特集

医師だけでは、足りない。

非医療スタッフインタビュー

2023.12.25

 
活動地で大地震が発生 その時、ロジスティックのリーダーとして

ロジスティシャン 村元 菜穂

嵐のような時間

「地震だ!」
大きな揺れを感じた時、私は同僚と建物の10階にいました。2023年10月7日午前11時、アフガニスタン西部へラート州でマグニチュード6.3の地震が発生した瞬間です。
 
そこから嵐のような時間が始まりました。およそ2時間後には、何台もの救急車と無数の自家用車、さらにはヘリコプターで、私たちが活動するヘラート地域病院に500人を超える負傷者が運び込まれました 。
 
これほど多くの患者さんを病院にどう受け入れるのか、スタッフの安全をどう確保するのか、病院の建物の安全性は大丈夫か──。課題が次々に上がりました。
 
4月からアフガニスタンで活動してきた私の役割は、ロジスティック・チームのリーダー。物資調達や施設の管理、電気、水・衛生などを担うロジスティシャン約100人を統括する仕事です。地震直後の混乱の中、さまざまな決断が迫られました。
震災発生後、医療テントの設営にあたった村元 © MSF
震災発生後、医療テントの設営にあたった村元 © MSF
続きを読む
医療テントで多くの負傷者にケアが行われた © Paul Odongo/MSF
医療テントで多くの負傷者にケアが行われた © Paul Odongo/MSF
保健省の担当者や医療スタッフと相談し、被災した建物のリスクを考え、患者さんの対応は外で行うことに。国境なき医師団(MSF)は緊急時のため倉庫に複数の大型テントを備蓄していたので、これを活用することにしました。緊急への備えがあるMSFだからこそできることです。
 
この時、午後2時。震災の発生からわずか3時間後に5つの医療テントの設営に取り掛かることができました。皆で設営し、午後7時に完成。入院していた患者さんも、安全なテントに移しました。
 
アフガニスタン人のスタッフの多くは、地震に慣れていません。スタッフの中には、余震の恐怖を感じながらも患者さんのために病院に寝泊まりして働く人たちもいました。新たなテントが必要になった時には、夜中であってもテントを建てることも。困っている人の力になりたいという思いが伝わってきました。

信頼関係を築く そして思わぬサプライズが

今回、私はロジスティック・チームのリーダーを務めましたが、チームの現地スタッフ約100人のほとんどが、自分より年上の男性です。 MSFはもちろん男女平等の組織です。しかし、私たちMSFスタッフが働くアフガニスタンの地元社会では、男性優位の文化が続いてきました。この状況の中でどう仕事を進めるのがよいのか、当初は緊張し、対応に悩んでしまいました。
 
しかし彼らは皆、仕事へのやる気にあふれ、技術力も高いスタッフです。成果は皆の前で褒め、注意する時は個別に声をかけるなど、彼らのMSFスタッフとしての誇りを尊重することで、マネジメント上の信頼関係を築いていきました。まずは相手を知ること、特に彼らが生きてきた社会の文化を知ることは大切だと思います。
 
私自身も彼らから学ぶ姿勢で活動を続け、いよいよビザの期限で帰国が迫った最終日。サプライズが待ち受けていました。チームで企画から設置まで手掛けたコンテナ病棟の階段の手すりに、「NAO」と私の名前を入れてくれていたのです。緊張から始まったチームづくりでしたが、自分を信頼してくれていたことが伝わり、涙があふれました。
コンテナ病棟の柵に名前が入れられた © MSF
コンテナ病棟の柵に名前が入れられた © MSF

責任もチャンスも大きい

MSFを知ったきっかけは、母がMSFへ寄付をしていたことです。幼い頃から名前を耳にしていて、家族の中で話題になることもありました。高校生の頃には、こんな仕事をしてみたいなと漠然と思うようになったのですが、同時に、「自分には無理」と勝手に諦めてしまっていました。MSFが医師以外のスタッフを募集しているということを知らなかったのです。
 
親の仕事のため欧州で13年生活し、その間にフランス語を身に付けました。フランス語はMSFで活動する上で大きな力になっています。その後カナダのワーキングホリデーで英語を身に付け、アフリカ・ガボンの日本大使館の派遣員として2年間勤務。大使館では、仕事をすることの基本を学ぶことができました。
 
