所属組織の声

彼女がつかんだチャンスを応援したい
──国境なき医師団の参加を決めた部下 上司の思いとは

  • 入江愛袈(MSF財務・人事)と永井直臣さん(上司)

    東京都内の企業で働く入江愛袈は、勤務先の長期休暇制度を利用し国境なき医師団(MSF)でミャンマーの結核、HIV/エイズプロジェクトに参加。財務・人事マネジャーとして活動した。

    永井さんは、財務部門で経営サポートやマネジメント業務を担当。入江の当時の上司で、アメリカやサウジアラビアで勤務した経験がある。

    入江にとって念願だったMSFへの参加。職場での勤務を続けながら、どう準備し、どう実現させたのか。「行きたい」という思いを受け止めた上司の思いは。入江と上司の永井直臣さんに聞いた。

    永井直臣さん(左)と入江愛袈さん(右)
    永井直臣さん(左)と入江愛袈さん(右)

「ミャンマーなの!?」 上司の驚き

もともと国際協力に興味があった入江は、大学で政治経済学を専攻。いつかは国際協力の舞台で活動をしたいと思い、国際協力業務など幅広い分野に応用できる財務の仕事を志望し、現在の勤務先に入社した。

社会人2年目の時、ヨルダンを訪問するスタディグループに参加。様々な国連機関やNGOについて学んでいく中で、MSFの活動を知った。入江が考える国際協力の形と「独立・中立・公平」活動の基本とするMSFの方針が一致し、MSFでの活動を志した。

仕事に自信が出てきた5年目に迎えた誕生日。ずっとやりたかったことに挑戦したいと、思い切ってMSFの海外派遣スタッフ募集に応募した。

MSFでの選考が進みミャンマー派遣の可能性が具体化した時、当時の上司であった永井さんに、思いを伝えた。

入江 思い切ってミャンマーに行きたいと伝えました。「辞めてでも行きます」とも。直後に、「私、言っちゃったー」って思いましたね。

当時、永井さんと私は直属の上司と部下の関係でしたが、永井さんはアメリカに、私は日本にいたため、基本的なコミュニケーションはオンラインでした。緊張もしましたが、永井さんは安心して正直に話せる人。お伝えした結果は、なんでも受け入れようという気持ちでした。

永井 「ミャンマーなの!?」と、突然のことに、かなり驚きました。そのあと「いいと思うよ」と返事をしました。実はその頃、会社として入江さんにアメリカに行ってもらうことを考えていて、そのことも彼女に伝えたんです。ミャンマーとアメリカ、どっちがいい?と。

入江 ミャンマーの話をしたらアメリカの話が返ってきて、カウンターパンチを食らった感じでした。でもやっぱりずっと自分が参加したかったMSFでの活動を選びました。応募した時にはもう覚悟が決まっていたからです。

ここから様々な調整が始まったのですが、永井さんが私のために制度を調べて辞めなくてもいいよう調整してくれたことに、驚きとありがたさを感じました。

© MSF

「キャリア開発休暇」制度を活用

入江の思いを聞いた永井さんは、どういう社内制度を使えば実現できるのかを調べるため、人事部門に相談した。その結果、社内制度の中で、「キャリア開発休暇」が一番合っているとなった。そのうえで、入江の派遣参加に向け、国や部署を超えた調整が始まったという。

「キャリア開発休暇」は、会社と相談し長期休暇を取り、ボランティア活動や社外活動などを通じて自身のキャリア開発をして現職に戻れるという社内の休暇制度。

永井さんが当時勤務していたアメリカでは、個人の挑戦やキャリアをチームが後押しし、それぞれがサポートしあうことで気持ちよく送り出す文化を見ていた。だからこそ、「ノーという選択肢はなかった」と振り返る。

永井 私は今の会社で、海外勤務など多くの経験をさせてもらいました。だからこそ、いろんなものが見えるようになったと思います。入江さんは会社が提供しなくても自分でキャリアを見つけてきた。これは彼女のすごい力だと思います。自分で掴んだチャンスだから、喜んで送り出すべきだと思ったんです。

入江 「キャリア開発休暇」については少し知っていたけど、実際に活用している人を聞いたことがありませんでした。会社に迷惑をかけたくなかったので、約2カ月の間、業務引き継ぎと派遣準備で出発までは忙しくしました。特に永井さんにはたくさん負担をおかけしたと思います。本当にありがたかったです。

永井 私たちの会社は国内・海外さまざまな部署が連携して仕事をしています。日本で業務引継ぎできない場合、入江さんの担当する財務業務をアメリカに振り分けたり、日本国内の部署を超えて分担したりと、業務引継ぎをしてもらいました。

海外の現場で学んだこと、今の職場で生かせることは?

