州で救急救命の為の医療サービスの提供と、起こりうる感染症の流行に対応することを主な目的とし、同一州内のイデオロギー的な境界を越えて、州全土にわたって医療援助を行ってきました。
 
4つの医療施設では、総勢約170人のMSFスタッフと約70人の現地保健省スタッフが活動していました。具体的には、3つの行政区画にある保健省管轄下の1次医療レベルの施設を支援しながら、緊急の状態にある患者に対する応急措置、容態安定化、州都にある病院への搬送を行っていました。また州都にある病院では、蘇生措置と外科治療を行い、さらに高次な治療が必要な場合は、州境を超えて搬送をするという内容でした。
 
北方と西方40キロ程度の距離にはそれぞれ紛争の戦線があり、負傷した戦闘員や市民が病院に運ばれてくることもありました。それでも過去に激しい交戦があった時と比べると、交戦による直接的な患者数は下降傾向にありました。一方で、局地的な家族間の争い、部族間争い、武装グループ間の争い、交通事故、岩崩れ、滑落、といった理由での外傷、特に銃創患者はむしろ増加傾向にありました。
 
私が着任した当初、一時期イエメン全土を襲ったコレラは終息へと向かっていましたが、栄養失調の患者数は依然、一定程度の水準にありました。コレラ治療センターを撤去して2週間程して、今度はジフテリアの患者を受け入れ始め、そのための隔離病棟を設置する必要があるなど、対応に追われました。国情が安定しない状況では、今後も、いつ何時にでも感染症がまん延する可能性も否定できません。
 
救急車での搬送は、時に不安定な治安状況が、時に迂回ルートの無い交通事情が、時に敵対する紛争当事者間の疑心がMSFにも向けられ、障害となったこともありました。また、現地コミュニティーの抱えるニーズの全てをMSFが補完することは不可能で、救急救命をプロジェクトの主な目的とするMSFの優先順位を理解してもらうには、大きなエネルギーを要しました。
 
9年前と比べると、国連の人道・医療支援機関、国際NGOや海外メディアが同国の情勢に関心を寄せるようになりました。国際社会から顧みられない状況は、人道的観点から危機的な状況と言えます。そういった意味では、イエメンに対する関心は、少しは高まっているのかもしれません。ただ、実際に現場で直接、医療援助を行う活動という意味では、目に見える形で支援している組織はごくわずかです。
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

屋根の上には空爆回避のサインも
屋根の上には空爆回避のサインも
MSF独自の安全管理上のルールとして、夜6時から朝の7時までの間、病院内での救急医療活動以外の目的では外出できません。

役職柄、日中はスタッフとのミーティングや対外的な折衝が多く、首都にいるコーディネーション・チームとの調整業務は宿舎に戻ってこなすというのが一般的な日常業務で、同僚の海外派遣スタッフとの個別の話し合いの時間をとるのも、宿舎に帰ってからになることが多かったと思います。
 
また、受け入れた患者が紛争による負傷者である場合は、他方の紛争当事者から報復の恐れもあり、夜中でも起こされることは日常茶飯事でした。ただ、過去の経験から、救急救命、外科プロジェクトにおいて、そのようなリスクはつき物であることはわかっていました。
Q現地での住居環境について教えてください。

海外派遣スタッフはそれぞれ、個室を与えられていました。徒歩での外出は病院、宿舎、事務所の間だけに限られていたので、宿舎の中に簡単なジムを備え、毎日、利用している同僚もいました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

現地コミュニティーとのミーティング
現地コミュニティーとのミーティング
着任して早々、安全上の問題があり、チームが動揺し、不安定になった時期がありました。活動を一時的に全面停止するという意見と、援助を必要としている人びとを放っておくわけにはいかないという意見、個々の意見に耳を傾け、チーム内の意見を集約しながら、外部関係者と協議をし、方向性を示していくことは、忍耐と辛抱と慎重さを必要とする作業でした。

保健省や治安当局のみならず、現地コミュニティーとの対話の門戸を可能な限り開き、耳を傾けることは、活動を円滑に進めるためにも、チームの安全を確保するためにも大切なことでした。問題やいざこざが生じた時こそ、現地のコミュニティーとの接触を密にする機会でもあり、MSFの活動と妥協できない境界を理解してもらう好機でした。

イエメンでは、紛争当事者間の抗争がいたるところで続いていますが、それでも、こちらの対応次第で、依然MSFの活動を可能にする余地が残っている、というのが私の印象でした。
 
