沿革

2020年

1月、香港で新型コロナウイルス感染症に関する活動を開始。その後世界各地での感染拡大に伴い、専門の治療センターの設置、感染予防のための健康教育など、70以上の国と地域で援助を提供した。特に、難民をはじめ弱い立場に置かれた人びとへの支援に力を入れて活動。また、新型コロナウイルスのワクチンや関連する医療ツールなどがあらゆる人びとに公平に行き渡るよう国際社会に訴えた。

8月、独NGO「シーウォッチ」と共同し、救助船「シーウォッチ4号」で地中海中央部での捜索・救助活動を開始。欧州連合(EU)加盟国が、新型コロナウイルス感染症を口実に地中海での捜索・救助活動を縮小する中、救急医療や食料と必需品の配布などを行った。

11月、「いまこそ、国境を越える想像力を。」キャンペーンを実施。長年にわたり人道危機に直面してきた人びとの現実を、コロナ禍で全世界が共有した「医療崩壊」「物資不足」「ステイホーム」「感染症」のテーマで伝えた。

2019年

3月から4月にかけて2つの大きなサイクロンに見舞われたモザンビークとその周辺国で緊急援助を行った。地中海での海難捜索・救助活動は、欧州連合(EU)加盟国政府の介入により約2年間事実上の停止に追いこまれていたが、7月、市民団体「SOSメディテラネ」と「オーシャン・バイキング」号を共同運航して活動を再開した。

3月に南スーダンの人道危機を訴える「答えは変えられる」キャンペーンを実施。

12月に世界の難民・移民・国内避難民の現状を訴えるキャンペーン、「エンドレスジャーニー~終わらせたい、強いられた旅路~」を展開。アフリカ(チャド湖周辺)、地中海、中東(シリア難民)、アジア(ロヒンギャ難民)、中米の5つの地域を取り上げ、移動を強いられる人びとの直面する人道危機について証言活動を行った。

2018年

エボラ出血熱コンゴ民主共和国で再び流行。450人が感染、360人が亡くなった。北キブ州でエボラ治療センターを開院して治療にあたったが、武装勢力の活動が活発な地域などでは、ウイルスの封じ込めや患者の治療が困難であり、何度か活動を制限せざるを得なかった。

内戦が4年目に突入したイエメンでは医療体制が崩壊しており、世界最悪のコレラ流行や大規模な食糧不安などが起こった。MSFは外科、産科、感染症の治療など、繰り返し危機的状況に対応した。

2017年

8月25日にミャンマー・ラカイン州で起こった警察・軍とロヒンギャ武装組織との武力衝突を機に、約1か月で68万人以上が同州から隣国バングラデシュへ逃れた。MSFは難民キャンプで診療所の設置、移動診療、水・衛生活動などを行う傍ら、患者の証言を報告書にまとめた(2018年3月発表 「誰もいなくなった―ミャンマー・ラカイン州のロヒンギャを襲う死と暴力」

コンゴ民主共和国ではMSFの集団予防接種の中でも最大規模の、100万人を超える子どもにはしかの予防接種を行った。

2016年

世界各地の各事務局で医療への攻撃の即時停止を訴えるキャンペーンを展開。日本事務局では「病院を撃つな!」キャンペーンを立ち上げ、日本政府へ提出する署名活動などを行った。

2015年

4月25日、ネパール大地震が発生、MSFは日本を含む世界各地からスタッフを派遣し、緊急援助にあたった。

10月3日、アフガニスタン・クンドゥーズ州でMSFが運営していた外傷センターが、米軍機に爆撃された。この爆撃で、患者・スタッフ計42人が殺害された。

2014年

エボラ出血熱が、ギニアシエラレオネリベリアを中心に、史上最悪の規模で大流行した。エボラ対応に長年の経験と実績を持つMSFが流行地域の各地に治療センターを設置。現場で患者の治療にあたる一方、国連総会や安全保障理事会で各国首脳に緊急援助を呼びかけるなど、国際世論に危機を訴え続けた。

2013年

フィリピンに過去最大級の台風が上陸。レイテ島、サマール島、パナイ島を中心に甚大な被害をもたらした。MSFは日本を含む各事務局から現地へスタッフを派遣し、各島に仮設病院を設置。また、全世界でフィリピン緊急援助のための寄付を呼び掛けた。

ソマリアでの活動を8月で終了。1991年から22年にわたって活動してきたが、その間に16人ものスタッフが殺害された。また、ソマリア人難民キャンプで活動中のスタッフ2人が拉致される事件も起き(2013年に解放)、活動の継続が非常に困難だと判断した。

