海外派遣スタッフの声

複数の体制に対話の窓を広げ活動を実行:萩原 健

ポジション
コーディネーター
派遣国
リビア
活動地域
派遣期間
2015年9月~2016年7月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

2014年に初めてリビアの地を踏んでから、今回が4度目のリビアでの活動となりました。リビアの情勢は安定せず、国際機関、NGO問わず、すべての国際人道援助団体が国外に自主退去していた状況下、MSFだからこそ出来ることがあると思い、再びリビアでの活動に参加しようと思いました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

骨を休めていました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

イエメン、イラク、シリアなど、以前参加した活動を通して得た中東情勢やリビアに関する知見は、活動全体を統括し、各プロジェクトをサポートする上で役に立ったと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

リビアのプロジェクトは広範囲にわたるため国外に飛行機を導入して空路で移動した リビアのプロジェクトは広範囲にわたるため
国外に飛行機を導入して空路で移動した

MSFとしては、当初、紛争地域での救急救命(ER)及び外科治療をサポートする一方で、同時平行的に各地域でのアセスメントを行ってきました。間接的な医療施設への支援としては、特定の医療施設にマス・カジュアリティ(集団災害)の際のトレーニングをし、必要な医薬品を供給し、直接的には、約9ヵ月の間に同国内において4つのプロジェクトを立ち上げました。

プロジェクトの目的は、地域毎で異なりますが、産科、小児科、救急室への支援、妊婦と5歳未満の子どもを対象にした診療所の設置などです。あるプロジェクトでは正規書類を持たない移民をも受け入れる外来診療を始めました。

プロジェクトを立ち上げるには、ニーズと目的を具体的に明確にし、設定する必要があり、それに基づいたチームを構成する必要がありますが、チームの安全確保ができるのかという点も非常に重要な判断要素となります。日々刻々変化する情勢の中で、国内のある地域で起きたことがほかの地域に影響を及ぼすこともあります。国外の動きがリビア国内の情勢に影響することもあります。活動責任者としての1つの役目は、プロジェクト現場で活動をするチームに、より広い視野に立った情報収集と情勢分析をして、サポートすることでもありました。

リビアでは2014年の国民議会選挙結果をめぐる利害当事者間の政争で生じた政治的空白が、武装グループの活動の先鋭化、国外からの武装勢力の流入に拍車をかけており、地中海経由で欧州に渡る難民の数も減ることはなく、対岸の欧州各国にとってもリビア情勢は脅威として認識されています。

当初は選挙前の体制を支持する勢力と選挙後の体制を支持する勢力との対立であったものが、2015年末には、国連の後押しを受けたもう1つの体制が名乗りを上げ、現在(2016年9月)は、3つの政治体制が存在、それぞれに首相と各省庁の大臣が存在しているという、混沌とした状況にあります。

そういった混乱状態は、治安、経済、教育そして医療といった社会全般に影響を及ぼしています。いわゆる「正規の」軍隊や治安を司る警察は存在せず、個々の地域を支配する部族や武装組織に治安が委ねられているのが現状です。

当然、武装組織間での抗争は続き、昨今では先鋭化した組織や急進派グループ、更には米国による空爆も公式に発表されています。紛争地域での医療施設は機能していない状態にありました。

リビアは産油国であり、国際的な開発援助に関する区分では高中所得国(UMICs) に分類されています。主要都市に行けば病床数800規模、最新医療機器を備えた病院さえもあります。しかし、2011年カダフィ政権崩壊後、政治、経済、治安は安定しないため、医療体制の基盤は崩壊していると言っても良いかもしれません。

大きな比率を占めてきた外国人医療従事者の多くは、治安上の問題、給料未払い、リビア通貨価値の下落といった問題により同国を離れ、輸入に頼ってきた医薬品供給は滞り、医薬品流通システムも崩壊、いくら800床ある病院でも、機能していないといったのが実状でした。

さらに輪をかけて、皮肉にも国際経済の中で「高中所得国」として位置づけられている事情が、国際社会が援助・支援という点において二の足を踏んでいる一要因ともなっていました。例えば、不安定な政情、経済的混乱、治安など複合的な理由により、ワクチンを含む医薬品の不足が続いている状態にも関らず、「高中所得国」であるが故にGavi-ワクチン同盟からの助成を受けることが出来ないという状況でした。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか? また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