紛争地域での救急救命、外科プロジェクトといっても、負傷者は必ずしも戦闘員とは限りません。羊を放牧していた13歳の羊飼いの少女は、突然勃発した検問所での交戦の巻き添えとなり、被弾して運ばれてきました。MSFが支援する1次医療施設に運ばれてきた時には、外からはそれほどの出血は見受けられませんでした。しかし、銃創患者の治療に多くの経験を積んだ海外派遣医師が、即座に州都でMSFが活動する病院への搬送の判断をしました。現場での豊富な経験を下に、銃弾が体内で多くの組織を破壊している可能性を想定していました。州都の病院にいたもう1人の海外派遣医師が受入態勢を整え、注意深く容体を観察し、容体の急変とともに外科手術に踏み切りました。手術は長時間にわたり、容体を安定させた後、さらに州境を超えて、高次医療サービスを提供できる病院への搬送を決断しました。
 
当時、1次医療レベルの医療施設、州都の病院、州境を越えた受入れ先の病院に至るまでの地域の治安は不安定な状況でした。真夜中の救急搬送のために、治安当局、武装組織、その他紛争当事者との折衝をし、最終的には搬送をして一命を取り留めることができました。
 
医師による的確な判断、救急車両の運転手の安全確保、紛争当事者との折衝、その内の一つでも欠けていたら、その少女の命を救えなかったかもしれません。13歳の羊飼いの少女にとって、その日はいつもの穏やかな日常生活であって、交戦に巻き込まれるなど思いもしなかったはずです。このような出来事は、チームにとって一事例でしかありませんでしたが、少女が退院をしたとの一報を受けた時、チーム内で共有した達成感と満足感は、声を大にしなくても、この上ないものでした。 

Q今後の展望は?

今年の1年間は、とりわけ、緊急援助の活動に傾注しようと考えています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

私たちの活動を支えているのは、MSFの憲章に賛同または共感し、自発的に行動を起こすボランティア精神です。活動を継続するためには、まず自分自身が、自分の行っていることに納得しているか否かというのは大事なことです。自分自身が納得していなければ、なぜ納得できないのかを明らかにして、それは努力をして解決可能なものなのかを見極めることも大事です。

私のように、プロジェクト・コーディネーター、活動責任者を両方経験した後に、援助の受益者により近いプロジェクト・コーディネーターでの活動にやりがいを感じ、その職種で活動できるような選択をすることもあります。「自分は何をしたいのか」という動機を支えているものが自発性であり、MSFの活動は、個々の自発性によって支えられています。言い換えれば、自分自身の意思次第で、自分に一番合った役目を見つけることが出来るかもしれません。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2017年2月~6月、2017年7月~8月
  • 派遣国:イラク
  • プログラム地域:西モスル
  • ポジション:プロジェクト・コーディネーター
  • 派遣期間:2016年10月~2017年1月
  • 派遣国:ナイジェリア
  • プログラム地域:ヨベ州
  • ポジション:プロジェクト・コーディネーター
  • 派遣期間:2015年9月~2016年7月
  • 派遣国:リビア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:活動責任者
  • 派遣期間:2014年11月~2015年7月
  • 派遣国:リビア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:プロジェクト・コーディネーター
  • 派遣期間:2014年4月~2014年10月
  • 派遣国:リビア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:プロジェクト・コーディネーター、活動責任者
  • 派遣期間:2013年10月~2014年3月
  • 派遣国:シリア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:副活動責任者
  • 派遣期間:2013年4月~2013年8月
  • 派遣国:エチオピア
  • プログラム地域:アファール州テル地区
  • ポジション:プログラム責任者
  • 派遣期間:2012年7月~2013年2月
  • 派遣国:イラク
  • プログラム地域:ナジャフ
  • ポジション:プログラム責任者
  • 派遣期間:2012年4月~2012年7月
  • 派遣国:シリア
  • プログラム地域:—
  • ポジション:プログラム責任者
  • 派遣期間:2011年8月~2012年2月
  • 派遣国:イエメン
  • プログラム地域:アデン
  • ポジション:プログラム責任者
  • 派遣期間:2010年12月~2011年6月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:ラジャ
  • ポジション:プログラム責任者
  • 派遣期間:2009年11月~2010年9月
  • 派遣国:インド
  • プログラム地域:ジャールカンド州
  • ポジション:ロジスティシャン
  • 派遣期間:2009年10月
  • 派遣国:インドネシア
  • プログラム地域:ジャカルタ
  • ポジション:ロジスティシャン
  • 派遣期間:2009年1月~2009年9月
  • 派遣国:イエメン
  • プログラム地域:サダア州アル・タール
  • ポジション:ロジスティシャン
  • 派遣期間:2008年6月~2008年12月
  • 派遣国:ケニア
  • プログラム地域:ナイロビ
  • ポジション:ロジスティシャン

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