海外派遣スタッフ体験談

高校時代からの夢を実現 初参加で「医師としても成長できた」:空野すみれ

2019年02月05日

空野すみれ

職種
産婦人科医
活動地
南スーダン
活動期間
2018年9月~2018年10月

Qなぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

高校生の頃に、国境なき医師団(MSF)について知りました。中学3年生の時にイラク戦争が始まり、たくさんの人が爆弾で毎日亡くなる報道を目にしてとても衝撃を受けました。そんな時、英語の教科書を通じて、MSFについて初めて知りました。教科書では、産婦人科医の文章が紹介されていました。「私も、将来こういうことをやりたい」と思い、医師を志しました。それ以来、国境なき医師団に参加することは長年の夢でした。大学のはじめから、産婦人科は意識をしていましたが、MSFを知るきっかけになった貫戸朋子先生が産婦人科医だったこと、初期研修医時代の患者さん・恩師との出会いがあり、産婦人科医になりました。 

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

語学の準備には、学生時代から力を入れてきました。大学時代に、留学生と交流するサークル活動に入っていました。来日する留学生が日本で生活できるよう、役所や金融機関での手続きの手伝いや、日用品を集めたバザーやウェルカムパーティーを開いていました。モンゴル、中国、韓国、インドネシア、フィリピン、イラン、コンゴ、ヨーロッパなど、世界中からの留学生に出会いました。私は彼らにとって、「日本に来て初めて出会った日本人」として、仲良くなることが多かったです。また、ここでの活動で、英語の力を身につけられたと思います。働きだしてからも、毎日、英語のラジオニュースを聞くように心がけていました。

また、医師2年目の頃からMSFの説明会に参加し、情報収集をしてきました。そこで、実際に産婦人科の先生から、どれくらいの技能があれば現地で仕事ができるのかを教えてもらいました。医師になって4年目の秋には、外科産婦人科講習に参加しました。現実的に、あとどれくらいで応募しようか考えていた頃でした。参加を目指して、技術を磨こうと、日本国内でトレーニングをしてきました。 

Q今までどのような仕事をしてきましたか?また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

初期研修2年間の後、市中病院の産婦人科で臨床経験を積みました。産婦人科での臨床経験はもちろんのこと、南スーダンでは内科的合併症のある妊産婦を見る機会が多く、初期研修で学んだ内科的知識、身体診察や腹部や血管超音波なども役に立ちました。 

Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

一緒に働いた同僚たちと。© MSF
一緒に働いた同僚たちと。© MSF

南スーダンのアウェイル病院の産婦人科と小児科病棟をMSFが支援しています。派遣スタッフは20人程、現地スタッフは3000人程の大きなプロジェクトです。雨期であったのもありマラリアがとても多かったです。産婦人科は周産期合併症や年間4000件程の分娩を取り扱っていました。小児は呼吸器感染症や栄養失調、また急性虫垂炎や外傷などの外科疾患も対応していました。 

Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

宿舎の庭でバスケットボールなどをして気分転換。© MSF
宿舎の庭でバスケットボールなどをして気分転換。© MSF

7時に起床し朝食をとってから8時頃にチームの仲間と病院に歩いて行きました。分娩室の状況を確認し、9時から病棟の回診を助産師たちと行いました。午後1時頃ランチを取り、落ち着いていれば5時頃帰宅しました。

産婦人科医は私1人で24時間オンコールだったので、緊急症例が重なった時は日中・夜中と忙しい時もありました。

土日はできるだけ午前中で回診を終え、その後は部屋でリラックスしたり、チームメートとマーケットに買い物に出かけたり、宿舎の庭でバレーボールを楽しんだりしていました。 

Q現地での住居環境について教えてください。

一人一部屋与えられ、それぞれベッドと机と椅子と扇風機がありました。シャワーとトイレは共用でシャワーは冷水のみでしたが、暑かったので冷たいお水が逆に気持ちよかったです。 