2012年

内戦状態のシリアで、政府が病院を監視下に置き、反体制デモの負傷者と、その負傷者を治療しようとする医療従事者を厳しく弾圧していると証言。6月には政府からの活動認可を得られぬまま、北部イドリブ県で仮設病院設置に踏み切る。

日本事務局が開設から20周年を迎える。

2011年

大統領選の結果をめぐる紛争が内戦に発展したコートジボワールで、戦闘に巻き込まれた住民に医療援助を提供。国境を越えてリベリア側へ避難した人びとへの援助も実施する。

東日本大震災の地震と津波で唯一の医療施設が崩壊した岩手県宮古市田老地区に、仮設の田老診療所を寄贈する。MSFは建設支援を手がけ、仮設診療所で医療援助を実施。

リビア政権側と反政府勢力との間で武力闘争が勃発し、MSFは外科治療、心理ケアを含む医療援助を実施する。また、イタリアチュニジアへ逃れた避難民へも援助を提供。

国境なき医師団が創設から40周年を迎える。

2010年

マグニチュード7.0の地震によってハイチの首都ポルトープランスが壊滅的打撃を受ける。MSFはハイチでの活動を大幅に拡大し、外科治療、物資配布を含む緊急医療活動を展開。また、コレラ治療センターを50ヵ所以上開設し、約10万人の患者を治療するともに、コレラ啓蒙活動も行う。

パキスタンで大規模な洪水が発生。MSFは、同国での活動を拡大し、約8万人の被災者の治療にあたるとともに、救援物資の配布も行う。

2009年

イスラエル軍がパレスチナ自治区のガザ地区に侵攻。1月18日に停戦協定が結ばれるまでの約20日間で1300人が死亡、5300人が負傷。侵攻前から現地で活動するMSFは、負傷者の治療や市民への心理ケアを提供。

2008年

サイクロン「ナルギス」がミャンマー南部を通過し、14万人の死者・行方不明者、甚大な被害をもたらす。MSFは基礎的な医療、水・衛生管理、食糧、栄養治療心理ケアを提供。

深刻な食糧危機に見舞われたエチオピア南部地域で、約7万2000人の子どもたちに栄養治療を行う。

コンゴ民主共和国北キブ州における武装勢衝突を逃れ避難民となった人びとへ、移動診療、外科治療栄養治療性暴力治療・カウンセリングを提供。

ジンバブエにおける大規模なコレラの流行に対応。10ヵ月で6万5000人を超える患者を治療すると同時に、公的医療機関の後方支援を行う。

2007年

スイスの製薬会社ノバルティス社がインド政府を相手取り、同国特許法について異議を申し立て。インドは安価なジェネリック薬の主要生産国であり、MSFは訴訟の取り下げを求める運動を国際的に展開する。(8月7日、ノバルティス社敗訴)

内戦が激化するソマリアでは、避難民への医療援助活動を国内各地で継続しつつ、首都モガディシュで外科治療プログラムを開始。

チャド政府と反体制派勢力との紛争が長期化し、15万人以上が避難民となる。MSFはチャドでの活動を強化するとともに、大規模な人道援助の必要性を国際社会に訴える。

2006年

アンゴラコレラがまん延する。首都から各地へと広がりを見せる中、MSFは400トンの物資を提供し、約2万6000人の感染者を治療。

2005年

2004年のインドネシア・スマトラ島沖で発生した地震に続き、インド洋沿岸諸国を津波が襲う。MSFはスマトラ島北部とスリランカの沿岸部を中心に医療、心理ケア、援助物資の提供、衛生環境の整備などを実施。

ニジェール飢餓が発生。MSFは、国内各地に50を越える治療施設を新設し、そのまま食べられる栄養治療食(RUTF)を取り入れた大規模な外来栄養治療プログラムを展開。

パキスタン北部カシミール地方で大地震が発生。膨張式テント病院を導入して、数千人規模の負傷者の治療を行う。

2004年

スーダン・ダルフール地方の内戦を逃れ、数百万人が難民・避難民となる。MSFは同地方および隣国チャドで医療援助を展開すると同時に、国際的な人道援助の不足などを国際社会に強く訴える。

2003年

非営利の国際団体「顧みられない病気のための新薬イニシアティブ(DNDi)」を5ヵ国の公的機関と共同設立。シャーガス病カラアザールアフリカ睡眠病をはじめとする顧みられない病気のために必要な医薬品研究開発の促進を目指す。

