特集

思いをつなぐ「こころの手紙」

「もう一度会いたい」 共に過ごした大切なあなたに

2022.02.16

元気でいてほしい 南スーダンのダックへ

久しぶりだね、ダック。僕のこと覚えているかな? 日本人の外科医だよ。 
君はそんな国知らないって言っていたけれど。 
 
初めて会った時、君は6歳くらいだったね。偽物のマラリア薬の筋肉注射で、お尻に大きな膿の溜まりができてしまって、痛くて泣きながら救急外来に来たね。手術をしてすっかりよくなった君は、毎日病院の入り口で僕のことを待ってくれていたね。お尻の傷を見せながら、「治してくれてありがとう」って言うために。 
「僕は将来この病院で働くんだ。困っている人を助けたいんだ」って、いつも僕に言っていたね。心優しい君は病院の入り口で困っている患者さんの案内もしていた。
 

あれから君のことを忘れたことはないよ──

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帰国の朝、あの空き地に着陸した飛行機に乗る僕に、「いつ帰ってくるの?」って何度も聞いたね。「そうだな、いつか帰ってくるよ」としか言えなかった。ずっと手を振ってくれていたのが窓から見えていたよ。 
 
数年後に南スーダンは独立したけれど、やっぱり内戦は収まらなくて、僕たちの病院も焼き討ちにあって破壊されてしまった。みんなにとって唯一の病院がなくなってしまった。僕らスタッフはみんな、今も悲しい思いをしているよ。 
 
あれからもう13年。君は大人の男になっているね。今も困っている人を助けているかな? それとも兵士になって戦闘に参加しているんだろうか。 あれから君のことを忘れたことはないよ。僕はいまも支援活動を続けています。 
 
ダック、お願いだから元気で生きていてほしい。いつか会える日を願っています。

国境なき医師団外科医 村上 大樹

助産師のアキラへ 心砕かれる経験を超えて

2021年8月のアフガニスタン政権崩壊のニュースを、胸を痛めながら見つめています。アキラはいま、どんな不安と絶望を抱えているのだろう、と。 
 
「私もここに残された女性たちも、これからどうなっていくのかはわからない」とあなたがくれたメッセージの切実さに、時代の変遷とともにあなたたちアフガン女性が味わわざるを得なかった差別や抑圧に思いをはせ、それがまた現実のものとなる恐怖を想像して居たたまれない思いです。

心を尽くして客人をもてなすことが誇りと言ってくれた気高く優しいアフガニスタンの人びと。勤勉で忍耐強い女性たち。こんな素晴らしい人びとが学び働くことの自由や権利を奪われることがあってはならない、と切に願っています。  

あなたの芯の強さと助産師としての使命感に感服させられたのです──

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2020年5月12日、私たちの大切なダシュ・バルチ病院が武力勢力の襲撃を受けた日も、私の心は張り裂けそうでした。2015年から2016年にかけてあなたと約50人の助産師と毎日身を粉にして働いた思い出の場所が、銃弾で穴だらけにされ、犠牲となったお母さんや赤ちゃんたちの血に染まっているのを見るのは悪夢のようでした。
 
国境なき医師団(MSF)が始まって以来、例を見ない凄惨な事件となってしまったその混乱の後に電話をかけた私に、助産師長だったあなたは、助産師たちがなんとか産婦さんと赤ちゃんを避難室に移動させようと迫りくる恐怖の中で全力を尽くしたこと、それでも動けない産婦さんを残して逃げるほかなかった助産師たちは大変傷つき心を病んでいることを話してくれました。 
 
MSFが病院から撤退するという苦渋の決断を下したとき、私はあなたの心が折れてしまうのではないかと思いました。毎日50件もの分娩を扱うカオスな状況にあっても、お母さんと赤ちゃんに最善のケアを行うこと、温かい心で接することを忘れないで、といつも助産師チームのみんなを鼓舞し続けてきたあなたが、どんなにダシュ・バルチ病院を愛していたか知っていたから。 
 
でも、そんな私の心配をよそに、アキラは「私がアフガンの女性たちにできることはまだまだある」と言いましたね。あなたがMSFの別のポストに配属され、新たに取り組もうとしていることについて、「エツコなら誰より力になってくれると思ったの。助産施設の運営について相談させて」と連絡をくれた時、私は改めてあなたの芯の強さと助産師としての使命感に感服させられたのです。 
 
心砕かれるような状況があなたを襲うたび、どんな励ましさえも空しく感じて、言葉を失ってしまいます。「私の一番の願いは、あなたにもう一度会いたいということ」。そう言ってくれたあなたと働くチャンスがあるのなら、私はまた必ずアフガニスタンの活動に参加するつもりです。
 
アキラ、また会える日まで、あなたとご家族がどうかご無事で健康でありますように。 

国境なき医師団助産師 中村 悦子

最高の相棒、ジョセフへ

ジョセフ、お元気ですか? 南スーダンから帰国して、もう2年半になります。 僕はいま、日本の一番西側にある離島に住んでいます。 
 
本島や近くの離島に行くためにフェリーを使いますが、その度に南スーダンでの生活を思い出します。支援先の病院に行くために、毎回ボートに乗ってナイル川を下っていたので、フェリーのエンジン音、水しぶき、心地よい風、まぶしい太陽や広い空が、南スーダンの懐かしい感覚を思い出させてくれます。

別れの前日は“幸せ”について語り合ったこと、覚えていますか?

