海外派遣スタッフ体験談

妊産婦死亡率が世界で最も高い国でプロジェクトを立ち上げ:田中 香子

2018年01月05日

田中 香子

職種
助産師
活動地
シエラレオネ
活動期間
2017年2月~2017年8月

Q国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

2016年のアフガニスタンでの活動から帰国後、また参加したいと思っていました。他のNGOでの経験も含めアフリカで働くのは4回目ですが、行くたびにアフリカが好きだなと思えてきます。人との出会いや、そこでしか得る事が出来ない経験にもいつもワクワクしています。

Q派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

MSFの新生児ケアのトレーニングとメディカルウィークと呼ばれるトレーニングに参加しました。また、派遣看護師としてアルバイトをしながら、英会話のレッスンを継続していました。

Q過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

双子の赤ちゃんを産んだお母さんと
双子の赤ちゃんを産んだお母さんと
今回初めて、オペ室がない保健センターで働きました。手術や輸血ができる搬送先の病院まで救急車で通常6時間かかり、雨期には車が立ち往生するため9時間かかる事もありました。

産婦人科医がおらず助産師も私以外に現地保健省のスタッフ1人と助産師アシスタント1人、救急救命(ER)と小児科を兼任する看護師5人という小さいチームからのスタートだったため、助産師としての妊娠・分娩管理だけでなく、さまざまな業務がありました。
 
搬送のタイミングの判断から搬送時の家族との交渉、輸血が必要な場合のドナーの確保、産科経験のないスタッフへの教育、また周辺の保健センターからの搬送受け入れ、救急車の手配などまで多岐にわたる業務で、今までの助産師経験やマネージメント、チームで働いてきた経験すべてが役に立ったと思います。
 
小児科医がいなかったため、この派遣の直前に参加した新生児ケアのトレーニングも大変役に立ちました。
Q今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

出産時の出血に対応するトレーニング
出産時の出血に対応するトレーニング
シエラレオネは5歳未満児の死亡率、妊産婦死亡率が世界で最も高い国の1つです。私がいたモンゴ保健センターはシエラレオネ政府の管轄ですが、施設はあるものの十分なスタッフや入院可能な医療設備・薬品などが全くなく、入院管理や手術の必要な患者さんは車で6時間かかるカバラという町に搬送されていました。

また、周辺地域にある保健センターからの搬送も受け入れていましたが、保健センター間の連絡手段がなく(田舎のため電話がつながらない)手遅れになって患者さんが送られてくる事が多くありました。
 
私はMSFがこの保健センターのサポートを開始するプロジェクト立ち上げに参加しました。外国人派遣スタッフは私(助産師)以外に看護師、小児科とER担当の医師、ロジスティシャン、アドミニストレーターの5人体制でした。
 
初期は、保健センターに医薬品・入院や、診療に必要な電気・水、スタッフも十分に整っていなかったため、掃除から始まり診察台やベッドを搬入したり医薬品の棚や使用するカルテを整理したり、保健省のスタッフ達と相談・協力しながら調整していきました。
 
産婦人科にはもともと保健省の助産師1人と助産師アシスタントがいましたが、新しく採用したMSFの看護師たちは産婦人科・新生児ケアの経験が全くなかったため、基本的な妊婦へのケアや分娩時・分娩後の管理・新生児の日常のケアなどのトレーニングを行いました。
 
他の保健センターからの搬送症例は重症化してからくることが多く、若年妊娠、重症マラリア、重症貧血、分娩遷延(ぶんべんせんえん)・分娩停止、双胎、体位異常、子癇(しかん)、子宮破裂などが主でした。また、HIV感染の妊婦や性暴力の症例もありました。
Q派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?(一日の流れや、活動期間中のスケジュールなど) また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

保健センターからの帰り道<br> 近所の子どもたちが一緒に歩いてくれた<br>
保健センターからの帰り道
近所の子どもたちが一緒に歩いてくれた
毎朝8時前に家を出て、徒歩で10分ほどの保健センターに向かい、病棟回診をチームで行い入院患者のケアの方針を考えます。その後は妊婦検診、産後検診、家族計画も行っているため患者さんの来院に合わせて診療を行っていきます。