帰国後に国際協力の分野で仕事を探す中で、MSFが非医療スタッフを募集していることを知った時の驚きは今も覚えています。「えっ、こんな仕事があったの?!」と。
 
早速応募し、面接等を経て無事にMSFの海外派遣スタッフとして登録。2019年からこれまでに、ナイジェリア、チャド、コンゴ民主共和国、そしてアフガニスタンでロジスティシャンとして活動してきました。
 
MSFは責任ある仕事を任せてくれるので、モチベーションが上がります。私は28歳でMSFに初めて参加しましたが、この年齢で何十人もの人をまとめる機会を得ることは、日本では多くないのではないでしょうか。
 
ロジスティシャンの仕事は、医療チームが円滑に仕事ができ、多くの患者さんに医療を届けられるよう陰で支える何でも屋さん。医療チームが抱えている問題をロジスティック・チームで解決策を提供できるよう奮闘しています。毎日発生する新たな課題に、さてどう対処する?と考えることにやりがいを感じます。自分を挑戦させることが好きなんです。
 
責任が大きいけれど、新しいことができるチャンスも大きい。そこが私にとってMSFの大きな魅力です。MSFの現場で培った臨機応変な対応力は、MSFの仕事のみならず、あらゆる仕事で生かすことができるはずです。
チャドで共に働いた仲間たち(2021年) © MSF
チャドで共に働いた仲間たち(2021年) © MSF

人事と財務の仕事で感じる、かけがえのない喜びとは

アドミニストレーター 畑井 珠恵

予期せぬがん発覚 生き方を見直した

これまで4回の海外派遣に参加した畑井(右)(パキスタンにて) © MSF
これまで4回の海外派遣に参加した畑井(右)(パキスタンにて) © MSF
国境なき医師団(MSF)に参加する前に働いていたのは、若者たちの国際交流やリーダーシップ育成に関わる団体です。日々多くの若者たちと触れ合い、天職だと実感する大好きな仕事でした。
 
しかし、仕事に打ち込んでいたある時、全く予期せぬことが起こりました。健康診断で卵巣がんが見つかったのです。走り続けていた生活に急ブレーキがかかりました。摘出の手術を受け、「もう一度命をいただいた」と、これからの生き方を改めて考え直しました。
 
この命を使って何か新しいことをしたいと思っている時に、MSFで働く看護師の話を聞く機会がありました。MSFなら自分自身が人道危機の現場に入って、人の役に立つことができる。その魅力を感じ、20年働いた職場を退職してMSFへの参加を決めました。
続きを読む

マネジメント経験を生かして

パキスタンのアドミニストレーターチーム © MSF
パキスタンのアドミニストレーターチーム © MSF
MSFでの私の職種はアドミニストレーター。プロジェクトの人事と財務を管理する仕事です。前職の団体では事業部長や事務局長を務め、人やお金の動きを含め事業全体のマネジメントを担っていたので、その経験を生かすことができています。
 
アドミニストレーターは直接患者さんと関わる機会は少ないのですが、嬉しい瞬間がたくさんあります。自分が採用した人が病院でいきいきと働いているのを見たり、予算を承認した機材が現場で活用されているのを見たり。そんな時に何とも言えない喜びを感じます。
 
採用面接をしていると、「前に患者としてMSFの病院に入院した時、とても親切に対応してもらったので、いつかMSFで仕事をしたいと夢見ていました」という人や、「私の子は超未熟児としてMSFの産科病院で生まれてお世話になったのですが、いまは元気にしています」と話す人に出会うこともあるのです。

「ホットココア」の支払い申請?

アフガニスタンのオフィスにて © MSF
アフガニスタンのオフィスにて © MSF
財務の面では、多くの方々からお預かりした寄付が正しく使われているか、という面から厳しく見ています。MSFの収入のほとんどは一般の方からの寄付です。この100円は、子どもがお小遣いから出してくれた100円かもしれません。だから決して無駄な支出がないよう、医療やロジスティックのチームから上がってくる支払い申請をしっかりチェックします。
 
イラクで活動していたある日、「ホットココア」の支払い申請が上がってきました。「数百円であってもぜいたく品だからこれは却下かな」と思っていたのですが、ちょうどその申請が出された現場に行くことになりました。
 
そこは、極寒の砂漠の中にある避難民キャンプ。コンテナの仮設病院で診察や心のケアを行っていました。家も家族も失った患者さんや過酷な環境で働くスタッフにとって、温かいココアでほんの一瞬でもほっとすることは、この現場では必要不可欠なものだったのです。1瓶のインスタントココアが持つ意味は大きなものでした。
 
