海外派遣スタッフ体験談

日本での仕事が活動地で生きる!マネジメントも学ぶべし:大野 充

2018年04月06日

大野 充

職種
看護師
活動地
イラク
活動期間
2017年4月~2017年9月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

今回の派遣先となった病院
今回の派遣先となった病院
MSFの理念に共感しているので、都合がつく時には参加したいと思っています。MSFの活動地は治安がよくないなど難しいこともありますが、必要とされている場所で看護師として人道援助に貢献したいと思っています。

今回の派遣を考えたのは、2017年に入ったころでした。そのときは体調不良だったので、回復してから参加を申し出ました。
Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回の派遣から1年ほど空き、その間に開発援助に携わる機会がありました。緊急援助とは異なる援助方法について学びました。

今回のイラクでの活動は外科活動だったので、外科系の看護学の資料や医学書、現地から送られてくる資料を読み、理解に努めました。スタッフや機材・物資の管理が主な任務になるので、マネジメントに関する本も読み、参考にしました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

外科系の活動は過去に2回経験していたので、出発前におおよそのことは想像できました。病棟での基本的な管理方法はどの活動でも似ているので、自分が果たすべき役割も理解しやすかったです。

前回の活動では輸血に関して大きな学びがあったので、今回もその経験を生かすことができました。それでも新しく学ぶこともたくさんあり、さまざまな人の知識や意見を取り入れながら仕事に取り組みました。

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

一緒に活動した医師・看護師と記念撮影
一緒に活動した医師・看護師と記念撮影
イラクの紛争地での外科プロジェクトです。入院病棟では一般外科よりも整形外科の患者が多かったです。銃や爆発物による外傷、外傷に加えて骨折もしている患者、広範囲の熱傷などの患者を多く診ました。

派遣された直後は病院に救急治療室しかなく、入院施設はありませんでした。外科治療を拡大するために手術室、病棟、検査室、中央材料室を新設しました。物品をそろえ、医療者を採用し、トレーニングをして患者を受け入れる体制を整えました。
 
現地では夜間外出禁止令が敷かれていたため、患者は自由に外出することができませんでした。そのため、受診が遅れるケースが目立ちました。負傷した部分が感染症を起し、治癒が遅れるケースも多く頻繁にみられました。
 
外国人派遣スタッフは、医療チームリーダー、救急専門医、外科医、麻酔科医、麻酔担当看護師、手術室看護師、助産師、薬剤師、私(病棟と救急室担当)の9人でした。私がマネジメントを担当した現地の医療スタッフは70人程度でした。手術件数は手術室1室で1日あたり10件前後でした。救急治療室のベッド数は10床、病棟は32床で、ほぼ満床でした。
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝7時15分に宿舎から車で病院に向かい、夕方6時半に帰宅、その後に食事をはさみながらミーティングや薬剤の発注、勤務表の作成、新規採用のための学科・面接試験の作成、試験の採点、採用者の選定、トレーニング資料の作成などをしていました。着任してから1ヵ月半ほどは夜11時まで残業し、週末も休む間がないほどでした。

その後はやや落ち着き、遅くても夜9時までの残業でした。活動期間中に2連休の休暇が2回ありました。心身のリフレッシュのために任地を離れ、ホテルでゆっくりして疲れを癒しました。

Q現地での住居環境について教えてください。

一軒家を借りて外国人派遣スタッフ全員との共同生活です。期間の前半は相部屋で、後半は個室でした。気温が40度を超える中、初めはシャワーにガソリン臭が混ざることも、あり快適とはいえませんでした。気温が50度を超える前にはクーラーが取り付けられ、住環境が劇的に改善されました。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

モスル市内の戦闘に巻き込まれて広範囲のやけどを負った少年。<br> MSFの現地スタッフも被害者としてつらい体験をしている。<br>
モスル市内の戦闘に巻き込まれて広範囲のやけどを負った少年。
MSFの現地スタッフも被害者としてつらい体験をしている。
活動を広げていく段階だったのでやることがたくさんあり、それぞれが忙しく動き回っていました。問題があってもミーティングで話し合い、チーム内の意思疎通と協力はおおよそスムーズで、私自身は人間関係に苦労しませんでした。

現地スタッフは家族や友人を亡くすなどのつらい体験をしていましたが、それでも前向きに医療に取り組んでいて感銘を受けました。
 
今回うまくいかなかったのは両親を亡くした子どもに対するケアでした。身体的な治療は進んだものの、心理的なケアが十分にできなかったことを悔やんでいます。また物資が限られており、感染症対策が後手に回ってしまったのも反省する点です。
Q今後の展望は?

たび重なる戦闘で破壊されたモスル市内
たび重なる戦闘で破壊されたモスル市内
最近は体調不良になることが増えたので心身ともに健康を第一に考えるようになりました。

今回の活動終了間際には、自分の気持ちが沈んでいることを自覚していました。宿舎と病院の往復で毎日、崩壊している建物を見たこと、特定の患者に対し十分なケアができなかったという思い、もう少し改善できることがあったのではないかという後悔にも似た感情などが重なったようです。活動終了後にMSFの心理サポート制度を利用し、徐々に楽になっていきました。
 
次回の活動が決まり、2017年11月から子どもの栄養失調プログラムに参加することになりました。希望していたプログラムです。出発前はその学習をします。
Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

看護や医療の基本的な知識や技術は日本で十分に学べるので、病院での日々の仕事を確実に行うことが大事です。内科と外科を幅広く学ぶのがお勧めです。

MSFに参加すると、日本でいう看護師長や看護部長になることもあるので、それらの経験がない場合は看護師長がどのような役割をしているのか、どのような難しさがあるのかを理解することも役立つと思います。

特にマネジメントが求められます。新人指導や仕事の意欲が低い後輩をどのようにしてやる気を起こさせるかといったことも日本の臨床で学べるとさらによいと思います。

語学は一人で勉強をしていると挫折することが多いと思います。定期的に語学試験を受けるようにして語彙力を高めること、スピーキングの練習のために英語学校に行くこと、語学留学することなどが有効です。

家族の反対で参加できないこともあるかと思います。治安面を考えれば紛争地で活動しない他の組織に参加することを考えてもいいかもしれません。悔いのないように一歩を踏み出してみるのはいかがでしょうか。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2015年9月~2016年2月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:イダ
  • ポジション:正看護師
  • 派遣期間:2011年12月~2012年2月
  • 派遣国:エチオピア
  • プログラム地域:リベン
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2011年10月~2011年11月
  • 派遣国:リビア
  • プログラム地域:ミスラタ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2006年5月~2006年6月
  • 派遣国:インドネシア
  • プログラム地域:ジョグジャカルタ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2005年5月~2006年3月
  • 派遣国:日本
  • プログラム地域:大阪
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2005年1月~2005年4月
  • 派遣国:ウガンダ
  • プログラム地域:ソロティ
  • ポジション:看護師
  • 派遣期間:2004年4月~2004年7月
  • 派遣国:スーダン
  • プログラム地域:ダルフール
  • ポジション:看護師

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