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海外派遣スタッフの声

活動地では地元チームとサッカーも:小口隼人
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣国
- スーダン南部
- 活動地域
- アウェイル
- 派遣期間
- 2010年5月~2010年11月
なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
今回で5回めの参加でした。これまでの海外派遣を通して世界中には国境なき医師団(MSF)のような団体による助けを必要としている人びとが多く存在するということを痛感し、今の自分の能力やスキルを活かしたいと思い、再び参加しました。大変な人たちがいると知った以上は放っておけません!
それと人生やりたいことをやって生きていたいです。人助け、旅行、サッカーなどやりたいことはたくさんあります。もちろん生活の糧も得なくてはなりません。MSFでの海外派遣の仕事はこれらを(大体)全部実現できるので魅力的です。2007年から、海外派遣(6ヵ月)、旅行や日本での休暇(2~3ヵ月)というサイクルでやっています。
今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
多岐にわたります。引越しのムーバー、Jリーグ警備員、銀行ATM清掃スタッフ、塾英語講師、ホテル・フロント、保険営業、飲食店スタッフ、メディア関係、NGOのための募金活動、大使館スタッフなどが挙げられます。どの仕事でも多くのことを学びましたが、私がMSFでロジスティシャンとして働くときに必要な直結する技術的スキルを得られた仕事というのは特にありませんでした。
しかし、MSFのロジスティシャンの仕事は、電気、車・機械整備、水・衛生管理、建設など非常に多岐にわたるので、マネジメント力、計画力、交渉力、コミュニケーション力などのスキルが必要です。過去の仕事やアルバイトの中には、これらのスキルを学ぶ機会もありました。
私の場合、ロジスティシャンとしては技術的なスキル・知識が乏しいので、MSFがフランスで行っている研修に参加してレベル・アップを図っています。
今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

母子保健、15歳未満の子どもに向けた一次医療、外科治療、栄養治療プログラムを行っていました。外国人スタッフ数はおよそ17人、現地スタッフの数はおよそ250人というMSFの中でもかなり大きなプログラムでした。
また、コレラなどの病気が流行したり、武力衝突などにより多数の負傷者や避難民が出た場合に、迅速に対応することもプログラムの目標でした。
プログラムが大きかったので複数のロジスティシャンがアウェイルに派遣されており、私の仕事は彼らを監督・指導・サポートすることでした。また、スーダン南部の首都ジュバにあるコーディネーション・チームと連携するのも私の仕事の1つでした。
簡潔に言えば、中間管理職のような仕事をしていました。
週末や休暇はどのように過ごしましたか?
アウェイル・スターという地元のチームでサッカーをしていました。ポジションは左右の中盤ミッドフィールダー(MF)。私の右足で何度も精度の高いセンターリングを上げたつもりですが、残念ながらヘディングで決められる人はいませんでした。でも、猛スピードのドリブルでシュートまでもっていくアフリカ・サッカーはスーダンでも健在でした。
休暇はケニア北東部にあるラム島でのバカンス。この島には車がなく、ロバとボートが移動手段という静かなところでした。アウェイルでは食べられないシーフードを食べまくり、ビーチで日光浴、ラム島の伝統的な船で夕日を見るクルージングなどをして楽しみました。
現地での住居環境についておしえてください。
私の家はシンプルなアフリカ式の小屋でした。からぶき屋根と土の壁でできた4㎡の小屋で、その中にテーブル、扇風機、小さな棚、椅子とベッドがあるというものでした。雨季には豪雨に何度も見舞われましたが、特に壁が崩れたり雨漏りしたりすることもなく快適でした。
トイレはいわゆる“ぼっとん便所”タイプの簡易トイレです。シャワーは蛇口をひねって水を出す普通の水シャワーです。乾季には日中の気温が摂氏50度くらいになるので(結果的に)熱いシャワーを浴びることができました。
テレビはなかったので、南アフリカで行われたサッカーワールドカップは徒歩30秒の地元のバーで観戦しました。インターネットはモバイル式のネット接続端末を約1万円で購入し、たまにメールのやりとりをしたりしていましたが、スピードがとても遅かったので、結局インターネットはあまり使いませんでした。
料理は料理人が作ってくれました。メニューはスーダン産牛肉、エジプト豆、残り物野菜のピザ、オクラのトマト風ドロドロスープ、エチオピア料理、鶏肉の赤ワイン煮、アウェイル風お好み焼き(私が伝授)、具があまりないチャーハン(これも私が伝授)など。工夫しないとバリエーションがないので、できるかぎり工夫するよう料理人に頼みました。
よかったこと・辛かったこと
今までやってきた担当業務の中で人事管理が一番大変だったので、今回も気をつけて仕事をしなくてはなりませんでしたが、大きなトラブルもなく無事に派遣を終えることができました。長く続いた内戦のためにスーダン南部の保健システムは機能しておらず厳しい状況でしたが、他の外国人スタッフと現地スタッフと協力して働き、多くのことを学んだことは大きな財産です。
辛かったことは山ほどあったので、まとめれば小レポートができると思います(笑)。一番辛いと思うのは、今まで参加したどの活動でもそうですが、やり残した仕事がたくさんあるのに派遣期間が終了することでしょうか。前回私が働いていたスーダン・ダルフール地方、コンゴ民主共和国、ハイチもそうでしたが、スーダン南部も現地の状況は大変です。
派遣期間を終えて帰国後は?
病気で入院している祖母のお見舞い。家族と親戚へのあいさつ。友人との再会&飲み会。本の取材やラジオ番組でのインタビューなどの広報活動。買いだめしてきた本をできるだけ読む。正月の雰囲気とおせち料理を堪能。次回の派遣のための健康診断と歯科検診など、たくさんあります。
次はスリランカに2011年1月から行ってきます!
今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
MSFが活動を行う国では私たちが日本では経験することのない困難に数多く直面すると思います。しかし、あまり心配することはないと思います。困難も多いですが、いろいろな素晴らしい人とも出会うことができるからです。お金持ちとそうでない人、日本人、外国人、信仰心が熱い人、無宗教の人など、さまざまな人たちです。それらの人たちに支えられながら活動していくのがMSFからの派遣だと思います。
MSF派遣履歴
- 派遣期間
- 2007年5月~2008年3月
- 派遣国
- スーダン・西ダルフール州
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣期間
- 2008年6月~2009年1月
- 派遣国
- スーダン・南ダルフール州
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣期間
- 2009年4月~2009年11月
- 派遣国
- コンゴ民主共和国・北キブ州
- ポジション
- ロジスティシャン
- 派遣期間
- 2010年1月~2010年3月
- 派遣国
- ハイチ・ポルトープランス市
- ポジション
- ロジスティシャン
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