海外派遣スタッフの声

難民キャンプの緊急援助で多くの経験と学び:畑井 智行

ポジション
正看護師
派遣国
エチオピア
活動地域
ガンベラ州
派遣期間
2014年3月~2014年9月

MSFの海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

前回の南スーダンでの活動が、内戦による影響を受けて自分としては不完全燃焼に終わっていました。今回、エチオピアで南スーダン人の難民キャンプを対象としたオファーが来たため、チャレンジしてみようと思いました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

帰国後は、以前勤めていた病院と短期契約を結び、平日は勤務、休日は家族と過ごす時間にしていました。帰国から約2ヵ月後に今回の派遣のオファーが来て、急いで出発準備に移りました。

出発までは、MSFのプロトコル、薬剤ガイドライン、医療英語の学習に努めました。英会話は現地入りして1週間もすれば再び慣れるので、特に何もしませんでした。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

看護師としては、前回、南スーダンの活動で入院部門のマネジャーを担い、勤務表作成、リクルート(面接・試験作成実施)、トレーニング(記録・清潔操作・清掃など)、薬剤・機材請求、夜勤見回り、出欠勤表や有給年休管理・統計やレポート作成をした経験が役に立ちました。

海外派遣スタッフとしては、日本とは異なる生活環境(バケツシャワーや停電、異なる食生活)、安全ルール、さまざまな会議などのほか、日本食会やバーベキュー、ゲームやジョギング、散歩などを主催した経験が生活面で役立ちました。

通常のプログラムと今回のような緊急プログラムでは1日の流れや業務量などが違いますが、上記のような看護師としての業務内容やMSFとしてのルールは基本的に変わらないので、過去の経験があるだけで、安心して取り組めました。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

多くの子どもが栄養失調の状態だった。 多くの子どもが栄養失調の状態だった。

5万人規模の南スーダン人難民キャンプが2つある地域に病院を設立し、キャンプ内のニーズに対応していました。当初、海外派遣スタッフは医師2名と看護師の自分、合計3名で、病院は40床規模でスタートしましたが、自分の活動終了時には海外派遣スタッフ11名で140床規模に増えていました。

私は最初、看護師長として薬剤管理を主に担い、その後海外派遣スタッフが増えるにつれ、入院部門マネジャーや入院栄養治療センターのマネジャーとして、それぞれ45人ほどの現地スタッフ(医療アシスタント、看護師、助手、通訳、栄養治療の補助員、清掃員、生活指導員など)を管理・指導しました。

また、ロジスティシャンや水・衛生管理専門家(WATSAN)、アドミニストレーターとも日々連携を取り業務を進めていました。

主な疾患は、ほとんどが栄養失調か脱水の状態で、さらに肺炎、マラリア、はしか、結核などを患っていました。

3ヵ月でいったん自分の活動期間が終了し、一度帰国しましたが、2週間後には再び派遣の要請があり、同じ町に戻りました。今度は難民キャンプ内での診療所2ヵ所の立ち上げが業務でした。

日中は基本的に自分1人でスタッフの管理・指導をしながら運営しました。医療スタッフは現地スタッフが7名、難民もスタッフとして35名が働いており、非医療スタッフは警備員が3名、ロジスティシャンが数名~数十名いました。

雨期に入ると、マラリア、肺炎、E型肝炎、皮膚感染症が主な疾患となってきました。このころには、栄養失調はほかのNGOとの協働により改善していました。また、国境で銃撃戦があった時は、夜中に片道3時間かけ負傷者の搬送をしたこともありました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

7時起床。朝食後、7時半に宿舎を出発し、病院まで片道1時間かけて車で通勤しました。

着任当初の1ヵ月は、昼食を準備する時間がなかったり食べる時間がなかったりと、スタッフはみんな、非常に忙しい日が続きました。

夜は午後7時、時には9時まで働いていました。夕食時や夕食後に会議をして、翌日の物品準備を終え、午後11時ごろ宿に戻り、バケツシャワーを浴びて就寝です。

2ヵ月目からは、簡易宿泊施設を病院近くに設立したため、通勤時間が削減されました。ここにはキッチンもあり、昼食も午後2~3時、夕食も午後7~8時にはとれました。夜は3日に1回でオンコールを受け持ちましたが、時々急変急患で呼ばれる程度でした。

