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BASE TALK — 西村崇(内科医)
2025.03.24

【エピソード7】父の背中を見ながら選んだ医師の道。そして、いざ国境なき医師団へ
幼い頃から医師である父の背中を見て育ち、内科医の道へ進んだ西村。地域医療に従事する中で、より広い視野で社会全体の健康に関わる公衆衛生学への関心を持った。その後、シドニー大学で公衆衛生学を学ぶためオーストラリアに留学。そこで「公平性」という概念に触れ、その重要性を実感するとともに、集団全体への視点や予防の重要性も深く理解するきっかけとなった。
以前から関心のあった国境なき医師団への応募に一歩踏み出すことをためらっていた西村。応募のきかっけとなったこととは?
そして、活動をする中でどのように日本でのキャリアを両立させているのか。こうした点を西村が語ります。

国境なき医師団(MSF) 内科医 西村崇(にしむら そう)
2006年 熊本大学卒。2020年 The University of Sydney で Master of Public Health 修了。2006年より国立国際医療研究センターで初期・後期(消化器内科)臨床研修。2010年同センター国府台病院消化器・肝臓内科、国立療養所奄美和光園、2012年より済生会福岡総合病院総合診療部に勤務。その後2016年より福岡市内においてプライマリケアや在宅医療などの地域医療に従事。2023年、ギリシャ・サモス島にて地中海を越える難民や移民の援助活動に参加。

【エピソード8】行先の変更:初回派遣のギリシャの地で西村が目の当たりにした現実
西村の初回派遣地はブルガリアの予定だった。しかし、中継地点のギリシャに到着すると、突如その計画が変更となり、ギリシャに留まり、そこで働く事に。
新たな初回派遣地となったギリシャで西村を待っていたのは、暴力を受け命がけで地中海を渡ってきたアフリカや中東からの難民や移民でした。意識を失った状態で運び込まれる人。妊娠中の女性。さまざまな人びとが助けを求めていました。
次々と患者が運ばれ続ける過酷な状況に、西村も次第に疲弊し、限られた医療資源の中で公平な医療提供の難しさを痛感するようになります。
新たな初回派遣地となったギリシャで西村を待っていたのは、暴力を受け命がけで地中海を渡ってきたアフリカや中東からの難民や移民でした。意識を失った状態で運び込まれる人。妊娠中の女性。さまざまな人びとが助けを求めていました。
次々と患者が運ばれ続ける過酷な状況に、西村も次第に疲弊し、限られた医療資源の中で公平な医療提供の難しさを痛感するようになります。
想定外の初回派遣地でどのように対応し、どう困難を乗り越えたのか。西村が語ります。

国境なき医師団では、海外で活動するスタッフを通年募集しています。
募集職種
医師をはじめとした医療スタッフのほか、プロジェクトを運営する人事・財務、調達担当者など、非医療スタッフも多く活動しています。経験や技術を生かして、援助の現場で働きませんか。
求める人物像
制約の多い環境において活動や生活するにあたり、海外派遣スタッフとして求められる能力などをお伝えします。
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MSF日本事務局による書類選考と面接を経て、海外派遣スタッフとして登録され、その後活動地へ派遣されます。こちらより、応募から派遣の流れの詳細をご確認ください。
待遇と諸制度・キャリア形成
MSFでは、現地での活動をより効果的なものにするため、さまざまな側面からサポートを提供しています。待遇・諸制度やキャリア形成などの詳細はこちらをご覧ください。
国境なき医師団とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、紛争や自然災害、貧困などにより命の危機に瀕する人びとに医療を届ける、民間で非営利の医療・人道援助団体です。
1971年の設立以来、独立・中立・公平な立場で活動し、1999年には、世界中で行ってきた医療援助活動と証言活動の実績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。
国境なき医師団の活動資金は、その9割以上が個人をはじめとする民間からの寄付に支えられています。これにより、資金の独立性を保ち、いかなる権力からの影響も受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けることが可能になります。
2023年には、 74の国と地域で、約5万2000人のスタッフが活動しました。
日本事務局は1992年に発足。2023年には国境なき医師団日本から、35の国・地域へ103人(のべ132回)の派遣が決まりました。

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