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ジョセフは最高の相棒です。仕事が大変な時も、「一緒に力を合わせればできる」という言葉に励まされました。忙しくても決してイライラせず、休日出勤をしてまで僕の力になってくれました。辛い時もジョセフと一緒だったから乗り越えられたと思います。 
 
別れの前日は“幸せ”について語り合ったこと、覚えていますか? ジョセフは「家族、友人たちと良い関係を持ち続けること」「シンプルだけど、それが僕の幸せなんだ」「身近な存在を大切にしたい」と。 紛争で離れ離れになり連絡先も全くわからない恋人のことは「会いたい」「今は彼女が幸せでいることを祈るしかない」と。胸が熱くなり、ハグしたね。 
 
その日以来、僕は「身近な人から幸せに」というミッションを掲げ実行しています。ジョセフから大切なことを学んだ気がします。 ふたりが再会し、幸せに生活できる日が来ることを心から祈っています。

国境なき医師団薬剤師 篠村 英明

目を開くことのなかった赤ちゃんたちへ

お元気ですか。私はいま、日本に戻り赤ちゃんとお母さんとの出会いや成長を支えるお手伝いを続けています。
 
日本の病院や地域で働いていると、あなたたちのことをよく思い出します。妊婦健診の機会があれば、クリニックまで歩ける道があれば、あなたのお父さんがお母さんに外出の許可を与えていれば、あなたたちはお母さんの顔を見ることができたのでしょうか。

井戸がもう少し近くにあれば、家に施錠できる扉が付いていれば、女性に「YES」以外の選択肢が認められていれば、あなたたちは、愛の結晶として産まれ、お母さんの手の温かさを感じてから旅立つことができたのでしょうか。

あなたたちが産まれてきてくれたことには意味があるのです──

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安心して下さい。あなたたちのお母さんに私たちは精一杯の心と体のケアを行いました。あなたたちの妹弟が少しでもベストな状況で生まれ、成長できるように正しい知識や対処法も伝えることができました。これは、あなたたちが存在したからこそ、お母さんが得られた機会と人生の糧であると私は考えています。
 
あなたたちと出会えたことで、私は多くのことを学び、気付くことができました。お墓がなくても、戸籍がなくても、あなたたちが存在したことを私たちは忘れません。私たちはあなたたちの家族とこれから生まれてくるであろう兄弟が少しでも穏やかに過ごせる地域と医療を創るため、活動を続けます。世界中の仲間と共に、日本から、フランスから、そしてあなたたちの故郷から。あなたたちが産まれてきてくれたことには意味があるのです。

国境なき医師団助産師 護法 亜葵

天国へ旅立ったマリーちゃんへ

最初に白状しますが、実は僕はマリーちゃんのことは、病棟内で遠くの距離から目の端に入るぐらいでしか見たことがなかったのです。そもそも僕は病棟に隣接して建てられた事務所の中でほとんどの時間を過ごしていますし、病棟内に入っても、医師でも看護師でもない事務職の自分はなんだかよそ者であるような気持ちがいつまでも抜けずにいて、つい及び腰になってあまり患者や患者の家族に接しようとしないのです。(それではいけない、といつも思いながら……)

でもマリーちゃんのことは定例会議でよく触れられていましたので、どういう経緯でマリーちゃんがこの病院で育てられてきたのか、今マリーちゃんが直面している課題は何なのか、というようなことは常に認識していました。

連絡が駆け巡った瞬間、仲間たちの時間が息をのんだようにハッと止まるのを感じました

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4年前、重度の障害と先天性疾患をもって生まれてきたマリーちゃんをこの病院に連れてきた10代にしか見えない若いお母さんは、着くなりすぐに外で何かを買わなければいけないと言って出て行ったきり、そのまま戻ってきませんでした。残されたマリーちゃんの引き取り手はどこにもありません。名前や住所を確認する前にお母さんは消え去ってしまいましたから、家族や親せきの手がかりはまったくなかったと聞きます。
 
長い時間をかけて、マリーちゃんを引き取ることのできる孤児院などにコンタクトをしましたが、健康状態が厳しいこともあって、引き取りはかないませんでした。そうして、マリーちゃんは病院で治療を続けながら育ったのです。職員たちも、さまざまな葛藤を持ちながら、マリーちゃんのお世話を続けましたが、みんな立派な行いをしたと思います。
 