休日は2ヵ月目から週1回、交代でとりました。昼まで寝て、午後は魚料理がありWiFiのできる唯一のレストランに、気がつけばみんな集合していました。夜は日本食やバーベキューパ-ティーを企画して交流を深めました。

現地での住居環境についておしえてください。

雨の難民キャンプは泥水が広がる。 雨の難民キャンプは泥水が広がる。

ガンベラの街にあるMSFの宿舎では相部屋で、病院の宿泊所では個室でしたがコウモリと相部屋でした。部屋には蚊帳付きの簡易ベッドがありました。

毎晩停電していたため、自分の活動期間の後半は自家発電で電気をまかないました。断水も週3回ほどあり、その時は川の水をロバが運んでくれます。シャワーはバケツシャワーでした。また、携帯電話の電波は晴天時のみつながりました。インターネットも同様です。

食事は料理人がエチオピア料理の主食であるインジェラか、パスタかインディカ米を準備してくれますが、おかず類はなく、主食を好きなだけ食べる形です。エチオピア料理は自分にはやや脂っこく、食材が限られているため日々同じメニューでした。ビールは日によって入手可能でした。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

両親のいないジーマ君。ほかの母親たちとスタッフで世話をした。 両親のいないジーマ君。
ほかの母親たちとスタッフで世話をした。

難民キャンプの病院と診療所の立ち上げの初期から、たくさんの苦労と経験、学びを得ました。特に立ち上げ時から自分の活動が終わるまで常に、薬剤、物資、人材の不足に頭を悩まされました。

プログラムの開設当時は、混乱と多忙という理由でコミュニケーションの不足もありました。思うようにいかないことにとても憤りを感じ、毎晩、海外派遣スタッフ全員で集まって振り返りを行い、改善していきました。

深刻な水不足のため、人びとが雨水を溜めて飲んでいる姿を見るのもとても悲しいことでした。それにより感染症や下痢など消化器症状を患う可能性が増すことを考えると、心が痛みました。

水の供給はほかのNGOが担っていました。道が泥沼化し水タンカーが届かないため、自分たちで毎朝運べるだけ運びましたが、圧倒的に足りませんでした。水不足に関しては、毎日、チームの仲間やほかのNGOと改善のため奮闘する日々でした。

このような劣悪な環境のため、難民の中には興奮して気が荒くなってしまう人もいました。MSFの診療所の待合室で難民の患者同士が喧嘩したり、先に診察してもらえるようスタッフに威圧的態度で求めたりすることもありました。

こういったことが起きると、MSFはスタッフを車やテント脇で待機させ、すべての患者に、MSFは医療援助に来ていること、医療援助活動を尊重してもらいたい、というメッセージを伝えるようにしました。

その後も地域の代表者に来てもらい、MSFの活動を尊重してもらえるよう診療所で患者に話をしてもらったり、プログラム責任者に衛星電話を常備してもらったりと、スタッフの安全確保に務めました。苦労しましたが、良い経験、学びとなりました。

現地スタッフや海外派遣スタッフと、限られた資源の中で試行錯誤しながら協力し合い、一定の成果を得られたことを誇りに思います。

患者の母親が、自分のためにランチボックスを作ってくれた時、また、出産時に母親が亡くなり父親はまだ南スーダンにいる新生児を、ほかの母親たちとスタッフで栄養失調を脱するまで育てた時、そして、難産の末に出産した母親が息子に私の名前をつけてくれた時、とても感動を覚えました。

今後の展望は?

しばらくの間は家族と過ごします。平日は前の職場へ勤務します。今後も緊急援助活動に主に関わっていきたいと思います。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

日本での勤務経験だけではなく、バックパック旅行や海外旅行の経験、料理、自動車、パソコン、登山、スポーツなどの趣味特技、すべての経験がいつかどこかで役に立ちます。日々チャレンジしてください。

英語に関しては、もともと私の医療英語の知識はゼロに近いものでしたが、やっているうちにだんだんと覚えていきます。まずは日常会話をすべて英語でできるようにすることです。教科書よりも、居酒屋やアイリッシュパブでひたすら英会話するのが私の一番の勉強法でした。

MSF派遣履歴

派遣期間
2013年8月~2014年2月
派遣国
南スーダン
プログラム地域
アウェイル
ポジション
看護師