なぜその物資が必要なのか、書類だけでなく、人びとの生きる場や活動の現場を見ないと分からないこともあると、学ぶことができました。

アドミニストレーターと看護師、夫婦でMSFに参加

マラウイで共に活動した仲間たち(前列左は夫) © MSF
マラウイで共に活動した仲間たち(前列左は夫) © MSF
MSFでは、医療スタッフとアドミニストレーター、そして、物資調達や設備管理などを担うロジスティシャンが三位一体となって働いています。私がMSFで好きな点の一つは、この3つの役割が平等だということです。
 
皆がお互いを必要として、尊重しているように感じます。例えば医療スタッフが「もっと多くの患者さんを受け入れられるようにしたい」と意見を出すと、アドミニストレーターが必要な人員数や予算の面から案を出し、ロジスティシャンは病棟の増設などについて考えを話します。一つの目標に向かって、それぞれの分野のプロフェッショナルが意見を出し合って、力を合わせるのです。
 
私はこれまでに4回の海外派遣に参加しましたが、初回以外は、MSFで看護師をしている夫と一緒に参加しています。アドミニストレーターと看護師の両方が求められている国を派遣担当者に探してもらい、一緒に行けるようにしてもらえていることがとてもありがたいです。夫と一緒に、週末には同僚を交えて、餃子や巻き寿司、手打ちうどんなど手作り料理を楽しむこともあります。夫婦で参加できることは、私がMSFで活動を続ける理由の一つです。

新しい国に行くごとに、一緒に働く同僚からその国の文化や生活について話を聞くことができるのもMSFの魅力です。支援を必要とする人たちの力になれるだけでなく、異文化を学ぶことができます。これからも世界各地で活動に参加していきたいと思います。

「まだ見ぬ自分を見てみたい」 向上心を持ち続けられる仕事

ロジスティシャン 小口 隼人

悩み続けた日々

「キャプテン翼」に心奪われ、サッカーに打ち込んで育ちました。中学では神奈川県の選抜チームに選ばれ、プロ選手を目指すまでに。しかし高校で伸び悩み、大学時代は自分が進みたい道を見つけることができず、「この先どうしよう」と悩んでばかりの毎日でした。
 
大学卒業後は派遣社員として半年間働いた後、「自分が本当にやりたいことを20代の内に探したい」と、思い切ってアフリカ・ボツワナでの1年間のボランティアに参加。HIV/エイズの活動を通して命に向き合い、終了後はイギリスの大学院で公衆衛生を学びました。
 
そこで出会ったクラスメイトの中に、国境なき医師団(MSF)のスタッフがいたんです。イタリア人とフランス人の医療従事者で、2人とも現場の話をよく聞かせてくれました。教授が教える理論に対して、現場の実例を元に問題提起したりと積極的で。その割にプライベートではのんびりしていて、憎めない2人だったんです。そんな彼らがかけてくれた一言が、私の人生を変えることになりました。
これまでに10カ国 で活動した小口 © MSF
これまでに10カ国 で活動した小口 © MSF
続きを読む

2週間で荒野に診療所をつくる

「知ってる? MSFにはロジスティシャンやアドミニストレーターといった非医療の職種があるんだよ。トライしてみれば?」と。MSFといえば医療職のイメージだったので、新鮮でした。帰国後に早速応募し、その翌年に派遣が決まりました。2007年、27歳のことです。
 
初めての活動地は、スーダンのダルフール。戦闘で数十万人の命が奪われ、当時「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれた地です。MSFは無償で医療を提供し、家や家族を失った人たちの命を支えていました。
 
そこに私は新人ロジスティシャンとして着任したのです。ロジスティシャンは、物資の調達から病院の設営、安全管理、車両、電気、水……と、援助活動の土台になる幅広い業務を担います。
 
増え続ける避難民に対応するため、荒野のただ中にあるキャンプに診療所を作ることになりました。期限は2週間。戸惑うばかりの私に上司がかけてくれたのが、「ミスを恐れるな」というアドバイスでした。自分なりにニーズを把握して、ベストだと思う方法でトライする。うまくいかなかったら、理由と改善策を考えて次に生かす。自分一人でなくチームで目標を目指す。それらの学びはいまも生きています。
ダルフールの避難民キャンプにテント式の診療所を設置した <br> © Hayato Oguchi
ダルフールの避難民キャンプにテント式の診療所を設置した 
© Hayato Oguchi

