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BASE TALK — 佐藤太一郎(看護師)
2025.03.24

【エピソード1】英語がわからなくて、耳鳴りが…
野球青年だった佐藤が看護師を志したきっかけは、仲間のけがの治療に貢献したいという思いだった。やがて救命救急の看護師となり病院に勤めるかたわら、東日本大震災の現場に参加。次は海外での援助活動に挑戦したいという気持ちから一念発起。海外でのワーキングホリデーを通じて英語力を磨いたものの、帰国後に参加した国際船の現場で立ちはだかった言語の壁は高かった。そこから、佐藤はどうやって国境なき医師団の現場で通用する語学力を身に着けたのか?
このエピソードでは、スキルアップを含め、国境なき医師団でキャリアをデザインするとはどういう事なのかについて佐藤が語ります。

国境なき医師団(MSF) ER・集中治療室看護師 佐藤太一郎(さとう たいちろう)
2009年に東海大学医学部看護学科卒業後、東海大学医学部付属病院の高度救命救急センターで勤務。その後、海外留学や途上国での医療ボランティアを経験。2019年よりアメリカの船会社で国際船看護師として活動。2020年2月、横浜港でのダイアモンドプリンセス号の新型コロナウイルス感染症アウトブレイクで、船内看護師として対応にあたった。2020年にMSFに登録。同年7月から初めて派遣されたイラクで新型コロナウイルス感染症の緊急支援に参加。2022年9月の4回目の派遣では、入団後に習得したフランス語を活かしてハイチの派遣活動に参加。現在までに7回の派遣を経験している。現在はアラビア語も勉強中。

【エピソード2】初回派遣地のイラクで彼を待ち受けていたのは…
国際クルーズ船でのコロナ対応を経験し、自信をつけた佐藤。その経験を買われ、いざ初回派遣地のイラクへ。彼を待ち受けていたのは患者の治療だけではなかった。コロナ対策のための現地スタッフの採用活動からマネジメントまで、多岐にわたる業務があった。休む時間も無く突っ走った佐藤が、エネルギーを持続させた秘訣とは?
その後、スーダン内戦下の難民キャンプで集中治療室のプロジェクトに派遣された佐藤。苦しい決断を強いられるトリアージの現場。痛みに苦しむ一人の少年との出会い。なぜ彼はこんな目に合わなくてはならないのか?
このエピソードでは人々の苦しみに向き合いながらも見出した「やりがい」とは何かについて、心理士の福島と語り合います。

国境なき医師団では、海外で活動するスタッフを通年募集しています。
募集職種
医師をはじめとした医療スタッフのほか、プロジェクトを運営する人事・財務、調達担当者など、非医療スタッフも多く活動しています。経験や技術を生かして、援助の現場で働きませんか。
求める人物像
制約の多い環境において活動や生活するにあたり、海外派遣スタッフとして求められる能力などをお伝えします。
応募から派遣までの流れ
MSF日本事務局による書類選考と面接を経て、海外派遣スタッフとして登録され、その後活動地へ派遣されます。こちらより、応募から派遣の流れの詳細をご確認ください。
待遇と諸制度・キャリア形成
MSFでは、現地での活動をより効果的なものにするため、さまざまな側面からサポートを提供しています。待遇・諸制度やキャリア形成などの詳細はこちらをご覧ください。
国境なき医師団とは
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、紛争や自然災害、貧困などにより命の危機に瀕する人びとに医療を届ける、民間で非営利の医療・人道援助団体です。
1971年の設立以来、独立・中立・公平な立場で活動し、1999年には、世界中で行ってきた医療援助活動と証言活動の実績が認められ、ノーベル平和賞を受賞しました。
国境なき医師団の活動資金は、その9割以上が個人をはじめとする民間からの寄付に支えられています。これにより、資金の独立性を保ち、いかなる権力からの影響も受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けることが可能になります。
2023年には、 74の国と地域で、約5万2000人のスタッフが活動しました。
日本事務局は1992年に発足。2023年には国境なき医師団日本から、35の国・地域へ103人(のべ132回)の派遣が決まりました。

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