海外派遣スタッフ体験談

地雷でけがした少年、生きられない赤ちゃん…苦渋の決断に悔しい思いも:大竹 優子

2019年01月08日

大竹 優子

職種
手術室看護師
活動地
イエメン
活動期間
2018年7月~2018年9月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

中学生の時に途上国の本を読み、世界には自分と同じ年代の子どもたちが貧困や紛争で命を落としている場所があること、また、学校に行きたくても行けない人たちがいることを知り、大きな衝撃を受けました。その時に「いつか大人になったらこの人たちの力になりたい!」と将来の夢を持つようになりました。

MSFは人災、天災、紛争などに見舞われ最も援助を必要としている被災者・被害者に、差別する事なく、公平・中立の立場で医療を提供している人道援助団体です。MSFの活動に参加するたびに、子どもの頃の夢が実現できている喜び、また、看護師としてのやりがいを感じています。

今回、MSFで3度目の活動となりました。前回、予定より活動期間が短くなってしまったので、またすぐに次の活動に参加したいと希望していました。出発の3日前に派遣のオファーがあり、快諾しました。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

前回の活動終了後から今回の派遣までは1週間しかなく、特に準備はできませんでしたが、派遣が決まってからはイエメン情勢の資料を読むなどしていました。 

Q今までどのような仕事をしてきましたか?また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

救急救命室では1度に多数の負傷者が出たケースにも対応 © MSF
救急救命室では1度に多数の負傷者が出たケースにも対応 © MSF
今までの経験全てが今回の活動に活かせたと思います。

今回、イエメンで手術室・滅菌室・衛生管理室のセットアップをするのに、与えられた時間が1日しかありませんでした。手術室の中には手術台と麻酔器しかなく、滅菌室には小さな洗い場1つと滅菌器だけ。そこからたった1日で、翌日からの手術に備えて準備をしなければいけませんでした。どんな症例が来ても手術ができるように、また、おおよその来院患者数を推測しつつ、マスカジュアリティー(※)が起きても対応できるように必要な医療機器、物品、薬剤を推計・発注しなければなりません。

また手術室・滅菌室は衛生面も重要になってくるので、室内の動線を考え、汚水・汚物の処理方法、場所なども考える必要があります。更に、スタッフをトレーニングしなければなりませんでした。正直「明日のオープンまでに間に合わない!たった1日で無理!!」と思いましたが、これまでに手術室の増築や物品・薬剤発注、スタッフへのトレーニングなどの経験があったので、優先順位を決めて一つずつ業務に取り組むことができたこと、そして何よりもスタッフの協力があったからこそ、無事に初日のオープンに間に合わせる事ができたと思います。

※1度に多数の負傷者が運び込まれてくる状況
Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

モカの外傷センター © MSF
モカの外傷センター © MSF
イエメンの西海岸に位置するモカという町で、緊急プロジェクトに参加しました。

6月中旬頃、モカから120km離れた町で戦闘が勃発しました。それまでモカには外科対応できる病院がなかったため、車で6時間程離れた場所にある他のMSFの病院が患者の受け入れをしていました。しかし、患者の数が急増した事と、病院が遠いので到着しても治療が難航する、または救命に間に合わないケースが多く、より紛争地から近い前線のモカに外傷センターをオープンすることになりました。

病院オープン後から患者数はどんどん増え、当初想定していた患者数の3倍近い患者が運ばれ、プロジェクト開始後も、外来や病棟テントの数やスタッフの数を増やして対応し、とても忙しいプロジェクトでした。

症例は、地雷などによる爆風被害、銃創患者が多く、次いで交通外傷、高リスクの帝王切開、虫垂炎患者などを受け入れていました。
一緒に働いたスタッフとともに © MSF
一緒に働いたスタッフとともに © MSF
海外派遣スタッフはプロジェクト・コーディネーター、アドミニストレーター、ロジスティシャン、医療チームリーダー、麻酔科医、手術室看護師、薬剤師の計7人。現地スタッフは病院オープン時70人程でしたが、人材が足りず増員し、私が任務を終える頃には約110人にまで増えていました。

私は手術室看護師のマネジャーとして外科チームのマネジメントに従事していました。スタッフは手術室スーパーバイザー1人、手術室看護師8人、麻酔技師5人、回復室看護師4人、手術室清掃員4人、滅菌室スタッフ5人、衛生管理室スタッフ8人でした。私の主な業務は、手術室、滅菌室、衛生管理室のセットアップ、各スタッフにMSFガイドラインの教育とトレーニング、スタッフの採用などを行なっていました。

今回は現地スタッフの手術室スーパーバイザーがいましたので、2人で役割を分担し、私は主に滅菌室と衛生管理室を重点的に担っていました。マスカジュアリティが発生した時や、現地スーパーバイザーの勤務時間終了後は手術室のチェックも行なっていました。
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

朝6時頃に起床し、7時30分頃に車で病院に移動。その後、各部署の夜勤者のチェックと予定されている手術の確認。8時から申し送り、回診をし、9時頃から手術開始。毎日緊急手術があり、全ての手術が終了するのは夜の8〜10時頃でした。帰宅するのはだいたい10時頃で、その後トレーニングの資料作成などをし、12時に就寝していました。

