家族の声

「行ってこい」海外派遣を実現させる環境作りをサポート~父として、医師の先輩として

  • 西島 翔太(産婦人科医) & 西島 重光さん(父・産婦人科医)

    父から継いだクリニックの院長を務める、産婦人科医の西島翔太。「人の上に立ちチームをまとめるのはとても大変なこと。国境なき医師団の経験がなければ、院長は務まっていなかった」と話す。父の重光さんは、「医の道を志す者は誰しも人道支援をしたいという思いがあるだろう」と、息子の道を支えてきた。

家系を気にせず、「自分の好きな道に進みなさい」と伝えていた

:私で産婦人科医としては4代目で、翔太が5代目になります。翔太は医師になり、産婦人科医としていまでは私のクリニックを継ぎましたが、実は私は、翔太も含め自分の子どもたちには「本当にやりたいことをやればいい」と伝えてきました。私自身が全く同じことを私の父から言われて育ってきたんですよね。兄弟3人並べられて、「なりたいものがあったらその道に進みなさい」と。

翔太:それは本当に中高生の頃からよく父に言われていましたね。どうしてもなりたいものがあれば、しっかり勉強をしてその道を選びなさい、と。ただ、どうしても迷った時、最終的に選ぶ選択肢が難しかったときには医者を選べばよい、とも。

:なぜ迷ったら医師を選べばよい、と伝えたかというと、医業であれば自分がやっているので、何かあった時に助けることができるからです。

翔太:僕も学生の頃にはいろいろやりたいことはあったのですが最終的に定まらなくて、やっぱり父の姿も見ていたというのもあり、医学の道に進みました。

:翔太がまだ医師としての専門科が決まっていない初期研修医の時に、「にしじまクリニックを継ぐな」ということを伝えました。やはり産婦人科の開業というのは大変ですからね。他にも科はあるし、こんなに責任の重い産婦人科の経営を引き継がなくてもいい、と。私自身、大変な経験を散々してきましたから、親心としては、子どもにはそういう思いをしてほしくないな、と思っていました。でも本人がやりたい、と。

翔太:産婦人科を選んだのは、結局僕が何を一番したいのか、と考えて行きついた結果なんです。初期研修で全ての科を回りながら、小さな子どもからお年寄りまでを診られるジェネラリストになりたい、と考えました。産婦人科医はそれができるし、あとは産婦人科であればサポートをしてくれるであろう師匠が周りにたくさんいるので、このような形になりました。家系のプレッシャーを感じたことは全くなかったです。

私でもきっと行っていただろう。息子の人道支援への道

:翔太が国境なき医師団に行くと聞いた時、私も行ける環境があったら行っていただろう、と思いました。医の道を志す者にとって、誰しも人道支援をしたいという思いはあるのではないかと思っています。必ずしも海外に行く必要はないかもしれませんが、例えば日本でも無医村など、真に医療を必要としているところで自分の医師としての力を発揮したい、協力をしたい、と。

翔太:国境なき医師団への参加に向けて、当時勤めていたさいたま市立病院の常勤を外してパートにしてもらい、同時にこのクリニックでも働ける環境を作ろうと動き始めていました。

:かつて私の同僚たちも国際協力をしていましたし、私もその道への希望はありました。ですが、行きたいと思った時には翔太が生まれ、当時は妻帯者が生活をしていくには、いっぱいいっぱいでした。私は環境が整わずに断念という形にはなりましたが、翔太が行きたいと言った時、その環境作りは私がサポートできる、と思いました。ただ翔太の母親は反対していましたよ、翔太にも当時子どもが3人いましたからね。

翔太:その反対の声は聞いていなかった(笑)。僕も聞かない、という態度をしていたのかも知れませんが、父がそのような母の反対の声を僕に伝わらないようにしてくれたんでしょうね。そこでつまずいてしまったらその先何も進まなくなってしまうし、きっと父がそうしてくれたのだと思います。

:この気持ちは医師じゃないと分からないと思いますからね、医師の使命と言いますか。そのころ私は翔太のお嫁さんともよく連絡を取りました。何かあったらサポートするから、大丈夫だから、って伝えていました。

次男の帝王切開を父の重光さんと行う。にしじまクリニックにて

ナイジェリア派遣で目の当たりにしたこと

:翔太の派遣がナイジェリアに決まったと聞いて不安がなかったとは言いません。ですが、治安や情勢が不安定な場所だからこそ国境なき医師団としてのニーズがあるのでしょう。安全な場所は他のNGOなどでニーズが満たされているでしょうし。翔太の派遣先がどこに決まろうとも、当然そのような背景の場所に行くのだろうと理解しておりました。