MSFベビーとして病院で育つことになったマリーちゃんでしたが、疾患の状態からみて、そんなに長くは生きられないであろうことは誰もが承知していました。
 
この国リベリアは、そんなに遠い昔ではない過去に2回過酷な内戦を経験しています。最後の内戦が終わったのはいまから20年前にも満たない時代です。この病院で働く職員の中にも、兵士として戦った人もいれば、難民キャンプで医療従事者として働いた人がいるとさりげなくは聞きますが、内戦について外国人である僕たちが触れることは、はばかられる雰囲気がありますので、具体的なことは何もわかりませんし、詮索するつもりもありません。ただわかるのは、戦争の爪痕はまだ確実に深く残っている、という点です。
 
そして世界を震撼させたあの大惨事、エボラ出血熱が西アフリカを襲ったのはいまから7年前で、リベリアでは1万人以上が感染し、5000人近くが亡くなっています。
 
凄惨な過去をもつ人たちが、いま不幸な目に遭っている他人にどう接するか、もちろんそれも人それぞれに違うのでしょうが、戦争と疫病による傷がまだ癒えない中で、どれだけ自分の体も心もいまだ傷ついていたままだとしても、他人の痛みを何とかしようと行動する、その単純で一途な心ほど、人間として本来もつべきものなのではないのか、と教えられた思いです。
 
この国、この病院には、そんな人が多くいるのです。
 
そうした人たちに出会えた僕もマリーちゃんも、幸運だとしか言いようがありませんね。僕の仲間たちが立派だと言いましたけれど、4年間頑張って生き抜いたマリーちゃんの方がもっと立派です。最後、苦しまずに旅立ったと主治医から緊急の連絡が駆け巡った瞬間、仲間たちの時間が息をのんだようにハッと止まるのを感じました。
 
マリーちゃんの旅立ちを見送る今日のセレモニーでは、陽気に歌って踊る多くの職員たちの中で一人だけずっと泣き崩れていた人がいました。彼女はマリーちゃんがいた病棟のチーフナースです。マリーちゃんに接してきた職員全員がマリーちゃんのお母さんだったことは間違いないですが、彼女がお母さん筆頭役だったのですね。
 
僕は彼女のようにマリーちゃんに触れたり話しかけることすらなかったよそ者でいたくせに、泣きじゃくる彼女を見てもらい泣きしてしまいましたが、そんな自分がなんだか浅ましいというか意地汚いというか、こズルいお調子もののように思えて、恥ずかしくなりました。でも一日が終わって部屋に戻って今日の出来事を頭の中で全部ありありと思い返してみたとき、やっぱり胸が一杯になって、改めて涙が溢れてきました。
 
人の「死」を前にして、笑って陽気に送り出す人と、泣いて別れを惜しむ人が、同じ瞬間、同じ空間に何の違和感もなく共存している。この国の人たちにとっては当たり前で特段驚くことではないのかもしれませんが、僕にとってはそれが衝撃的でした。それって僕がこれまで年単位の海外駐在という形で触れて来たいくつもの違う文化の中でも、限りなく進歩的なことなんじゃないのか、と純粋に思いました。
 
まだ傷の渦中にあるリベリアの人たちが貧しくても日々を明るく生きる姿、旅立つマリーちゃんを笑って踊りながら送り出す姿、お母さん役を終えて泣き崩れながら別れを惜しむ姿、それら全てが、人間として本来もち合わせるべき基本の姿なのだという思いが、お調子者のこの僕の魂を震わせました。
 
「もうこれ以上、苦しまなくてもよくなったんだよ、よかったね、マリーちゃん」と誰も口にした訳ではなかったけれども、マリーちゃんが入った小さな棺を囲んだ職員たちの踊りと歌は僕にはそう聞こえました。
 
人類発祥の地アフリカの人たちから習うことはまだまだ無限にあるように思います。国の発展という狭義ではまだこれからという段階かもしれませんが、そんなことは関係なく、この国の人たちの中にどれだけ明晰な頭脳を持っている人がいるか、どれだけ人格の高い人がいるか、僕はまだそのほんのひと握りとしか出会えていません。
 
幸い、本来のアフリカの人たちらしい陽気さで振る舞う人たち、親切で人懐こい人たち、少々品のないジョークを飛ばしてばかりの人たちとはこれまでにたくさん出会うことができました。
 
マリーちゃんがこうした素敵な人たちに囲まれて大人に育つことができていたとしたら、国の発展を支える一員として大活躍していたかもしれませんね。是非、活躍して欲しかったです。
 
病院では残念ながら亡くなってしまう患者が必ずいます。職員たちはどうしてもそれに慣れてしまう側面があると思いますし、かくいう僕も、わが子を亡くしたお母さんたちが大声で何時間も歌い続けるこの土地の儀式にある意味慣れてしまい、当初ほど、胸を痛めなくなってしまっていました。
 
でもマリーちゃんの生と死という、僕が今日、目の当たりにした赤裸々な現実が、現地での活動に慣れ始めて緩んでいた僕に頭から冷えた水を浴びせてくれたように思います。
 
どうか安らかに。僕はまだまだこれからです。いつか魂の世界で再会できることがあったとしたら、今度こそ話しかけますので、いろいろ話をさせてください。
 
ニッポンという遠い国から来た坊主頭のおっちゃんより

国境なき医師団アドミニストレーター 辻 直行

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