手術がない時間帯はスタッフのトレーニング、医療チームリーダーと現在の状況と今後起こりうる事態にどう準備・対応していくかなどのミーティング、勤務スケジュールの調整、薬剤師に薬剤・医療機器の発注、ロジスティック部門への物品発注や修理依頼など、めまぐるしく働いていました。

24時間オンコールなので、深夜帯も緊急手術があれば病院へ行き、体を休める時間はほとんどありませんでした。時間がある時は現地スタッフと一緒に昼食を食べたり、病棟へ行って患者さんやスタッフとコミュニケーションをとったりしていました。

任務を終える頃には、現地スタッフの技術も向上し少しずつ仕事を任せられるようになり、体を休める時間が持てるようになっていました。

Q現地での住居環境について教えてください。

現地のレストラン © MSF
現地のレストラン © MSF
大きな一軒家に海外派遣スタッフと現地スタッフと共に30〜40人で生活していました。緊急のプロジェクトだったのでスタッフの入れ替わりがとても激しかったです。最初の2週間は女性が私1人だったので1人部屋でしたが、途中から女性の海外派遣スタッフが加わり、1部屋を2〜3人でシェアしていました。宗教上の理由から、男性が窓から外の景色を見ている時に女性を見ていると思われてしまうことがあり(実際はそうでなくても)、トラブルになるということで、窓は全て紙とテープで覆われていました。そのため部屋の中は暗く、風通しがなく、毎日40℃以上ある中でエアコンがよく機能しなかった時はとても暑かったです。シャワーは共同で水シャワーでしたが問題ありませんでした。

活動中に海外派遣スタッフ数人がデング熱にかかってしまった事があり、蚊の駆除のために家に殺虫剤を撒いたら、その後に虫の死骸が大量に発生して大変でした。

昼食は現地調理スタッフが金曜日以外は作ってくれましたが、私は帰宅する時間があまりなかったので、ゆっくり食べられることはほとんどありませんでした。たまに宿舎に戻って食べる時はバラエティ豊富な食事でとても美味しかったです。時間がある時は現地スタッフと一緒に近くのレストランで夕食をとりました。

インターネットはほとんど使えませんでした。公共の電波も非常に悪く電話がうまく繋がらなかったので、スタッフ間で連絡をとる事も難しく業務上もとても大変でした。
Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

モカの病院で最初に生まれた赤ちゃん © MSF
モカの病院で最初に生まれた赤ちゃん © MSF
今回のプロジェクトでは、母体に生命の危険がある時のみ、帝王切開も受け入れていました。産婦人科医や助産師がいない中で、どの状態までを受け入れ、どの状態から他病院に搬送するかの線引きに、とても苦労しました。

ある日、母体にリスクがあると判断し帝王切開術をしたら、生まれて来た新生児が腹壁破裂(※)でした。適切な手術・治療をすれば予後は良好ですが、ここでは先進国のような高度な医療設備がないので、的確な術前診断はできず、手術もできません。小児外科医もいません。医療チームリーダーに他のMSFの病院に搬送できないか相談しましたが、そこでも治療は難しいし間に合わないだろうということで、結局、何もできませんでした。限られた短い時間でも家族で過ごせるように努めました。現場の治療の限界を知っていたつもりでしたが、これから亡くなる我が子を愛おしい眼差しで見ている母親とその子を目の当たりにして、悔しさでいっぱいでした。

※腹壁破裂:本来お腹の中にあるはずの臓器(小腸・胃など)がお腹の外に飛び出した状態で生まれる先天性の奇形

現場では、紛争被害の患者が多く運ばれて来ました。地雷の被害では、1つのグループまたは家族で移動中に被害にあって一度に多くの患者が運ばれてくる事が何度もありました。

右手を負傷し、病院に運ばれて来た男の子は、「外で遊んでいる時に、これくらい(20cmくらい)の物が落ちていて、それで遊んだら爆発した」と話してくれました。病院到着時には右手の親指がほぼ取れかかっている状態で、手術して切断するしかありませんでした。

父親に手術の説明をした時に、「将来この子がペンを持てなくなり、文字が書けなくなってしまうのではないか」と、とても心配していました。幸い、命に別状はありませんでしたが、その後も彼は皮膚移植術など、何回も手術をする必要がありました。手術が重なるにつれ、心配していた父親は仕事や他の家族の世話をしなくてはいけないとの理由から、とうとう病院に迎えに来なくなってしまいました。病院スタッフによれば、現地では、貧困のためある程度子どもが大きくなったら学校に行かせず家の手伝いをさせたり、物乞いをさせてお金を家に持って来させたりするようにする、1人で生きるようにさせる親もたくさんいる、とのことでした。

戦争は貧困を生み出し、子どもの将来、家族との大切な時間を奪うという現実にとても心が痛かったです。そんな中でも、その子は私たちに毎日笑顔を絶やさずに見せてくれていました。1日も早く平穏な生活が送れるようになる事を願うばかりです。
Q今後の展望は?

10月からパレスチナ自治区のガザで活動します。派遣までに資料や本を読んでパレスチナ問題について理解を深めたいと思います。 

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

 参加を迷っている人は一度説明会に参加、または応募してみてください。

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2017年12月〜2018年3月
  • 派遣国:イラク
  • プログラム地域:カイヤラ
  • ポジション:手術室看護師
  • 派遣期間:2018年6月〜2018年7月
  • 派遣国:シリア
  • プログラム地域:-
  • ポジション:手術室看護師

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