翔太:ナイジェリア到着そうそう父にメールしました。僕が働くことになった病院では年間のお産がなんと6千件だったんです。もう日本では考えられないことですし、そういうところでこれから働くよ、とそれだけまずは報告しました。合併症が多い中、プロジェクトの目標が母体救命だったので、帰国後はそのことについても良い経験をした、と父に伝えました。

:日本にいては分からない世界のことを聞くと、こちらとしても勉強になりますよね。帰国してきて、彼にもいろいろな面で自信がついたのではないかなと感じました。

翔太:2度目の派遣のチャンスがきたのは約3年後の2018年でした。偶然にもまた同じナイジェリアの同じプロジェクトでしたが、僕は1度目でできなかったこと、思い知らされたことなどの後悔や反省を生かせると思い、これは願ってもいないチャンスでした。

:この頃は、翔太はすでにさいたま市立病院を辞め、完全にこのクリニックに従事していました。まだ私が院長をしていましたので、彼の1カ月の不在は私がカバーできると思い、問題なく2回目の派遣に送り出しました。

翔太:このナイジェリアのプロジェクトは、日本では遭遇しない症例での産科救急、重症な患者さんが多い中、お産や手術に集中するだけではなく、チームとしての治療指針をまとめなくてはいけません。現地の研修医の上に立ち、麻酔科や小児科ともディスカッションを重ね、患者さんにとって一番良い方向に持って行くわけですが、このようなチームマネジメントの重要さや大変さの気づき、そしてそれを実際に行うという貴重な経験をしました。

救急症例が続く中、チームマネジメントの大切さを学んだナイジェリア派遣

海外派遣の経験がなければ、院長は務まっていなかった

:2回目の海外派遣から帰ってきたあと、2019年に翔太が院長を引き継ぎました。翔太の方から申し出てきました。私は現在は週1でクリニックに従事しています。

翔太:父が体を壊したということもあり、「自分が前に立ってやらなくては」という気持ちがでてきましたね。そこで「自分にやらせてくれるのであれば、引き継がしてほしい」と。ただ、もし国境なき医師団の経験をせずに院長になっていたら、とんでもないことになっていたと思ってます。「自分で何でもできる」といううぬぼれた状態で、また自分がやりたいだけの一辺倒で、スタッフの気持ちも考えず、などということもあり得たのかな、と思います。人の上に立つ立場を勉強させてもらった国境なき医師団の経験は大きかったですね。

:いま、院長としての合格点はあげられると思っています。ただ、まだ40代ですし60代の私と比べればその差はやっぱりあります。親から見れば、自分の子ですからね、まだまだ至らない点はあるって思いますが、彼がここから20年かけたら同じようになるでしょう。ただ私の40代のころと比べると段違いにいいですよ。なにか間違ったことをすれば意見を述べるつもりですが、私はもう彼に任せていますので、よほどのことがない限り口出しをするつもりはありません。

翔太:父は昔からとにかく仕事で忙しく、家に帰ってこない人でしたので、常日頃から会話をしてきた、というよりは、節目、節目で人生の大事な時などに父として相談に乗ってくれていました。産婦人科医の先輩としても困った時はいまでも必ず相談します。こんなことあるの?という症例にぶつかったとき、教科書をいくら引っ張っても出てこないことってありますから、そういうのはベテランで経験の長けている人、直感的とか経験・知識のある人に聞くと言うのが一番です。それはもう間違いなく父が一番早いですから。

置かれている環境よりも、まずは本人の熱意

翔太:いまは4人目の子どもができて妻からは「海外派遣はいったんお休みして」と言われていますので、次は5~10年先になるかもしれません。今度は違う国にも行ってみたいです。

:一般論で言えば、いままで勤務したところから外れると収入がなくなるかもしれないし、子どもがいるとバックアップしてくれる家族がいないと難しい。そういう理由で、海外派遣に対してなかなか一歩を踏み出せないかもしれません。私自身もそうでした。しかし、それをできるようにするためには、本人のやる気を家族に示すことが大事だと思います。ただ行ってみたいとか、ちょっと経験してみたいとか、行ったらかっこいいとか、そういう程度の気持ちであれば、家族も賛同できないでしょう。置かれている環境がどうであれ、まずは家族に納得してもらえるだけの熱意を示し、理解を得ることでおのずと道が開けてくると思います。

西島 翔太(にしじま・しょうた)

2006年獨協医科大学医学部卒業後、鶴岡市立荘内病院(初期研修医)、新潟市民病院(産科婦人科、後期研修医)、さいたま市立病院(産婦人科)に勤務。2015年より国境なき医師団の医療援助活動に参加。2015年8月~10月と2018年5月にナイジェリアに派遣され、産科部門と産科フィスチュラの治療に携わる。2019年、にしじまクリニック(埼玉県富士見市)院長に就任。

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