プロジェクトをサポートするために移動をすることが多く、決まった1日のスケジュールを立てることは難しかったです。9ヵ月間でアセスメントを繰り返し、プロジェクトを立ち上げる必要があったため、なかなか休みをとるのは難しかったと思います。緊急援助活動ですので、それも仕方がないのかと思います。

現地での住居環境についておしえてください。

最初は一軒家を借り上げ、その後、活動規模の拡大に伴い、2階建ての中に4つのフラット(共同住宅)があるビルを丸ごと借り上げ、事務所、倉庫、居住施設として使用していました。インフラが不安定なため、独自に発電機を設置していたので、特に不自由は感じませんでしたが、携帯電話の電波が入りにくかったので、その都度、屋上に上がって電話をかける必要がありました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

3つの体制が主権を主張しあい、国際社会から認知された体制がいずれなのかがはっきりしない状況で活動することは、非常に難しいものです。かといって法治国家としての制度・機能が完全に失われているわけでもありません。1つの体制に属する当局が問題なしと判断したものが、別の体制に属する当局が否とすることもあり得ます。

公的、私的問わず、MSFの以外の海外援助団体、機関がリビア国内での活動に二の足を踏んでいた理由の1つは、いずれの体制と話をしたら良いのか、すべきなのか、という点で結論を見出せなかったことかもしれません。またそれは自分たちの安全管理という点にも大きく係わってきます。

いかなる体制とも対話の窓を開け、中立性のもとで独自に判断をする団体であるからこそ、リビア国内で政治的に対立する勢力のいずれの地域でも活動することが出来たのだと思います。

今後の展望は?

機会があれば、全体を統括するコーディネーションとは別に、もう一度プロジェクト現場でのポジションに戻ってみたいと考えています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

医療・人道援助に携わるといっても目的は個々異なるでしょうし、それぞれに合った場があると思います。MSFの現場での活動は、直面する現実の中にあって、それは机上やインターネットや空論の世界ではありません。個人的にMSFで活動をしていておもしろいと感じるところは、何の権威も持たないごく普通の人たちの集団が、その場その時で、議論し切磋琢磨(せっさたくま)して生み出す力です。もう一度やってみろと言われても出来ないようなことを、可能にしていった例はいくらでもあります。

個々、誰かから強制されるわけではなく、自発的な意思を持って参加しています。ですから一度経験をしてみて、自分には合わないと思えば進路変更すれば良いし、疲れたと思えば一休みすれば良いし、自分に合っていると思えば続ければ良いのではないでしょうか。

MSF派遣履歴

派遣期間
2014年11月~2015年7月
派遣国
リビア
プログラム地域
ポジション
プロジェクト・コーディネーター
派遣期間
2014年4月~2014年10月
派遣国
リビア
プログラム地域
ポジション
プロジェクト・コーディネーター、活動責任者
派遣期間
2013年10月~2014年3月
派遣国
シリア
プログラム地域
ポジション
副活動責任者
派遣期間
2013年4月~2013年8月
派遣国
エチオピア
プログラム地域
アファール州テル地区
ポジション
プログラム責任者
派遣期間
2012年7月~2013年2月
派遣国
イラク
プログラム地域
ナジャフ
ポジション
プログラム責任者
派遣期間
2012年4月~2012年7月
派遣国
シリア
プログラム地域
ポジション
プログラム責任者
派遣期間
2011年8月~2012年2月
派遣国
イエメン
プログラム地域
アデン
ポジション
プログラム責任者
派遣期間
2010年12月~2011年6月
派遣国
南スーダン
プログラム地域
ラジャ
ポジション
プログラム責任者
派遣期間
2009年11月~2010年9月
派遣国
インド
プログラム地域
ジャールカンド州
ポジション
ロジスティシャン
派遣期間
2009年10月
派遣国
インドネシア
プログラム地域
ジャカルタ
ポジション
ロジスティシャン
派遣期間
2009年1月~2009年9月
派遣国
イエメン
プログラム地域
サダア州アル・タール
ポジション
ロジスティシャン
派遣期間
2008年6月~2008年12月
派遣国
ケニア
プログラム地域
ナイロビ
ポジション
ロジスティシャン