紛争地で迫られる究極の判断

活動地の状況はそれぞれ異なるので、ある場所で正しかった方法が、別の場所でも正解とは限りません。判断が特に難しいのが、紛争地での安全管理です。
 
苦しんでいる人たちに医療を届けたい。しかし、スタッフの安全を確保しなければならない。進むか、引くか──。究極の判断が迫られます。戦闘機が飛び交うシリアや、プロジェクトの統括を務めたイエメンでは、現地スタッフらと情報を分析して安全に活動できる道を探りました。
 
MSFが独立、中立、公平な立場で活動しているということが、安全の確保につながっていると、すべての現場で感じます。どの勢力にもつかず自分たちの意思で、医療を必要する人へ公平に援助しているので、地域社会に受け入れられているんです。
スタッフと話し合いながら活動を進める(イエメン) © MSF
スタッフと話し合いながら活動を進める(イエメン) © MSF

向上心が仕事の原動力

この仕事を始める前は、「人道援助の仕事で生計が立てられるのか?」と疑問を持っていたのも事実です。両親も不安だったようです。でもいまは自信を持って、やっていけると言えます。
 
同僚の中には、MSFだけでなく複数の団体を経験している人も少なくありません。実際に私も、MSFのスタッフとして数カ国で働いた後に赤十字国際委員会でロジスティシャンの仕事をして、いままたMSFで活動しています。
 
アフガニスタンで出会って結婚した欧州出身の妻は、別の団体で働くエンジニアです。同じ国で働けるよう調整しながら、3人の幼い子どもたちと一緒に世界各地で暮らしているんです。
 
MSFには、新しい現場ごとに未知の学びや挑戦があります。この先にいる、まだ見ぬ自分を見てみたい。そう向上心を持ち続けられることが、活動に参加する原動力です。
 
自分の能力を全力で注ぎたいと思える仕事に出会えたと、いま心から思っています。
パキスタンで共に活動した仲間たちと © MSF
パキスタンで共に活動した仲間たちと © MSF

多国籍チームを一つにした言葉とは 命を守る現場のリーダーとして

プロジェクト・コーディネーター 下山 由華

あらゆる意見をフェアに聞く

アフリカ系の医師、欧米出身の看護師、中東から来た財務担当、南米出身の物資調達スタッフ……と、国境なき医師団(MSF)の現場では職種も国籍も異なるスタッフが一つのチームとして働いています。その中で、チームをまとめてプロジェクト全体を統括する「プロジェクト・コーディネーター」を務めてきました。
 
MSFは医療援助を行うために活動しています。しかし、医療スタッフがすべてを決めるわけではありません。医療スタッフと非医療スタッフが協力して、一緒に問題を解決するんです。「患者さんの命を助ける」というゴールのために、資金面や物資の調達、セキュリティなど、どの役割も欠かせません。さまざまな意見をフェアに聞いて、目的を達成するためにベストな判断をすることが私の役割です。
 
それでも、あまりにも多くの命が日々失われる現実に、心が折れそうになることもありました。
シエラレオネで活動した下山(中央)と同僚たち © MSF
シエラレオネで活動した下山(中央)と同僚たち © MSF
続きを読む

多くの命が失われる中で

2023年に活動したアフリカのシエラレオネでは、5歳未満児死亡率は日本の50倍以上*。人はこんなにも簡単に命を落としてしまうものなのかと、衝撃を受ける毎日でした。そのような中、患者さんの死に直接向き合う看護師が、無力感にさいなまれてモチベーションを下げてしまうことがありました。彼女はある夜、「救えたはずの命を救うことができなった」と涙を流しながら私に話しました。
 
病院への道のりが遠いこと、物資が足りないこと。患者さんの死の背景には、さまざまな要素があります。ゆっくりと話を聞いた後、私は彼女と一緒に、私たちが解決できる問題とできない問題を分けて、解決できる問題に取り組んでいこうと伝えました。
 
どんなに高い志を持って参加しても、必ず落ち込むことはあります。それでも、また上がることはできる。落ち込んでいたスタッフが、次の日に笑顔で仕事に戻っている姿を見て嬉しく思いました。
マラリアの治療を受ける子ども=2022年 © Oliver Barth/MSF
マラリアの治療を受ける子ども=2022年 © Oliver Barth/MSF

「私たちはなぜここにいるのか?」

MSFの活動の中で、いつもスタッフに投げかけていた言葉があります。
 
それは、「私たちはなぜここにいるのか?」という問いです。
 
医師や看護師、人事、財務、ロジスティックと役割は違っても、患者さんを助けるというゴールは同じ。その目的に皆が立ち返ることで、患者さんのために職種や国籍を超えてチームが一体となって仕事をすることができるのです。
 
