海外派遣スタッフ体験談

経験を生かしてマネジャーとして奮闘:國吉 悠貴

2018年11月27日

國吉 悠貴

職種
助産師
活動地
南スーダン
活動期間
2018年7月~2018年9月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

南スーダン・アゴクでの最初の派遣からの帰国時に、私と一緒に働いていた上司の産科病棟マネジャーが予定より早く帰国することが知らされていました。その不在期間を埋める人材が必要だろうと思っていましたし、もし同じプロジェクトに派遣要請があれば受けたいと思っていました。この南スーダン、アゴクプロジェクトの産科チームが好きですし、もう一度彼らと働きたいと思っていたからです。

派遣が決まるまでは短期間でしたが、いつでも戻れるようにと、準備をしていました。同じプロジェクトに戻ることができ、とても嬉しかったです。以前の同僚とも再会できました。 

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

最初の派遣から、一度日本に帰国しました。今回の活動に戻るまで1ヵ月あったので、東京の友達に会ったり、実家のある沖縄で家族と過ごしたり、ゆっくりしました。

ほんの1ヵ月で同じプロジェクトへ戻ることになりましたが、一時帰国して友達や家族と過ごすことで、「また元気に日本に帰ってこよう!」という気持ちになり、次の活動を頑張る活力を得ることができました。 

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

救急救命室のようす。マラリアのシーズンは患者さんが溢れます。<br> <br>
救急救命室のようす。マラリアのシーズンは患者さんが溢れます。

最初の派遣では、産科病棟のスーパーバイザーとして働きました。産科における技術、知識、病棟のマネジメント方法など多くのことを学びました。今回は、その上司にあたる産科病棟のマネジャーとして派遣されました。

前回の派遣では、産科病棟のマネジャーが7ヵ月間に4人も代わりました。毎回新しいマネジャーと働き始める時は、それぞれに働き方の違いや、マネジメント方法の違いがあるので、慣れるまで苦労しました。また、それぞれの英語のアクセントに慣れるのにも時間がかかりました。しかし、今回の派遣で自分がマネジャーとして働くことになった時、前回一緒に働いたマネジャーたちから多くのことを学ばせてもらったのだなと実感することができました。

例えば、技術や知識を現地スタッフに教えなければいけない時のこと。自分でその施術を行った方が早くて確実ですが、そこは我慢して現地スタッフが出来ることを増やしていくよう心掛けました。前回の派遣では、緊急時や何かあったときに、マネジャーはしっかり周りをフォローしていくということ学んだので、今回はそこに気を配りながら働いていました。

前回の派遣では、自分がマンパワーとなって働くことがメインでした。スキルやそこの病棟の働き方を覚えるためにはとても良かったと思います。今回の派遣は、外国人派遣スタッフとして、また病棟のマネジャーとして、いつでも現地スタッフをフォローできる状態で彼らを見守る、ということの大切さを実感しました。

また時々、現地スタッフが、曖昧なことや分からないことがあっても適当にやり過ごそうとしてしまうことがあったので、知識が不十分なところを学ぶための勉強会や実技トレーニングを企画しました。

勤務中には、いつでも正しい知識や技術を聞いてもらえるよう、現地スタッフ一人ひとりと、積極的にコミュニケーションをとるようにしていました。特に、新しく入った助産師やアシスタント、スーパーバイザーになった現地スタッフの助産師に対して、「分からないことはいつでも聞いてね」と、頻繁に声を掛けました。質問してくれた時は、なるべく時間を取って、プロトコルや教材を見ながら一緒に確認をするようにしていました。

もちろん、私自身もまだまだ技術不足なことや知識不足なことがあります。その都度勉強したり、現地スタッフの助産師や医師をつかまえて質問攻めにしたりしました(笑) 

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

前回と同じプロジェクトなので、一緒にオンコールを担当する外国人派遣助産師1人・現地スタッフ助産師8人(全員男性)・アシスタント18人(女性16人、男性2人)と、チームはほとんど変わっていませんでした。ただ今回から、今まで外国人スタッフが就いていた病棟スーパーバイザーに現地スタッフが就任することになったり、新しい助産師が働き始めたりと、前回とは違う新しい風が産科病棟に入っているように感じました。

今回はマネジャーの立場でしたが、現場で出産の介助をしたり、緊急入院の対応などもしたりしていました。その他、現地スタッフと産科チームの技術力、マネジメント力などが向上するようにサポートしました。新しい助産師への指導、新しいスーパーバイザーのサポートもしました。

MSF病院では、お産全般、外来、緊急入院を担当しています。病院近くでは、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」が、妊婦検診と産後検診を担当しています。分業化をよりスムーズに、患者さんへの治療や定期検診がより確実にできるよう、話し合いをしたりもしました。

また、そこで働く助産師や看護師に、必要な知識や物品を提供したりする活動などもしていました。特に、HIV、梅毒、マラリアについては、定期妊婦検診で早期発見し、速やかに治療を始めることが大切です。テストキットや薬剤を寄付し、陽性患者への対応方法を教えるなどしました。

その成果もあり、定期妊婦検診を受けていた妊婦さんはほぼ全員がHIV・梅毒・マラリアの検査を受けてくれました。陽性の場合は、できるだけ早く治療や内服を開始し、生まれてくる赤ちゃんへの治療も、速やかにスタートできるようになりました。 

