海外派遣スタッフの声

治安上の理由で緊急退避も、患者の見送りに感激:黒﨑伸子

ポジション
外科医
派遣国
ソマリア
活動地域
モガディシオ
派遣期間
2008年3月~2008年4月

なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

比較的厳しいイスラム教の国なので、
女性は常に長袖で髪を見せてはいけないというので、
宿舎の中以外は、このような格好で行動していました。

MSFの外科医としてこれまで7回にわたり、長くて4ヵ月間、最短2週間の派遣に参加しました。その度に異なる紛争の状況を体験し、文化や現地の人びとに触れ、素晴らしい仲間に出会ってきました。また、外科医としても緊急医療援助に役立つ技術を取得してきて、再び機会があれば、派遣に参加したいと思っていました。

ただ、今回は1月28日にソマリア南部のキスマヨでMSFのスタッフが殺害されたため、MSFの海外派遣スタッフ83人全員が国外に退避していました。このため、同国におけるプログラム再開の目途がたつまで日本で待機していました。さらに、次の交替要員がいないために、3月10日~4月15日までの予定が3月31日から4月末までと変更になりました。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

個人的な事情から、またいつでもMSFに参加できる状態にするために、2005年4月から勤めていた独立行政法人国立病院機構長崎病院の外科部長を辞して、2007年7月から非常勤医師となりました。つまり、入院患者を受け持たなければ、海外派遣に応じやすいという理由です。さらに、2008年1月末でこの病院を退職して、待機の間は実家(内科開業医)の手伝いをしながら、出身大学(長崎大学)の産婦人科準医局員となって、時々勉強会などに参加していました。これは、派遣から帰国した後に就職する予定となっている病院です。女性総合外来を担当するために始めたのですが、ソマリアでは帝王切開も多いと聞いたので、予定および緊急帝王切開手術がある場合には、できるだけ手術に参加させてもらうようにしました。3週間で約6例にアシスタントとして参加させてもらいました。大学卒業後2年目に研修を受けた聖隷浜松病院では何度か帝王切開や子宮外妊娠の手術に参加させてもらったのですが、もう20年以上も前のことでしたので、この研修は今回の派遣でとても役に立ちました。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

初の開腹手術が終了する直前です。
手術室付きの看護師や麻酔担当の看護師など、
現地スタッフに加えて、派遣スタッフの看護師も助けてくれています。

ソマリアの首都モガディシュから内陸へ車で30~40分くらいのDaynile病院で、外科医として診療活動を行いました。元々は地域病院で内科・産科病棟と外科病棟があり、MSFは外科病棟を運営して、紛争犠牲者の外科的治療を行っていました。患者の多くは、銃撃や爆発などの犠牲者で、男性、女性、子どもとさまざまでしたが、重症の被害者の多くは女性や子どもたちでした。

2週間半の派遣期間で行った手術は二人の外科医で交互に担当したため、私が執刀したのは40例くらいかと思います。1日に4~8例を1日おきにどちらかが担当し、難しい症例は二人で協力して行いました。内容のほとんどは、まさに戦場の外科手術で、銃撃、爆撃などによる坐滅創などの外科治療(創面切除や四肢切断、皮膚移植など)、開放骨折の治療(牽引、外固定、ギブスなど)、腹部銃創による消化管穿孔・臓器損傷などに対する開腹手術、胸部銃創に対する胸腔ドレナージなどです。他には、さまざまな理由による緊急の帝王切開も行いました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

ソマリアに入るまでの1週間足らずはナイロビの事務所でブリーフィングを受けるとともに、現地スタッフ研修用の資料などを毎日作成していました。このときは、ケニアに派遣されているMSFの同僚などといっしょに土曜日の夜にちょっと遠くに夕食に出かけたり、日曜日は宿舎で読書したり、ソマリア行きに備えてショッピングをしたりしました。ソマリアでは、女性は長袖の服に、髪や首をかくすスカーフやターバンがいるというので・・・。

ソマリアでは金曜日が休日だったのですが、金曜日ごとに紛争が激しくて複数の緊急患者が運ばれて来たり、また重症患者の手術などがあり、週末はありませんでした。

現地での住居環境についておしえてください。

高さ3~4メートルの石壁の上に金網を張ってある塀に囲まれた病院敷地内だけが安全というため、緊急退避までは、ずっとこの敷地内で暮らしました。救急治療室、手術室、外科病棟の建物と宿舎の間は20メートルあまりですが、宿舎を出るとすぐにボディーガード1~2人(ときには銃を肩にかけている)が寄ってきて、宿舎からちゃんと目的の建物内に入るまで、私たちを保護してくれます。

宿舎には6部屋あり、そのうち1つは事務所で、もう1つはリビング兼ダイニングルームなので、眠る部屋は4部屋でした。私がいた間は、ロジスティシャンと管理看護師は次の交替メンバーも一緒に暮らしていたので、女性3名が同じ部屋で眠り、他は現地スタッフ(麻酔科医、外科医、フィールド・コーディネーターのアシスタント)とロジスティシャンが2部屋を二人ずつで使い、もう1部屋はフィールド・コーディネーターの部屋でした。