分娩や他の保健センターからの搬送の要請がくれば、その時々で誰が救急車に同乗するかスタッフ内で相談し患者さんを迎えに行きます。救急車の要請がなくても、患者さん自身がバイクタクシーで搬送されてくる事もありました。一度、ヘモグロビン2.5というひどい貧血状態の妊婦さんがバイクに乗って長時間かけてきたのにはビックリしました。
 
プロジェクトが始まって最初の頃は産婦人科経験の看護師がいなかったため、入院患者のフォローアップのために週末も出勤していました。徐々に週末は電話対応(電話で報告を受け、指示を出すなど)をしたり、保健省の助産師に指示・処方を任せたりするなど、業務をスタッフに移行していくようになっていました。
 
夜間は基本的に保健省の助産師に対応を任せていましたが、彼女が判断に困る時、他の保健センターからの搬送患者を受け入れる時、搬送を高次の医療施設へ行う時は必ずコールがあるので対応に行っていました。また、新生児の入院管理もしていたので、小児科とERを担当している外国人派遣スタッフの医師と一緒に業務を分担していました。
Q現地での住居環境について教えてください。

新しいプロジェクトの立ち上げだったので、最初の4ヵ月は住居もまだ整っておらずポルトガルから参加した看護師と相部屋でした。赴任後5ヵ月目から、部屋が増築され外国人派遣スタッフ全員が個室に住めるようになりました。バス・トイレは共同です。

インターネットは、速度は遅いですが使えました。乾期の間は暑くて水シャワーも大丈夫でしたが、雨期になると夜は寒かったため冷たくて、頭は2日に1回しか洗いませんでした。

昼・夜はコックが食事を作ってくれ、外国人派遣スタッフが退屈しないようにメニューを変えたり、ベジタリアンのスタッフ用に色々希望を聞いたりして工夫してくれていました。

また、決められた範囲内であれば1人での外出が許されたため、前回のアフガニスタンの派遣と比べるとストレスは格段に少なかったです。

Q活動中、印象に残っていることを教えてください。(学んだこと、苦労したこと、新たな発見など)

1100gで生まれた赤ちゃんの退院日
1100gで生まれた赤ちゃんの退院日
到着当初は電気が通っていなかったため、夜中のお産で携帯電話の電灯を使ったことが印象に残っています。保健センターの助産師は1年以上この状態で分娩に携わっていて、それにもビックリしました。

また、患者さんは村から出た事がない人が多く、知らない場所へ搬送される恐怖から、緊急時でも本人や家族が搬送を拒否することがありました。説明に長時間かかったり、知らない土地に行くなら死んでもいいと言われたり、ということもありました。また、輸血が必要な場合は家族からドナーを探すのですが、ドナーの血液に問題がある場合が多く、不適合のたびにこの国での感染症の罹患率の高さを痛感しました。
 
自宅で出産し、1100gで生まれた赤ちゃんが約1ヵ月間入院した例がありました。家族の強い退院希望で、1500gになったときに退院して外来フォローになったのですが、その後のフォローアップに来院せず、赤ちゃんが亡くなったという話を村人から聞きました。この症例だけでなく、文化・風習の違いや知識・教育不足、来院にかかる交通費など経済的なことが原因で継続した医療の提供が難しいことが何度もあり、つらい思いをしました。
 
また、他の地域にある保健センターから子宮破裂や分娩停止、横位で片腕が脱出しているなど、色々な症例の患者さんが送られてきましたが、プロジェクトで対応できる症例に限界があったため、異常分娩を早期に判断するアセスメント能力を個々の保健センターのスタッフに学んでもらうことや患者教育、またTBA(伝統的産婆)との連携の必要性を強く感じました。
Q今後の展望は?(次回の派遣を考えている方は、それまでにしたいこと、新たな挑戦など)

しばらく日本で働き、また行きたいです。熱帯医学の勉強をちゃんとしようと思っています。

Q今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

一緒に頑張りましょう!

MSF派遣履歴

  • 派遣期間:2016年4月~2016年10月
  • 派遣国:アフガニスタン
  • プログラム地域:カブール
  • ポジション:助産師

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