宿舎には花がたくさんありました。© MSF<br>
宿舎には花がたくさんありました。© MSF
Q活動中、印象に残っていることを教えてください。

同僚たちと。© MSF
同僚たちと。© MSF

たくさんの患者さんに出会うことができました。

診療所から病院に運ばれてきた患者さんは初産で、陣痛から2~3日しても出産がうまくいきませんでした。最初は、「帝王切開」を希望していたのですが、お腹の中の胎児は元気で、診察すると頭がすぐ近くにあったので、経膣分娩を説得しました。最初はなかなか聞き入れてくれなかったのですが、最後は頑張って、経膣分娩で元気な赤ちゃんを出産しました。

出産後の診察中に、何かつぶやかれたので、周りに通訳を頼んだら「神様にあなたの幸せを願っているんだよ」と言われました。こんな表現でお礼を言われたのは初めてでした。

前任から引き継いだ患者さんは、帝王切開後の感染で長く入院していました。年齢も若く、栄養状態も余り良くなかったため、入院中も母親が心配してつきっきりでした。4週間くらい入院し、体調も良くなったので退院することに。そのとき、お母さんが手を合わせて私に喋りかけてきました。通訳をお願いしたら、そのお母さんも「神様があなたにお恵みを与えますように」と話していたそうです。

現地では、私の説明が患者さんやその家族に、理解してもらえているか分からなくなる事もあったのですが、こんな風にお礼を言われる瞬間は、「私の気持ちも伝わっていたのかな」と思い、嬉しくなりました。

苦労したのは、手術スタッフの助手と2人での手術です。日本だと帝王切開は産婦人科医が2~3人でやるのですが、南スーダンでは人材不足が深刻なため、唯一の助手が看護師でなく、医療の教育を受けていない人でした。「ここを持って」「そこを引っ張って」、と一つ一つ伝える必要がありました。

また、電気メスも出してもらっても、動かないこともあり、止血を全て手作業でやりました。ライトについても、日本の手術室のライトは、小さな光がたくさん集まっているので「無影灯」というのですが、アウェイルでは一方からしか光が来ないので「有影灯」でした。手袋も、私の手が小さく、サイズが合うものがなく指先に手袋の余りがあるので、挟んでしまったり縫いそうになってしまったり…。手術中に、自分でもびっくりするほどの汗をかきましたが、徐々に慣れて行きました。

日本ではあまり見ないような双子や三つ子の経膣分娩や子宮破裂なども経験し産婦人科医として成長できたと思います。

普段の生活で印象に残っているのは、虫との闘いです 笑 私は滞在中、誰よりも蚊など虫に刺されました。虫刺されがたくさんある腕を見て、現地スタッフは会うたびに同情し、「蚊帳や蚊除けクリームなどちゃんとやっているか」など、こうしたほうがいい、ああしたほうがいいとアドバイスをくれました。それらを実行して、最後の方はなんとか、1日刺されるのが5 ヵ所くらいに収まりました。食事の時も、スイカの上にアリがいたり、ピザの上にバッタがいたり(笑)

初めは私もキャーキャー言っていたのですが、そのうち「大事なたんぱく質だよ」とチームメンバーがアドバイスをくれました。「なるほど」と納得できるまでの境地に至りました。 

Q今後の展望は?

次にナイジェリアでの活動が決まっています(既に活動を終えて帰国)。今後もMSFでフィールドの経験を積みたいと思っています。また現地スタッフへの援助をもっとできるようになりたいと思います。そのために日本でも産科救急蘇生法(ALSO)のトレーニングなどに携わりシミュレーション教育やレクチャーなどの経験を積みたいと思っています。 

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス。

MSFの仲間の1人になれて嬉しい反面、まだまだ新米なのでもっと経験を積んでよりチームや患者さんにもっと貢献できるよう精進したいと思います。

MSFでの活動は人の役に立つだけじゃなく自分自身が成長できる機会だと思います。

そして世界にはこんなにすごい・面白い人たちがいるのか、というくらい素晴らしい仲間に出会える機会でもあると思います。ぜひ一緒に活動しましょう。 

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