シャワーはトイレの中に取り付けられており、2つしかなかったので、これを宿舎に住む9人でシェアしていました。暑い気候だったので、冷たい水のシャワーも問題ありませんでした。トイレの水洗も、ほぼOK。水不足にならなくて、感謝していました。

良かったこと・辛かったこと

入院中の子どもたちに絵を描かせると、
このような銃の絵ばかりになってしまいます。

とにかく大変だったのは、現地医師との関係でした。MSFの海外派遣スタッフは治安上の理由で、緊急撤退を余儀なくされるため、私たちが不在の間は、ソマリア人麻酔科医と外科医がこの病院の外科病棟の診療を受け持ってくれていました。休みなく24時間体制で働いてくれる現地スタッフには感謝をしなくてはいけないのですが、この18年余りの無政府状態で十分な医学教育も研修も受けていないため、彼らの医療水準とMSFの水準には大きな差があり、これを理解してもらい幅を縮めるのには大変苦労をしました。問題が起こるたびに、フィールド・コーディネーターや管理看護師に相談して協力を求めて、少しずつ改善を試みましたが・・・。

もう一つは、私の最初の執刀手術のことです。病院に着いた翌日に、14才の男の子の腹部銃創患者を手術しました。何ヵ所もの小腸、大腸の損傷を修復して、1時間半で手術は終わりました。麻酔から覚醒するのに時間はかかりましたが、翌朝には「OK!」と返事できていたのに、その3時間後に突然心肺停止になったのはショックでした。ICUで病状を管理していたにも関わらず・・・です。

良かったことは、いろいろあります。最後の数日間は手術症例も多く、その日の症例をこなすためにランチも抜きで、朝から夕方まで、1リットルのボトルの水だけを摂って手術室に詰めていましたが、とても充実していました。本当の戦場での外科手術を久しぶりに体験できました。また、出国前の帝王切開の研修を生かして、2例の帝王切開を問題なくやり遂げられました。

また、緊急退避は出発直前まで全員には明らかにされないので、出発1時間前に来た、爆発で両手の数本の指が坐滅して、胸壁や顔面に熱傷を受けていた患者などにも通常通りに処置などを指示して治療を行い、大慌てで出てきたのですが・・・。

空港に着いて飛行機を待っていたら、1週間前に退院した8才の男の子がお父さんに連れられて見送りに来てくれたのは、驚いたと同時に大感激でした。膀胱結石が嵌頓して排尿できないうえに、両側の陰嚢が炎症で腫れて歩けなくなったために、緊急性ありということで手術になったのでした。膀胱結石は2005年に2度にわたりインドネシアに派遣された時にかなりの症例を手術していたので、短時間でスムーズに手術ができ、経過も順調でした。元気になった子どもの見送りが、緊急退避でちょっと暗いムードだったチームに医療援助の醍醐味を教えてくれました。元々小児外科医の私にとっては、さらなる感激でした。この子の将来の夢はパイロットになることだと・・・。紛争の犠牲になることなく、夢をかなえられるように・・・と、機内から滑走路脇に立つ子どもに手を振って、ソマリアを後にしました。

派遣期間を終えて帰国後は?

長崎県内の市民病院を再生する援助を頼まれていたので、2008年6月からはその病院で週2回、非常勤で女性総合外来と小児外科を担当し、それ以外は80才の父が開業する病院で診療を助けます。

機会があれば次の派遣に行くかも知れませんが、4年前から県立大学で救急医療の集中講義を行っており、また長崎大学国際健康学科での講義なども控えているため、その合間をぬって短期の外科プログラムに参加できれば・・・という程度です。また、自分が参加することよりも、さらにより多くの日本人医師や、MSFの活動に興味のある医師が派遣できるように支援することにも力を入れたいと思っています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

いつも同じことになりますが、少しでも参加したいと思っている方には、しかるべき準備をして、自分を試すつもりで挑戦していただきたいと思います。十分な検査機器がないところで、自分たちの臨床能力だけで診療し、そして、外科医であれば、その技術を提供することで、世界全体でみればわずか一人でも、その人の命を救うことができるという体験は、本当にかけがえのないものです。この体験は、その後のそれぞれの価値観や人生を変えるくらいのインパクトをもつこともあります。

派遣に際して大切なことは、ある程度の語学力、チームとして働くためのコミュニケーションの力、思いやり、そして医療人としてのモチベーション、さらに異なる文化や宗教、そして食などの生活習慣を尊重し、それらに適応する力などです。

MSF派遣履歴

派遣期間
2001年4月~2001年8月
派遣国・プログラム地域
スリランカ・バティカロア
ポジション
外科医
派遣期間
2003年2月~2003年4月
派遣国・プログラム地域
ヨルダン・アンマン
ポジション
外科医
派遣期間
2005年6月~2005年6月
派遣国・プログラム地域
インドネシア・シグリ
ポジション
外科医
派遣期間
2005年9月~2005年9月
派遣国・プログラム地域
インドネシア・シグリ
ポジション
外科医
派遣期間
2005年11月~2005年11月
派遣国・プログラム地域
リベリア・モンロビア
ポジション
外科医
派遣期間
2007年7月~2007年8月
派遣国・プログラム地域
スリランカ・バティカロア
ポジション
外科医
派遣期間
2007年9月~2007年9月
派遣国・プログラム地域
ナイジェリア・ポートハーコート
ポジション
外科医