2002年

MSF日本事務局、認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)となる。

28年間続いたアンゴラの内戦が終結し、約50万人が飢餓の危機に直面。200人を超す外国人派遣スタッフと2000人を超すアンゴラ人スタッフを動員し、40ヵ所に栄養治療センターを開設して治療にあたる。

2001年

9.11後、英米軍がアフガニスタンを攻撃。外国人派遣スタッフは一時撤退を余儀なくされるが、タリバン政権の崩壊後は、各地で大規模な活動を再開する。

2000年

シエラレオネ政府軍と西アフリカ諸国平和維持軍との間で戦闘が生じ、MSFは負傷者を治療。

抗レトロウイルス薬(ARV)によるHIV/エイズ患者の治療をマラウイタイ南アフリカ共和国など7ヵ国で開始。

1999年

28年間の人道援助活動が評価され、MSFはこの年のノーベル平和賞を受賞。授賞をきっかけに、貧困にある人びとが治療薬を手に入れられるよう「アクセス・キャンペーン」を開始。

アルバニア、マケドニア、モンテネグロなどに逃れたコソボ難民を支援。

グルジアやイングーシに避難したチェチェン難民を支援。戦闘が続くチェチェン国内では、医薬品や医療物資などを首都グロズヌイの医療施設に提供する。

日本事務局、特定非営利活動法人(NPO法人)となる。

1998年

内戦の激化と干ばつ被害によりスーダン南部に飢餓が広がる。同国で援助を続けてきたMSFは、国際的に見過ごされているこの状況に警鐘を鳴らす。

1996年

ナイジェリア髄膜炎が大流行。MSFは髄膜炎治療センターを開設し、数千人を治療すると同時に、400万人に予防接種を実施。

1995年

阪神淡路大震災の発生を受け、水や毛布などの物資、無料診療所での診察および医薬品の提供を行う。

内戦下のボスニア・ヘルツェゴビナで、セルビア人勢力が国連保護地域を攻撃。約8000人が虐殺される。MSFは攻撃中も活動を継続し、国際社会に惨状を証言。

ロシアとの紛争が続くチェチェン国内、および周辺国のチェチェン難民キャンプで援助活動を実施。

1994年

ルワンダで、ツチ族およびフツ族の穏健派の大虐殺が始まり、数週間で50万人から100万人が犠牲になる。MSFはその歴史上で初めて、国際的な軍事介入を求める。ザイール、タンザニアの難民キャンプで援助活動を行うが、キャンプが虐殺の首謀者によって支配されている事態を重く見て、12月に活動を停止。

1993年

クーデターをきっかけにブルンジで虐殺が続発。多数の国内避難民およびルワンダ、タンザニアに逃れた難民へ緊急援助を提供。

1992年

内戦飢餓により壊滅的な被害を受けたソマリアで、活動の規模を拡大。同国の惨状を国際世論に訴える。

日本(東京)に事務局を開設。

1991年

湾岸戦争とそれに続く内乱で難民となったクルド人への援助活動を開始。イラク北部、トルコイランヨルダンに、特別機57機、物資2000トン、外国人派遣スタッフ150人を送る。

1990年

リベリアの内戦が激化する中、紛争に巻き込まれた人びとへ救急医療を提供。

事務局間の調整を行う「MSFインターナショナル」が発足する。

1988年

アルメニア地震による被災者の救援活動を実施。旧ソビエト連邦では、初の活動地となる。

1986年

スリランカへ医療従事者を派遣。内戦による被害を受けた住民へ移動診療などを通じて医療を提供。

1984年

エチオピアで、飢餓に直面した人びとへの大規模な栄養補給プログラムを実施する。

1980年

ベトナム当局がMSFのカンボジアでの援助活動を妨害していることに抗議し、「カンボジアの生存のための行進」実施。MSF初の国際的なアピール活動となる。

ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻。MSFはパキスタン国境を越えて現地入りし、被害者への援助活動を実施。

ベルギー事務局を設立。その後、オランダ、スペインなど欧州諸国に事務局を設立し、組織の国際化が進む。

1979年

MSFの援助方法をめぐってメンバーの意見が対立。一部が脱退し、1980年に「世界の医療団」を設立。

1976年

内戦下のレバノンに56人の医師・看護師を派遣。紛争地における初の援助活動を行う。

1975年

ポルポト政権下のカンボジアで、初の大規模な医療援助活動を行う。

1971年

国境なき医師団(MSF)を創設。ナイジェリアのビアフラ内戦から間もない1971年12月22日、フランスの医師とジャーナリストからなるグループが「国境なき医師団(MSF)」を創設。