海外派遣スタッフ体験談

外科医としての技術も向上 現場でできるベストをつくす:大田 修平

2018年09月25日

大田 修平

職種
外科医
活動地
イラク
活動期間
2018年5月~2018年6月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

 前回、パキスタンでの初回派遣が非常にやりがいがあり、仕事として楽しめたため、また参加しようと思っていました。以前の職場は人手不足でMSFの派遣に行けなくなったため、退職しました。長期に仕事を離れる機会だったため、熱帯医学を学びに海外留学し、その後は離島医療に携わっていました。派遣に行くことを条件に、離島の病院から大阪の病院へ移り、MSFの現場でのポジションを探してもらいました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回の派遣で英語力が足りないと思い、熱帯医学の勉強も兼ねてタイに半年間留学しました。もともと口数が多くないため、そこまで向上はしませんでした(笑)。帰国後は離島の病院で勤務しました。小規模病院のメリットを生かし、外科の手術だけでなく、帝王切開や、整形外科、脳外科の手術にも参加するようにしていました。英語もスカイプ英会話で継続的に練習していました。日本では外傷手術をする機会が少ないため、教科書などで再確認したりしました。

離島では自分ひとりで手術していたので、それもいい準備になったと思います。数百キロ四方が海に囲まれており、島の外からは誰もすぐには来られません。自分以外に外科医がいない状況で手術をすることは、MSFでの活動に通じるものがあると思います。
 

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

骨折の手術をする筆者(写真中央)
骨折の手術をする筆者(写真中央)
パキスタンの派遣では毎日のように帝王切開を行っていましたが、今回、イラクでは機会がありませんでした。骨折の症例は前回も今回も多く、これまでの経験が役に立ちました。日本ではほとんど手術で内固定を行います。高い清潔野が求められるため、MSFの現場では内固定はできません。手術室で麻酔をかけ、整復を行い、ギブス固定をするという流れでした。

宿舎では、いろいろな国からの外国人派遣スタッフとの共同生活でしたが、文化の違いなども特に抵抗なく受け入れることができました。 
Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

手術室看護師たちとともに
手術室看護師たちとともに
過激派勢力「イスラム国」に支配されていたイラク・モスルの南に位置するカイヤラでの活動でした。周囲にはまだ多くの難民キャンプがあり、医療施設も破壊されていたため、MSFがその地域の医療を担っていました。

海外派遣スタッフは、医療チームリーダー、救急医、外科医、麻酔科医、病棟看護師、手術室看護師、薬剤師、プロジェクト・コーディネーター、アドミニストレーター、ロジスティシャンがそれぞれ1人ずつでした。フランスから5人、エジプトから2人、ヨルダンから1人、ドイツから1人、チュニジアから1人が参加していました。

現地スタッフはかなり多く、正確な数は把握できませんでしたが、私は主に現地外科医、救急医、麻酔科医、病棟看護師、外来看護師、手術室看護師、通訳と関わることが多かったです。中でも手術室看護師と関わる時間が多く、手術の合間には冗談を言いながらリラックスできるくらい仲良くなりました。帰国後も時々メールが届きます。
 
熱傷や骨折の手術に多く対応した
熱傷や骨折の手術に多く対応した
熱傷、骨折の症例がかなり多かったです。ラマダン(イスラム教の断食月)の終了前には、イスラム国によると思われる爆弾の被害者も多数運ばれてきました。熱傷に関しては、繰り返し植皮が必要になる重症のものから、軽症のものまでさまざまでした。難民キャンプでは地面で直接調理していることが多いらしく、そこに子どもが突っ込んで火傷を負うことが多く、小児の熱傷も多数診療しました。体表面積90%近くの重症例や、顔面、気道熱傷の症例は残念ながら救うことができませんでした。

連日植皮を行っていたため、植皮の技術はかなり向上したと思います。骨折に関しては、前述しましたが、整復し、ギブス固定の症例が多かったです。開放骨折では創外固定が必要な症例もありました。

日本でもよく遭遇する疾患、鼠径(そけい)ヘルニアの嵌頓(かんとん)や、急性虫垂炎なども多かったです。日本ではこのような症例はほとんど腹腔鏡で行うため、開腹手術にも慣れておく必要があると思いました。
 
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

たまにエアコンが止まり、蒸し風呂のようになる手術室
たまにエアコンが止まり、蒸し風呂のようになる手術室
朝7時半に救急救命室に集合して救急医から夜間帯の状況説明を聞き、手術が必要かどうか判断。その後、集中治療室、熱傷病棟、男性病棟、女性病棟を回診しました。

手術室看護師と相談し、その日の予定手術、緊急手術の順番を検討。9時から現地外科医とともに手術に入り、多い時で10件以上の手術をこなしながら、合間に救急医からの相談を受け、手術が必要な症例をその日の予定に追加していました。

だいたい夕方6時ごろには全て終わっていました。ラマダン中だったため、現地スタッフの夕食時間に配慮しながら緊急手術の開始時間などを調整していました。夜間でも救急救命室から相談があることもしばしばありました。

金曜日が休日だったのですが、手術がない日は1日もなかったと思います。むしろ平日より忙しい日もありました。外出はできないですが、Wi-Fiがあったので、空いた時間は映画を見たり、家族と電話したり、筋トレしたり、日光浴したりしていました。
 
Q現地での住居環境について教えてください。

宿舎での休憩タイム
宿舎での休憩タイム
病院から徒歩2~3分の距離にある2軒の家に、外国人スタッフ11人で住んでいました。トイレ、シャワーは共同でした。シャワーは温水も出ました。部屋にはエアコンもついており、Wi-Fiも繋がっていたため、快適でした。食事、洗濯、掃除は家政婦さんがしてくれていました。

セキュリティー確保のために、家の入口には門番がいてくれました。言葉は通じなかったですが、夜、時間があるときは一緒にお茶を飲んだりしていました。時々おやつをおすそ分けしてくれることもありました。
 
Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

事前の情報で、現場では熱傷がかなり多いとは聞いていました。日本では小範囲の浅い熱傷程度しか見たことがなかったため、最初は植皮が必要かどうかの判断すらままならず、困りました。また、数人が熱傷の感染を起こし、さらに植皮を行うかどうかの判断を難しくしました。フランスにいる外科医に写真を見せながらスカイプで相談することもありました。

徐々に植皮までのデブリードメント(※)の仕方、植皮のタイミングがわかってきました。毎日のように植皮手術をしていたため、格段に技術が向上しました。日本でも思うことですが、医師は患者さんから学ばせてもらっているということを忘れてはいけないと再認識しました。

※感染を起こした傷や壊死した組織を切除する処置
 

Q今後の展望は?

日本で外科を続けながら、今後も年に1回程度は参加したいと考えています。日本での仕事や、家族のことを考慮するとそこまで頻繁には参加できないですが、細く長く続けることを目標に頑張ります。 

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

日本(特に都会)では医療が細分化されており、MSFで必要とされる技術、知識を完璧に習得することは不可能に近いと思います。整形、脳外科、産婦人科など幅広く経験できる離島で、一定期間だけでも外科医として働くのはMSFの活動にプラスになると思いました。

MSFではかなり幅広い領域の知識、技術が求められます。完璧な準備・完璧な治療をするのは困難ですが、今回の経験のように患者さんから学びながら現場でできるベストな治療に近づけていければいいと思います。
 

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2014年10月~2014年11月
  • 派遣国:パキスタン
  • プログラム地域:ハングー
  • ポジション:外科医

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