私は医療者ではありませんし、電気や財務など特定の分野の専門家でもありません。これまで他のNGOで援助活動に携わってきた経験を生かし、ゼネラリストとして活動全体を見るプロジェクト・コーディネーターとしてMSFに参加しました。
 
「医療者じゃないから自分は参加できない」と思っている方も、これまでの仕事が人道援助のどこに結び付けられるか、ぜひ考えてみていただけたらと思います。

*ユニセフ「世界子供白書2023」
 
さまざまな職種のスタッフがチームとして働く。<br> パキスタンのオフィスにて © MSF
さまざまな職種のスタッフがチームとして働く。
パキスタンのオフィスにて © MSF

 
求められる「プロ意識」  自分のスキルを人道援助で生かす

アドミニストレーター 趙 悠蓮

社会人10年目に選んだ新しい道

医療従事者ではない私が、まさか国境なき医師団(MSF)で働くとは──。
 
以前に勤めていた外資系コンサルでは、主に外資系企業や大手日本企業を顧客にしたコンサル業務を担当。大きな予算のついた事業に関わり、待遇でも恵まれた環境ではありましたが、しだいに「私の仕事は世の中の役に立っているのだろうか」「スキルを生かしてもっとやりがいを求められる場はないだろうか」という思いも湧いてきました。
 
社会人になって10年目に体調を崩して入院した時、病院のベッドの上で「自分が本当にやりたいことって何だろう」と改めて考えました。そこで頭に浮かんだのが、両親が寄付をしていたMSFでの人道援助だったのです。
趙 悠蓮(ちょう ゆりょん) フィリピンのオフィス前で © MSF
趙 悠蓮(ちょう ゆりょん) フィリピンのオフィス前で © MSF
続きを読む

危機が起きた現場に迅速に赴くスピード感や、独立性を保つために資金を民間からの寄付でまかなう姿勢に共感していたこともあり、MSFで働きたいと思いましたが医療の経験はありません。ダメ元で求人を探すと、何と財務や人事の募集を発見。「アドミニストレーター」という職種です。財務や人材育成の経験は積んでいたので「これならできる!」と直感し、すぐに応募書類を送りました。

「業務の効率化」に貢献

最初の赴任地は、紛争の避難民を対象にした医療援助を行う、フィリピン南部のミンダナオ島でした。働き始めてまず驚いたのは、経費の費目が約140項目と非常に細かく分類されていたこと。透明性を担保し、寄付を有効に使うためのMSFの経理の仕組みに感銘を受け、私も予算の推移を定期的にスタッフに周知するよう心がけました。
 
仕事に当たる中で、民間企業で身に付けた業務の効率化をMSFでも生かせると気づきました。そこで、他のチームと意識的に情報共有をしたり、議事録をとったり、集まる必要のない内容なら会議をせずメールで済ませるなど、仕事を円滑にするための取り組みを意識的に提案したところ、それが受け入れられ、チームの生産性が上がりました。
フィリピンの現地スタッフと仕事を進める © MSF
フィリピンの現地スタッフと仕事を進める © MSF

「財務・人事のプロ」が活躍できる

同僚の大半を占める現地スタッフはやる気のある人ばかりで、私がITツールの便利な使い方や経理、財務の知識を教えると、熱心に学んでいました。彼らの成長を見ていると自分の貢献を肌で感じられ、プロとしてやりがいを持って仕事ができる喜びを実感しました。
 
「人道援助」と聞くと、無償のボランティア活動を思い浮かべる人も多いと思いますが、MSFの現場ではプロ意識と高い職能が求められます。特別な世界だと構えずに、やりがいを重視する人こそ仕事の選択肢のひとつとして考えてほしいです。
支援先の医療施設。屋根にソーラーパネルを付けて、<br> 夜間でもお産ができるようになった © MSF
支援先の医療施設。屋根にソーラーパネルを付けて、
夜間でもお産ができるようになった © MSF

 
難民キャンプでかみしめた 困っている人の力になる幸せ

ロジスティシャン 大西 基弘

勇気を出して踏み出した一歩

前職では自衛隊で輸送機のパイロットとして、被災地などの援助活動に携わりました。国境なき医師団(MSF)に参加したのは、より多くの経験を積んで人道援助のプロになりたかったから。
 
