海外派遣スタッフの声

遠隔管理で地域の病院をサポート:品田 裕子

ポジション
看護師
派遣国
スーダン
活動地域
北ダルフール
派遣期間
2013年2月~2013年11月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

前回のウガンダへの派遣以来、MSF の活動から離れて2年間ほど、日本で訪問看護ステーション勤務をしていました。

そこでは所長職に就いていたので、当初はそこに骨を埋めるつもりで就職したのですが、日が経つにつれてMSFの活動に再び参加したいという思いが強くなり、今回の派遣の1年ほど前から再び参加する決意を固めていました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

派遣前に日本で働いていた時から英語教室に通っていました。日本で訪問看護をしているとまったく英語を使う機会がないため、MSFに参加を決める前から英語学習は続けていました。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

過去の派遣で役に立ったことは、文化の違う人たちと一緒にひとつの目標に向かって業務を遂行する方法を身につけたことです。

日本人の医療関係者であれば「常識」と当然のように信じてやってきたことでも、それをただ押しつけていては、現地スタッフは協力してくれません。相手の受け入れやすい方法を、相手に合わせて行うことが大切だと今までの経験から学びました。

問題点はどのプログラムでも似ています。どんな問題が起こるのか、またはもうすでに発生しているのか、かなり予測をつけることができます。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

事務所で仕事中の筆者。 事務所で仕事中の筆者。

MSFは、紛争が続き今も治安が悪いスーダン・北ダルフール地方の病院へ、基礎医療や予防接種などを提供していました。今回私は、そのうちカグロ地域にある現地病院での看護マネジャーという職務につきました。

主な仕事は、病院の医療全般の管理業務です。現地病院への医薬品やワクチンの配送手配をはじめ、データ収集、分析、レポート作成、問題点の改善、ほかのNGO団体などとのミーティング参加、政府関係者との打ち合わせなどです。

北ダルフールでは政府軍と反政府軍の対立が続いており、MSFは、政府軍が支配するエル・ファシールという町に事務所を置いていました。しかし、私が担当した病院があるカグロ地域は完全に反政府軍が支配している地域で、スーダン政府から、MSF の外国人スタッフのカグロ訪問許可が下りなかったため、私はエル・ファシールの事務所からカグロへ電話またはメールで連絡を取り合いながら業務を進めていました。

ほかの病院へは訪問可能でしたが、結局私の活動中にカグロの病院への訪問許可は下りず、私は一度も行くことはできませんでした。

山道を長時間かけて患者を搬送することも。 山道を長時間かけて患者を搬送することも。

現地では医薬品も、政府の許可が下りず2年以上も送ることができていませんでした。カグロの病院では現地スタッフが30人ほど働いていますが、必要な薬が全くない状況で、治療ができず、緊急の患者だけを主に近隣の病院に搬送していました。搬送するといっても、山道をロバか人間が担いで行かなくてはならない場所もあり、ロバと車を使っても片道4時間はかかるという状況で、重症患者さんにとってはかなり危険な移送でした。

患者さんは、呼吸器、消化器、尿路などの感染症が多くを占めていました。緊急時の移送のほかに、正常分娩と予防接種を扱っていましたが、突発的な疾病の流行を防ぎたいスーダン政府から許可が下り、ワクチンだけは現地に送ることができたため、予防接種の活動は順調にできていました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

現地スタッフがふるまってくれたダルフール地方の家庭料理。 現地スタッフがふるまってくれたダルフール地方の家庭料理。

勤務時間は朝8時から夕方4時までです。イスラム教の国なので金曜、土曜が休みです。日曜日が週の初めのため、日曜日の朝はエル・ファシール事務所にいるすべてのスタッフで全体ミーティングをしていました。

現地人スタッフは全員イスラム教徒で、1日5回のお祈りの時間があります。また、1ヵ月ほどの断食月があり、その期間、イスラム教徒は日中禁飲食です。かなり暑い気候の時期と重なり、皆、喉の渇きと闘っていました。脱水症状を起こす人も珍しくありませんでした。

休日は、ほかの援助団体のスタッフと一緒にバーベキューをしたりしていました。宿舎の近所にMSF以外の現地人の友人もでき、特に女の子同士で集合してはケーキを作ったり、ダンス・エクササイズのズンバのDVDをかけて踊ったり、近所の公園にピクニックに行ったりしていました。現地スタッフの結婚式や、子どもが生まれたお祝いなどに行く機会も多かったです。

現地での住居環境についておしえてください。

昼食時間、同僚とともにランチ。 昼食時間、同僚とともにランチ。

宿舎は3件あり、常時いる外国人スタッフは7名ほどだったので好きな部屋を選べました。事務所も宿舎も広く入り組んだ構造になっているため、初めのころは迷子になりました。

よく停電になるため、自家発電機を使用できるようになっており、電気は24時間使えます。エアコンは薬品倉庫にしかないので、居室や事務所は天井についた扇風機を使用します。風通しが悪く室内はかなり気温が上がります

シャワーはお湯が使えます。水はとても貴重で、生活で使う水を買いタンクにためてありますが、トイレは水洗です。ほかの活動地に比べるとかなり便利な生活環境が整っていました。治安は悪いので、1人での外出は禁止されていました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

栄養失調の治療について、現地スタッフの勉強会も開催。 栄養失調の治療について、現地スタッフの勉強会も開催。

管轄の病院に一度も行くことがなく、遠い事務所から管理業務を行うのは初めての経験でした。ひとつの事を確認するにもかなりの時間がかかります。そして病院での状況がどうなっているのか、正確な把握は難しいのが実情です。

また、必要な薬もない病院でできることは限られていました。私も現地の病院で働いているスタッフも葛藤を抱えながら、制約がたくさんある中でできることを模索しながらの業務遂行でした。

混乱したスーダンの政治の狭間で、できないことはできないと受け入れるしかないことも痛感していました。しかし、直接患者さんたちと接している現場のスタッフは常に高いモチベーションを保ちつつ、努力を惜しみませんでした。離れてはいましたが、そんなスタッフと仕事ができて、できないことにこだわるより、できることに焦点をあて発展させていくことの重要性を学びました。

今後の展望は?

今後の進路は模索中です。日本で就職していきたいと思ったりもしますが、もしかしたらまたMSFの活動に参加したくなってしまうかもしれません。限られた人生の時間をどう使うか、真剣に考えているところです。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

海外派遣を希望するのでしたら、ぜひやってみてください。全く別世界が広がっています。日本での価値観が通用しない場面にも遭遇するでしょう。そこで、自分が信じていた価値観ってなんだったのだろうと、根底から覆されることもあります。そこから違うものが見えてきます。

援助活動に初めて参加するまでは不安も多いと思いますが、参加してみると、あとは業務遂行と共同生活のめまぐるしい日々が待っています。それらの経験は今後の生き方にも役に立つのではないでしょうか。

MSF派遣履歴

派遣期間
2009年6月~2010年3月
派遣国
ウガンダ
プログラム地域
アルア
ポジション
看護師
派遣期間
2008年7月~2009年1月
派遣国
スーダン
プログラム地域
ダルフール
ポジション
看護師
派遣期間
2007年8月~2007年12月
派遣国
イラン
プログラム地域
メルハン
ポジション
看護師
派遣期間
2006年9月~2006年12月
派遣国
インドネシア
プログラム地域
シグリ
ポジション
看護師