海外派遣スタッフ体験談
最善を尽くして、患者さんに最良のことを:滝上 隆一
2018年06月08日滝上 隆一
- 職種
- 外科医
- 活動地
- イラク
- 活動期間
- 2018年2月~2018年3月

- Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?
前回のイラク派遣後も、MSFの活動には継続的に参加しようとは思っていました。タイミングは日本での仕事の状況によります。今回、実際にオファーを受けたのは出発の3ヵ月ほど前、2017年11月頃だったと思います。
私は日本で離島に勤務しており、島を留守にすることと、MSFに参加することのバランスは、毎回悩むところではあります。
ただ、自分のやりたいこと、医療者としての原点に立ち返る意味でも、MSFの活動は自分にとって大きな意味を持ちます。今回もそれを熟慮し、参加を決断しました。
有給休暇を全て使っていたので、今回の派遣に際しては病院を一度退職し、帰国後に再度、同じ病院で採用してもらいました。
- Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?
前回のイラク、前々回のイエメン派遣で、日本で日々の業務にしっかりとあたることが現地で役に立つことは分かっていました。そこで、毎日の手術、外来、検査等の業務をいつも通りにこなしていました。過去の派遣で上手くいかなかったことや、手術・治療法などを、帰国後に本で確認していました。
外科医として、手薄になりがちな整形外科領域のトピックや処置、手術などは、専門書を読むことや、積極的に学会に参加することで知識の整理に努めました。
産婦人科領域に関しては、外科手術の合間に継続的に帝王切開等の手術にも触れていました。
語学に関しては、家に引いていたケーブルテレビで引き続き海外のニュース等を見たり、ネットの語学ページをこつこつと勉強したりしていました。
- Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?
-
MSFの活動の大きな流れ、外科医に求められる基本的な役割は、参加するたびに把握できるようになってきました。事前に現地から入手したレポートを見ることで、今回の活動の雰囲気もつかめました。やはり派遣回数を重ねるたびに、気持ちの余裕が出てくると思います。
- Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

緊急時の機敏さにビックリ

- Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?
-
現地は、日中は暑く、夜は寒い状況でした。朝はだいたい6時頃に起き、簡単な朝食(コーンフレークなど)をとり、病院へ行きます。宿舎と病院は道を挟んで数分の距離です。
まず、夜間に救急室を受診してまだ治療方針が決まらない患者さんについて、救急医と相談し、その後は現地スタッフと一緒に病棟を回診しました。患者さんの治療指示を出し、傷のガーゼ交換をして、それから手術室に入る流れでした。
手術は現地スタッフと基本的には2人で、時には1人で行うこともありました。手術の合間には救急室からの診療相談を受け、必要ならば緊急手術の予定を組んでいきました。
午後2時ぐらいに、余裕があれば一度休息して昼食をとり、その後は手術に戻り、夕方5時ぐらいに再度病棟の回診をします。その後は宿舎に戻り夕飯、ミーティング、シャワーを浴びるなど、スタッフそれぞれの自由時間でした。夜間は、緊急コールがあればその都度病院へ向かう、といった状況でした。
手術が長引けば、夕飯が午後9時、10時になることもありました。世界各国から来た外国人スタッフはみんな話しやすい人ばかりで、お互いに干渉することなく、それぞれ尊重しあうような、いい距離感のチームでした。
外来が週2回、医療ミーティング、海外派遣スタッフのミーティングがそれぞれ少なくとも週1回ありました。イスラム教は金曜日が休日ですが、朝晩の病棟回診は現地スタッフと一緒に必ずしていました。
勤務時間外は、本を読んだり(『風の谷のナウシカ』を読んでいました)、他のスタッフの仕事(壁塗り)の手伝いをしてリフレッシュしたり、現地スタッフと話をしたりするのが息抜きになりました。現地スタッフからはコーランについて教わりました。
セキュリティー上の理由で、宿舎と病院の間、ほんの数分の距離しか自由に外出ができません。自分は初回のイエメン派遣の際、建物の外にすら出られない状況だったので、特にその点にストレスは感じませんでした。
- Q現地での住居環境について教えてください。
-
宿舎が3つあり、海外派遣スタッフは各自、個室が与えられていました。外科医の自分は(緊急コールにすぐ対応できるよう)玄関に一番近い部屋で、大きさは8畳ぐらい、机とベッドが1つずつありました。
シャワーは共同で、温かいお湯が出ました。停電することもたびたびありましたが、現地の家政婦さんがいて、毎日食事を作り掃除をしてくれていたので、日本で自分が住んでいる家より快適でした(派遣の度にそう感じます)。ネットも不安定ですがつながりました。
家政婦さんの食事は結構コテコテで、自分は1日1食でおなか一杯になっていました。水は整水器があり、特に体を壊すこともありませんでした。
また、現地の情勢で何か変わったことがあればその都度セキュリティー管理者が連絡をくれたので、安全面で不安を感じることもありませんでした。
- Q活動中、印象に残っていることを教えてください。


下肢を切断せざるをえなかったと思われる子どもたちで、切断肢の断端の状態が良くなく、再度切断をしなくてはならない患者もいました。戦時下の救命という名で行われた手術の、その後の経過を、たぶんその手術をした医師は知らないでしょう。今回の手術の経過が最終的にどうなるのか、自分も知ることができません。厳しい状況でも、たくさん悩んでその都度最善を尽くす、患者さんにとって、家族にとって最良のことをしていく。あらためて、その大事さを肝に銘じながら日々過ごしていました。
- Q今後の展望は?
-
MSFの活動には引き続き参加しようと思っています。その中で、社会との関わり方、離島などの医療過疎地域にMSFでの経験が生かせるような、そういう生き方も探っていこうと考えています。
- Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
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まずは参加してみる、そしてその後にどうするか考えてみてはいかがでしょうか。
MSF派遣履歴
- 派遣期間:2017年2月~2017年3月
- 派遣国:イラク
- プログラム地域:モスル
- ポジション:外科医
- 派遣期間:2015年4月~2016年9月
- 派遣国:イエメン
- プログラム地域:イッブ、キロ
- ポジション:外科医