海外派遣スタッフ体験談

援助の世界に入るきっかけとなったサイクロン被害 かつて暮らした国で活動!

2019年09月10日

平塚 竜一

職種
ロジスティシャン/アドミニストレーター
活動地
モザンビーク
活動期間
2019年5月~7月

2017年からMSFに参加し、ナイジェリア、バングラデシュで活動を経験しました。初回のナイジェリアで、ログでありながら財務なども担う「ログ・アドミ」を経験。今回はモザンビークの2つのプロジェクトで、アドミニストレーターとロジスティシャンそれぞれのポジションを経験しました。 MSFの活動から帰国するとしばらく休暇をとり、その後、また次のミッションへ行く生活を送っています。

サイクロン被災地で2つのプロジェクトに貢献

サイクロンで被害を受けた病院 © MSF
サイクロンで被害を受けた病院 © MSF
2019年3月と4月にモザンビークで発生したサイクロンの緊急援助プロジェクトに加わりました。アドミニストレーターとして、首都のマプトを拠点に、現場で活動する海外派遣スタッフの飛行機や車、宿泊の手配、ビザのフォローアップなどを担いました。
 
その後、ガーボデルガード州マコミアに移り、今度はロジスティシャンとしてプロジェクトの立ち上げに関わりました。本格的な医療活動はまだ始まっておらず、現地保健省との関係作りや今後の活動を詰めていく段階でした。自分はオフィス運営に必要な通信や車両の準備、調達業務のほか、保健省の病院の修繕も行いました。マコミアの病院は、もともと水道システムや電気、衛生管理が十分でなかったうえに、サイクロン被害でますます大変な状況でしたが、病院運営に関して保健省と意見が食い違うこともあり、なかなか進捗しない難しさもありました。 

セキュリティ管理も大事な仕事の1つ

マコミアへ行く車窓から © MSF
マコミアへ行く車窓から © MSF
マコミアではセキュリティの監視とフォローアップも業務の1つでした。カーボデルガード州は治安が悪く、マコミアの周辺ではしばしば、武装グループの襲撃が発生していました。1度、襲撃の声明が出たことがあり、自分にとっては初めての体験でしたが、前もってこうした安全管理について準備をし、緊急事態の対応計画を立てていたため、落ち着いて行動することができました。 マコミアのチームは全員がMSFの活動経験者で、かつ小規模チームだったので、情報伝達が早くでき、パニックになることもありませんでした。
 
緊急事態対応計画(Contingency Plan)は、2つの段階に分かれています。危険な事態が起きたとき、現地であらかじめ決められている緊急退避用の部屋に退避するのが第1段階。さらに避難が必要な場合は第2段階として、州都へ退避します。ロジスティシャンは、特に第2段階の退避が起こる場合に備え、無線や携帯電話などコミュニケーション手段の確保、車両の確保、食糧の確保のほか、スタッフに退避時の流れを説明する役割を担っていました。 

高いモチベーションを持ち続けて活動

チームで一緒にランチ © MSF
チームで一緒にランチ © MSF
実は、MSFに参加する前にモザンビークに住んでいました。自分が暮らしていた当時にも、今回のような大規模なものではないですが、サイクロンが発生していました。モザンビークのサイクロンは、自分が人道支援に関わるきっかけになった出来事です。今回、まさにそのサイクロン被災者への援助に携わることができ、ミッション中は常に高いモチベーションを持って活動することができました。
 
MSFはもともとモザンビークでHIVと結核のプロジェクトを展開していたため、首都での勤務は、現地スタッフを含めベテランの仲間ばかり。よくまとまって気持ちよく仕事をすることができました。
 
マコミアでは6人の小さなチームでしたが、年齢や職種を超えた最高のチームスピリット がありました。他部署の仕事にも積極的に意見を言うことができ、チームを統括するプロジェクト・コーディネーターが、皆の意見を広く取り入れたうえでまとめることが上手な人だったため、現地スタッフ含め、全員で意見を出し合ってプロジェクトの方向性を決めていきました。よく言えば柔軟性がある、悪く言えば、こだわりやプライドがなく、他の人の意見でも、いいと思ったらどんどん取り入れていくチームで、常に活気にあふれた現場でした。 
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