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海外派遣スタッフの声

現場でMSFならではの体験を:森川光世
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- リベン
- 派遣期間
- 2011年12月~2012年3月
なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?
MSFの日本事務局で支援者対応の担当をしていたころ、支援者の方にご理解をいただけるようMSFの活動について学んでいました。その際、資料を参考にするだけでなく、海外派遣から戻られた方の体験談を聞く機会もありました。その経験を通して、やはり自分自身で現場に入りもっと理解を深めることにより、より説得力のある説明を支援者の方にできればと思ったのがきっかけです。
今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?
MSFの事務局に勤める以前は、中学・高校の英語教諭として勤めていました。ファイナンスのチームをまとめたり、現地スタッフをトレーニングしたりする上で、教員経験は役立ったと思います。
また、MSFの日本事務局では寄付をいただくという立場でしたが、海外派遣ではいただいた寄付を使うという立場でした。そのため、両方の観点から活動に参加することにより、日本事務局での仕事の意義をいっそう強く感じています。
今回参加したMSFの援助プログラムの目的と背景は? その中で、具体的にどのような業務をしていたのですか?

エチオピアのリベン地域にある難民キャンプでのソマリア難民の支援でした。栄養失調プログラムが主な活動でしたが、外来や妊産婦のケアも行われました。2011年だけで10万人もの難民が到着し、急遽、援助活動を拡大した緊急ミッションでした。私が到着した2011年12月には患者数も落ち着いていたため、2012年に入ってからは活動を縮小するための手続きに入りました。
業務内容は、経理データのチェック、仮払金管理や支払い手続きの監督、予算の見直し、本部や首都のチームからの送金依頼手続き等に及びました。
週末や休暇はどのように過ごしましたか?
土曜日は勤務日で、日曜日だけが週末でしたが、読書をしたり、昼寝をしたり、たまに料理をしたりして過ごしました。
日曜日の夕方には10分ほど歩いたところに夕陽を見に行くことが許されていましたが、それ以外は、安全確保のため外出禁止でした。居住敷地内で、土曜日の夜にパーティをしたり、プロジェクターを使って野外シアター作り、映画を見たりすることもありました。
現地での住居環境についておしえてください。

首都のアディスアババで採用されリベンに赴任しているエチオピア人スタッフ約200人と、海外派遣スタッフ35人が、同じ敷地内で共同生活をしていました。テントが軒(?)を連ねるように並べられ、私はスペイン人の女性とテントをシェアしていました。テント内には家具はないので、段ボールで整理棚を作っている人もいました。私は布製の収納ホルダーを持参していたので、テントの天井から吊るして小物を整頓することができました。
水は川から給水車でくみ上げてきたものを、給水タンクに貯めて消毒し、シャワーや洗濯に使っていました。飲み水は、首都のアディスアババで購入したボトル入りの水が送られてきました。
電気は発電機を頼るしかありませんでした。夜11時~朝7時までは電気がない状態でしたが、自然と早寝早起きの生活ができました。ヘッドライトは必需品です。
食事は3食、現地スタッフが用意してくれますが、食材は3日かけてトラックで首都から搬送してもらうか、2時間半ほどかけて買い出しに行かないと手に入りませんでしたので、食事の味は良くても、ほぼ毎日同じものが出される状態でした。
コミュニケーションは、衛星電話回線を使って通話をするか、メールの送受信はできましたが、携帯電話やインターネットはありませんでした。
良かったこと・辛かったこと、活動をしてみて印象に残ったことを教えてください。
以前から、首都ではなく、より現場に近いところへの派遣を希望していたので、今回はMSFだからこそ体験できる環境に身をおくことができ良かったと思います。患者さんや医療現場の近くにいることにより、自分自身がMSFに参加している意義を強く感じることができました。
一方、限られたスペースで200人以上が共同生活をしていた上、テントも自分専用のものではなかったため、一人で静かに過ごす時間や場所が無かったことにストレスを覚えました。
派遣期間を終えて帰国後は?
今は、日本の春を満喫すべく、ゆっくりと過ごしています。帰国のつど、家族、親せき、友人、お世話になった方々と会う時間を大切するようにしています。
今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス
派遣先の政治状況や、メンバーの入れ替え等により、活動の流れやチームの雰囲気は常に変わっていきます。そんな中で最も強く求められるのは、柔軟性だと思われますが、同時に自分の意見を抑え過ぎず適度に主張できるコミュニケーション力が必要です。これは、私自身にとっても、今でも課題の一つです。
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