正直なところ、誇りを持っていたパイロットの職を辞して人道援助の世界へ飛び込むということは自分自身にとって非常に大きな決断でした。また、採用が決まってウガンダへの派遣を打診された時には、アフリカでの経験があまりなかったこともあり、「行く」と即答できませんでした。その時に後押ししてくれたのが、「1%でも迷うなら、一歩踏み出すと知らなかった景色が見えますよ」という事務局の方の一言。その言葉通り、MSFは私に新しい世界の扉を開いてくれました。
 
思いを固め、ウガンダにロジスティシャンとして赴任。医療施設の水・電気の管理や物資調達などロジスティック業務全体の監督をする役割に就きました。
大西 基弘(おおにし もとひろ) ウガンダのオフィスにて <br> © MSF
大西 基弘(おおにし もとひろ) ウガンダのオフィスにて 
© MSF
続きを読む

“不可能を可能”にするロジスティシャン

そんな中、2022年の3月末から隣国コンゴ民主共和国で内戦が激化し、ウガンダに逃れてくる人が急増。MSFは国連などと共に難民への緊急援助を始めました。私も新たに設営された難民キャンプに派遣され、配布する救援物資の調達や、緊急の医療施設の建設などに携わりました。
 
前職で国内外での援助活動は経験していましたが、物も人もお金も限られる難民キャンプでの活動には四苦八苦しました。短時間でつくる仮設病院であっても、医療チームからは多岐にわたる要望が上がります。「安全な導線のため、ドアは内側に開くようにしてほしい」といった細かな注文に、資材も足りないし全ての要望を実現するのは難しいだろうと当初私は思いました。
 
しかし、現場経験が豊富なリーダーはどんな依頼も快諾。足りない資材は代用品で補うなどの工夫を重ね、あらゆる要望に対応していました。不可能を可能にしようとする彼のロジスティシャンとしての仕事ぶりは、私の手本となっています。
隣国で紛争が激化し大勢の人びとが逃れてきた。<br> 難民キャンプで救援物資を配布(左が大西) <br> © Théo  Wanteu/MSF
隣国で紛争が激化し大勢の人びとが逃れてきた。
難民キャンプで救援物資を配布(左が大西) 
© Théo  Wanteu/MSF

忘れられない言葉

苦労して調達した毛布などの品々を数千人の難民に配布していると、ある女性が私に近づいてきて、「Thank You」と声をかけてくれました。紛争で我々の想像を絶するような辛い思いをしているはずなのに、わざわざお礼を言いに来てくれたことに感動しました。本当に困っている人たちの一番近くで活動できて、「MSFで働くって幸せなことだな」としみじみ思いました。
 
MSFで仕事を始めたばかりの頃の私は、医療に詳しくないという負い目から、会議でなかなか発言できませんでした。ところがそんな私の遠慮をよそに、MSFでは新人もベテランも、医療職か非医療職かも関係なく躊躇せずに意見を述べるし、それぞれの考えが尊重される雰囲気があります。特に緊急支援など複雑な環境下であればあるほど、多様なバックグラウンドを持つ非医療スタッフの視点が重宝されることがあると気づきました。それからは、建設的な議論に貢献するため、積極的に自分の考えを言うようにしました。
 
答えのない状況で、多様な国籍の人たちと議論を積み重ねて最良の選択肢を模索した経験は、先の見えないいまの時代、どんな組織で働くうえでも役立つと思います。
車両の管理もロジスティシャンの仕事だ <br> © MSF
車両の管理もロジスティシャンの仕事だ 
© MSF

 
目指すのは「ボス」ではなく「リーダー」

プロジェクト・コーディネーター 上西 里菜子

辺境での出会い

国境なき医師団(MSF)に関心を持ったのは、アフリカ中央部の国チャドを訪れた時の出会いがきっかけでした。当時、5年間勤めた児童福祉の仕事を辞めてバックパッカーとして世界旅行をしていた私は、アフリカ縦断中に訪れたチャドでMSFの車両を見かけ、「外国人がほとんどいないこんな場所でも活動しているんだ!」と感銘を受けたのです。
 
その時に出会った海外派遣スタッフの楽しそうな仕事ぶりも印象深く、帰国後にMSFの門戸を叩きました。今年で入団から丸10年。現在はプロジェクトを統括するリーダー職であるプロジェクト・コーディネーターを務めています。
上西 里菜子(うえにし りなこ)、右から2人目<br> 共にジンバブエで働いたスタッフと © MSF
上西 里菜子(うえにし りなこ)、右から2人目
共にジンバブエで働いたスタッフと © MSF
続きを読む