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

ランニング途中に撮影。水と緑が豊かな景色が広がる。
ランニング途中に撮影。水と緑が豊かな景色が広がる。

ほぼ毎日、仕事がありました。月曜~土曜は日勤帯の午前8時~午後6時。夜間はもう一人の外国人派遣助産師と、1日交代でオンコール体制です。夜間コールの回数は日によって異なりますが、2~3日に1度くらい鳴る程度で、頻繁ではありませんでした。日曜も出勤ですが、病棟が落ち着ていれば、オンコール体制のみでゆっくりしていました。

平日の仕事後で、オンコールでない時や日曜は、同僚の外科医とランニングをしていました。前回来た時は、乾期で一面赤土の平地だったのに、今回は雨期だったので、大きな池ができていました。そこで子どもたちが水遊びをしていたり、緑や木々が生い茂っている場所で牛が放牧されていたりして、同じ場所とは思えないくらい自然環境が変化していました。綺麗だなと思いました。
雨期は毎日スコールで、尋常じゃない量の雨が降るので、道路の土は泥と化していました。道路の状況は悪く、走るのも歩くのも、車で通るのも大変でした。特に患者さんを搬送する上で、道路状況はとても重要です。乾期のときに5~6時間かかっていた道のりが、雨期だとそれよりも時間がかかり、到着が2~3時間遅れることもよくありました。 

Q現地での住居環境について教えてください。

一緒に働いた産科チームメンバー。
一緒に働いた産科チームメンバー。

「トゥクル」という、わらぶき屋根の一人部屋に住んでいました。中には机、いす、ベッド、蚊帳、扇風機がついています。トイレとシャワーは共用です。乾期では気温も45~47℃と暑く、夜も寝苦しかったのですが、今回は雨期だったので気温は35~40℃くらいまで下がり、かなり過ごしやすくなっていました。

雨がよく降り、蚊が大量発生するので、マラリアが流行の真っ只中でした。現地の人たちは、多くがマラリアにかかっていました。通常分娩に来た元気な産婦さんも、緊急入院で来た意識が朦朧とした患者さんも、一緒に働く現地スタッフもマラリアにかかっていました。

日本でマラリアと聞くと、恐ろしい感染症というイメージですが、南スーダンでは、日本でいう風邪よりも多少頻繁にかかるもの、くらいに思われているかもしれません。よく現地スタッフが冗談で、「俺たちはマラリアと共に成長したんだ」と言っていました。

私は「治療する立場の人間がマラリアで体調を崩すわけにはいかない」と思い、毎日予防薬を飲み、防蚊対策も徹底していました。それでも蚊には毎日に刺されました。それも10ヵ所も!本当に悩みの種でした。どんな環境に慣れたとしても、蚊に慣れることはないなと痛感しました。

虫も大量発生し、部屋にはよくカエルがいました。現地スタッフと、電灯に集まった大量の羽アリを集めて調理し、佃煮(?)のようにしておやつで食べたりもしました。そういう時間も楽しかったです。

食事は毎日3食、現地の調理スタッフが日替わりメニューで作ってくれます。基本的に豆、米、ヤギ肉ですが、時々パスタやサラダも作ってくれました。お陰で、大きく体調を崩すことなく、最初の派遣から通算して約8ヵ月、元気に過ごすことができました。 

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

中絶についても考えらせられることがたくさんありました。中絶を希望する妊婦さんは、家庭環境や宗教的背景、決断にいたるまでの経緯が一人ひとり違います。性暴力の被害者や、妊娠発覚後、彼氏がいなくなってしまった少女、避妊の方法が分からずに11人目の子どもを妊娠してしまった女性もいました。繊細な事情を抱え、悩みに悩んでやっと病院に来た女性もいます。こうした女性たちのなかには、自分自身で何らかの薬や薬草などを口にして、危険な方法で中絶しようとする患者もいます。結局、安全に施術出来ず、出血が多くて病院に運ばれてくるのです。

こういった危険を避けるため、MSFの病院では、妊娠22週以前であることを条件に、安全に中絶を行うケアをしています。

忘れられないのが、両親がおらず、学校にも通わずに幼い弟妹を育てながら生活している19歳の少女。妊娠が分かったときには彼氏は音信不通で、どうすることもできず一人で来院したのです。しかし、彼女が病院に来た時は、すでに中絶ができる妊娠22週を超えていました。結局何もしてあげることができず、彼女は泣きながら帰っていきました。

学校で教育を受けていたら、正しい知識を身に着けていたら、または身の回りにサポートしてくれる人がいたらと思うことがたくさんありました。彼女たちの気持ちを考えると、悔しくも思いました。

私たち外国人がここでできることは限られています。でも、こうした女性たちが、せめて安心して病院に来てもらえる体制を整えていくことはできるのではと考えます。 

Q今後の展望は?

自分の中にある課題を克服しながら、今後もMSFの活動へ参加を考えています。今までの経験を、次の現場で、出来るだけ多くの患者さんたちのために生かしたいと思います。

次は、中米ホンジュラスへ行くことが決まりました。MSF以前に国際協力機構(JICA)で中米にいたこともあり、またスペイン語を学び直して、家族や友人との時間を大切にしながら過ごしていきたいと思っています。 

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

「百聞は一見に如かず」です。日本や発展した国でたくさん勉強をすることも大切ですが、国際協力に興味がある方はまず現場を見て欲しいなと思います。フィールドには、本でもテレビでもネットでもくみ取れない、さまざまな背景が絡んでいます。その中で生きる現地の人びとと話し、さまざまな思いを抱きながらも、たくましく働く現地スタッフと共に働いてみてほしいと思います。 

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2017年12月~2018年6月
  • 派遣国:南スーダン
  • プログラム地域:アゴク
  • ポジション:助産師

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