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BASE TALK — 大田倫美(小児科医)
2025.03.24

【エピソード3】夢を叶えるため、会社員から医師への転身を決意
幼稚園児の頃、サンタクロースに託した一通の手紙。「自分はプレゼントはいらない、その替わりに…」
世界に対する関心を持ちつつも、理系が苦手な大田が選んだ就職先は、開発コンサルタント会社だった。やがてフィールドに出て、より直接「人間」に寄り添った仕事につきたいという気持ちが芽生え、医師への転身を決意。国際医療援助の現場で働く夢を諦めず、小児科医を目指す中で参加したMSFの説明会。同じ志を持った仲間たちとの出会い。
国境なき医師団の現場で必要なスキルと経験値を身に着けるために、大田はどのような計画を立て、それを実行したのか?
このエピソードでは「夢を叶えるために必要な力」とは何かについて、大田が語ります。

国境なき医師団(MSF) 小児科医 大田倫美(おおた ともみ)
大学卒業後、開発コンサルタント会社に就職。その後、一念発起して医学部進学を志し、新潟大学に入学。2012年に同大学医学部医学科を卒業、その後約10年間、国内の総合病院や小児病院で臨床経験を積む。その間、途上国での医療事情について学ぶ機会やフィールドでのボランティア活動を通して、長年の夢であった「途上国での医療貢献」に対して、本格的に意識するようになり、徐々にその意志を固めていく。2023年MSFに応募、2024年に初回派遣先のイエメンにて、小児科医として約6か月間現地の病院で活動。

【エピソード4】初回派遣の現場で感じた日本とのギャップ
派遣地の中東イエメンに降り立った大田。MSFへの参加という夢をかなえた彼女は、高揚感に包まれていた。現地の医療へ貢献する意気込みで臨んだ活動。だがそこには日本では見た事もない深刻な栄養状態の子どもがいたり、慣れ親しんだ機材や医薬品が不足していたりという現実が待っていた。自分のスキルや知識が足りないという焦りと無力感にさいなまれる大田。
やがて彼女は仲間から「分からないことは現地スタッフに聞くと良い」と助言を受け、学びの姿勢に気持ちを切り替える。そして原点に立ち返り、実践していたとある心がけが、いつのまにか現地の医師の手本となっていたことを知る。
このエピソードでは、日本と派遣地のギャップをどう乗り越えたのかについて大田が語ります。

国境なき医師団では、海外で活動するスタッフを通年募集しています。
募集職種
医師をはじめとした医療スタッフのほか、プロジェクトを運営する人事・財務、調達担当者など、非医療スタッフも多く活動しています。経験や技術を生かして、援助の現場で働きませんか。
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国境なき医師団とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、紛争や自然災害、貧困などにより命の危機に瀕する人びとに医療を届ける、民間で非営利の医療・人道援助団体です。
1971年の設立以来、独立・中立・公平な立場で活動し、1999年には、世界中で行ってきた医療援助活動と証言活動の実績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。
国境なき医師団の活動資金は、その9割以上が個人をはじめとする民間からの寄付に支えられています。これにより、資金の独立性を保ち、いかなる権力からの影響も受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けることが可能になります。
2023年には、 74の国と地域で、約5万2000人のスタッフが活動しました。
日本事務局は1992年に発足。2023年には国境なき医師団日本から、35の国・地域へ103人(のべ132回)の派遣が決まりました。

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