疑うより難しい「信頼」

MSFの活動は医療だけでなく、経理や人事、ロジスティックといった幅広い分野のプロフェッショナルに支えられています。リーダーの役割は、彼らがやるべきことができる環境を整え、サポートすること。スタッフの働きやすさが、結果的により多くの患者の救命につながるからです。
 
それゆえにMSFの現場には上に立つ威圧的な「ボス」ではなく、チームに尽くす「支援型のリーダー」が求められると思います。スタッフを常に信頼し、どんなに忙しくても彼らの話に耳を傾け力を発揮できるよう導いていく。それが私の目指すリーダーです。
 
問題が発生するとつい誰かを責めたくなりますが、そんな時こそスタッフを信じるように心がけています。「信頼」は難しいものですが疑うべきは人ではなく、状況。一人ひとりの話を聞き、解決に努めます。
スタッフ一人ひとりの声に耳を傾けた © MSF
スタッフ一人ひとりの声に耳を傾けた © MSF

失敗から学んだマネジメント

私たち海外派遣スタッフは通常、最初の活動から現地スタッフを統括する役割に就きます。私は初回の派遣で疾病の予防・対策などを担うヘルスプロモーターとしてパキスタンに赴任したのですが、当時はマネジメントの経験が乏しく、スタッフを厳しく管理したせいで、良好な関係を築けませんでした。
 
この苦い経験がきっかけで、マネジメントを学び始めました。MSFにはさまざまな研修やメンター制度があります。それらを活用しながら「MSFの現場にはどんなリーダーが必要か」を改めて考えてたどりついたのが、優秀なスタッフの能力を最大限に生かすいまのスタイルでした。
 
チーム内での意見の違いも多く、自分の思い通りに仕事が進むことは稀ですが、おかげでどんな時でも「まあいいか」と思える「受容力」が身に付きました。あきらめるのではなく、ありのままを受け入れ、状況に即した別の方法を試すと、たいていうまくいくんです。
 
多国籍のチームが共に働く中で、お互いを受け入れて理解したり、逆に衝突したりしながら前に進んでいく。「違って当然」と多様性を受け入れることがMSFという組織の美しさだと思います。さまざまな国籍の人と交流し、多彩な価値観に触れたことで人生がより豊かになりました。それが10年以上も現場に行き続ける原動力にもなっています。
多国籍のチームで多彩な価値観に触れた © MSF
多国籍のチームで多彩な価値観に触れた © MSF

 
50代で広告業界から転身 人事や経理の本質は万国共通

アドミニストレーター 辻 直行

セカンドキャリアは「人道援助」

一生、学び続ける人生でありたい──そんな思いから、33年間勤めた広告代理店を辞め、国境なき医師団(MSF)に参加しました。
 
きっかけは2人の子どもが独立した時に「この先、自分がやりたい仕事は何か」と考えたこと。正直、それまで人道援助に関心はありませんでしたが、これからはビジネスよりも人に役立つことをしたいと気づきました。さらに医療現場という未知の世界に飛び込めば、「学びのある仕事をしたい」という希望を叶えられるのではないかと考え、MSFへの転身を決断しました。
 
パートナーには猛反対されましたが、時間をかけて説得し、最後は納得してくれました。子どもたちはこのセカンドキャリアを応援してくれています。
辻 直行(つじ なおゆき) リベリアの子ども病院にて<br> © MSF
辻 直行(つじ なおゆき) リベリアの子ども病院にて
© MSF
続きを読む

難局乗り越えた前職の経験を生かし

2021年から、財務と人事を担うアドミニストレーターとしてMSFに参加し、これまでにアフリカ西部のリベリアと南東部マラウイの2カ国に赴任しました。どんな業種でも、総務や人事、経理の本質は万国共通です。人事を扱うので時にスタッフが感情的になることもありましたが、 前職でさまざまな難局を乗り越えてきたこともあり、粘り強く理由を説明して場を収めることができました。
 
「患者第一」というMSFの方針とスタッフの働きやすさのために、柔軟な対応を常に心がけています。多国籍な職場環境で信頼関係を築く際に重要なのは、懸命に働いて自分の人となりを示すこと。この姿勢はどの国でも通じます。
現地スタッフと会計作業を行う(マラウイ) <br> © MSF
現地スタッフと会計作業を行う(マラウイ) 
© MSF

「人に尽くせる機会」に感謝

業務内容に戸惑いはありませんでしたが、医療や人道援助に関して覚えなければならないことが多々あるのには苦労しています。顔には出しませんが「期待に応えられなかったらどうしよう……」と、当初は戦々恐々としていました。
 