入江は、2024年5月にミャンマーでの任期を終え帰国。日本に着くと、まずコンビニの鮭おにぎりを食べ、日本に帰ってきたことを噛みしめたという。東京の職場に戻り、各部署に感謝の意を告げると、それまで担当してきた財務の職務に戻った。

MSFでの活動は、自身の日本での働き方にどんな影響を与えたのだろうか。

入江 帰ってきてほっとしたというのが、正直な気持ちです。MSFでは財務だけでなく人事の業務もあり、日本では一人のスタッフとして働いていた私が、現地ではマネジャーとして活動しました。

帰国前、ミャンマーのMSFチームで私の活動に関して振り返りを行ったときには、「分からないことを分からないままにしないのが良かった」とフィードバックをもらいました。

新しい仕事も前向きに取り組む。そういうMSFでのさまざまな経験が、日本の職場でも生きています。MSFでの活動で、いろいろな異なる職種の人たちと密にコミュニケーションをとれたことが、いい経験になりました。他部署の動きや仕事のつながりが見えるようになり、仕事の視野が広がりました。MSFというのは、一般的には多くないキャリアなのかもしれないけれど、自分のキャリアをポジティブに捉えられるようになったと思います。

「行きたいけど、どうしよう」そんな人へアドバイスは?

念願だったMSFへの参加を終えて帰国した入江に、自身の将来とMSFへの活動参加を迷っている人へのアドバイスなどを聞いた。

入江 結婚や出産のタイミングなどもあり、今すぐに再び世界の現場に行くことはできないかもしれないけれど、いつかまた、MSFで活動したいと思っています。

日本の会社で働いていると、会社に縛られると感じることがあるかと思います。そんな時に、外に目を向けて自分のやってみたかったことに思い切って挑戦してみる。その後は、なんとかなるもの、なのかもしれません(笑)。自分のやりたいことにチャレンジすることが、後に自分のキャリアになっていくんだと考えています。

すべての企業に当てはまるわけではないけれど、会社の制度を活用して、やりたいことに挑戦する人が増えてくれたらいいと思います。制度を使う前は、おっくうになったり、不安になったりすると思いますが、一歩踏み出す勇気があれば、見える世界が変わると思います。

送り出す側の心構えやアドバイスはあるだろうか。永井さんは「組織として、育てた人を送り出すことは簡単じゃないのが現実」としたうえで、「送り出してよかった」と振り返る。コロナ後の社会の流れも踏まえて、こう語る。

永井 彼女を送りだしてよかったと思います。入江さんには帰国後、以前と違う部署で働いてもらうことになりました。新しい部署にすぐに適応し、新しいキャリアに力強く進んでいると感じます。

私たちの会社に限らず、コロナ後は社会全体で、働き方が変わってきていると思います。

他企業で経験を積み、中途入社する人がかなり増えました。一つの会社、同じ仕事だけで得られる経験だけなく、いろいろな経験を経て自分のキャリアを作っていく。キャリア構築に自ら目を向け、自分でキャリアを開発していく社員。そんな社員はとても貴重です。

彼らを後押しして、気持ちよく送り出す。そんなところには、一度送り出した人が戻ってきたり、優秀な人が集まってきたりします。その結果会社がさらに良くなっていく。そんないいサイクルができるのでは、と考えています。

永井さんは入江に改めてエールを送った。

「大事な人材ですから。これからも個性を活かして、やっていただければ!」

入江愛袈(左)と永井直臣さん(右)
入江愛袈(左)と永井直臣さん(右)

財務や人事などを担当するマネジャー(アドミニストレーター)としてMSFで活動したい方は……
主な業務内容、応募条件など、
詳しくは『アドミニストレーター(財務・人事担当)』のページへ!

アドミニストレーターのページを見る

海外スタッフへ応募される方はこちらから

MSFの海外派遣への応募書類は、下記の専用フォームで受け付けています。必ず各職種の応募条件をご確認の上、応募する職種の専用の履歴書(英語自由形式)、志望動機書(英語自由形式)、各職種の必要書類をご確認いただき、ダウンロード、ご準備のうえ、下記応募専用フォームにてご応募ください。

海外派遣スタッフ説明会情報をご希望の方はこちら