いまでも独学で医療の知識を身につけようとしていますが、わからないことは恥と考えず、同僚に聞くようにしています。最近は、赴任先の幅を広げるため、フランス語の勉強も始めました。新しい学びの機会に満ちたMSFの仕事には大きなやりがいを感じています。
 
ずっと「人助け」という言葉には「助けられる側」の視点が抜けていると、違和感を持っていました。ところが実際に人道援助に携わると、自分自身も貴重な経験や学びを得られるのだと思い至りました。重要な気づきをくれたMSFへの転身には、200%満足しています。
入院している患者さんと言葉を交わす(マラウイ) <br> © MSF
入院している患者さんと言葉を交わす(マラウイ) 
© MSF

 
多国籍な「ワンチーム」
命を救う団結力に心震えた

ロジスティシャン 吉田 由希子

説明はいらない「緊急援助」

「国境なき医師団(MSF)」のロジスティシャンとして、紛争下の南スーダンやエボラ出血熱が猛威を振るうシエラレオネなど、計12回の派遣を経験しました。
 
MSFの特徴のひとつは迅速さ。それを最も体感するのが、緊急援助です。人道危機の現場に集うスタッフは、多くの説明が無くとも自分の役割をわかっている人ばかり。短い会議の後、全員がすぐさま自分の仕事に着手します。そして、電気と清潔な水を備えた医療施設が一気に完成するのです。
 
シエラレオネでは、エボラの急患が多く発生し、対応に追われる緊迫した状況の中、チーム全員が「一人でも多くを救う」という同じ目標に一丸となって、自分の能力を最大限に発揮。言語も文化も違う多国籍なメンバーが「ワンチーム」で活動する姿には「言葉を交わさずとも、こんなに息の合った仕事ができるのか」と、心が震えました。
吉田 由希子(よしだ ゆきこ)、写真中央 <br> スーダンで共に働いた仲間と © MSF
吉田 由希子(よしだ ゆきこ)、写真中央 
スーダンで共に働いた仲間と © MSF
続きを読む

「強い思い」があるから乗り越えられる

自爆テロの負傷者が病院に殺到し、空爆の衝撃で建物が揺れるような場所でも活動しました。そんな緊迫した状況でもスタッフ全員がいきいきと仕事をしているのは、MSFで活動する誰もが人道援助に熱い思いを持っているから。
 
尊敬する同僚は「採用時には経験やスキルも大事だが、それ以上に、熱意があるかを重視する」と言います。確かにどんなに優秀な人材でも、人道援助への情熱がなければその能力を現場で生かすことはできません。私自身も「過酷な状況にある人びとの命を一つでも多くつなぎたい」という思いに支えられ、過酷な状況を乗り越えることができました。
過酷な環境でも皆いきいきと働いていた(南スーダン)<br> © MSF
過酷な環境でも皆いきいきと働いていた(南スーダン)
© MSF

密度の濃い経験で鍛えられた「決断力」

大学卒業後はホテル業界を経てカナダで英語を学び、アメリカのNGOで開発途上国の水、衛生や教育支援などを行いました。2011年に東日本大震災が起きると、被災地で住居再建などの活動に従事。その時に家族の死に打ちひしがれる被災者の方を目の当たりにし、命や健康を守る大切さを痛感したことがMSFに入団したきっかけです。
 
ロジスティシャンの業務はインフラ整備から施設の建設、物資調達、水供給や衛生管理など多岐にわたります。病院や清潔な水なしに治療はできません。医療に限らず、MSFのすべての活動を支えるロジスティシャンは、患者の命を救うための重要な役割を担っています。
 
それゆえに現場では即断即決を求められるし、トラブルが発生した場合に備えて常に代替案を複数、用意しておかなければなりません。時には過酷ですが、決断力や実行力は確実に磨かれます。
 
MSFの緊急援助での数カ月は、日本で数年働く経験にも匹敵する密度の濃さ。さまざまな国の人たちと共に走り続けたおかげで、人生で必要な人間力を学べました。MSFだからこそできる経験がある──それは間違いないと思います。
道路がない場所ではボートで現場に向かうことも<br> (スーダン) © MSF
道路がない場所ではボートで現場に向かうことも
(スーダン) © MSF

最新情報をお届けします

SNSをフォロー

  • Facebook
  • Twitter
  • Line
  • Instagram
  • Youtube