Special Interviews

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内戦下にカンボジア難民だったチャムローンとユウト夫妻(中央)。3人の子どもたちは帰国後にMSFの診療所で生まれた © Rafael Wiener/MSF

内戦を逃れ難民に 出会いがつないだ今と未来

【妻・ユウト】
1975年にカンボジアで発足したポル・ポト政権下で、私は母と離ればなれになり、孤児院で暮らしていました。1978年末よりベトナム軍がカンボジアを侵攻し、私も戦火を逃れるため隣国タイを目指しました。10歳くらいだったと思います。国境沿いの森の中を降り注ぐ砲弾から逃げるように進みました。たった一人で、他の人に追い付こうと必死でした。

幼かったので何が起きていたのかはわかりませんでしたが、夜も眠れず、食べるものがなかったのを覚えています。難民キャンプにたどりついた時には、栄養失調になっていて、すぐに治療を受けました。その後、養母に引き取られ、いくつかのキャンプを転々として過ごしました。

【夫・チャムローン】
ポル・ポト政権崩壊後も、新政権やその他勢力との間で内戦が続いていました。私は親戚の助けを得て1986年6月にカンボジアを脱出。国境の柵を飛び越えて、タイのカオダン難民キャンプに到着したのです。

キャンプでは、英語を勉強し、保健スタッフとして働きました。医療に関する知識はなかったのですが、患者の脈拍や血圧を測ったりしました。正式に難民として認められてはいなかったので、タイ兵士による取り締まりから逃れるようにして働きました。

ある時、フランスから来た国境なき医師団(MSF)スタッフのオリビエ医師に出会い、それまでの生活が一変しました。医療訓練センターで解剖学や看護技術を学び、MSFが難民キャンプで開いていた病院で薬剤師として働き始めました。そこでユウトと出会ったのです。

【ユウト】
1987年、私が18歳の時でした。道で会ったMSFの病院のスタッフに勇気を出して「働き手は必要ですか?」と訊いたことがきっかけで面接を受けられることになりました。医療に関する知識はなかったのですが、カオダン難民キャンプのMSF病院で学びながら働きました。

病院には分娩室が1つしかなく、とても忙しかったです。患者さんが多く、テントを増やして対応しました。学びながら働くのは本当に大変でしたが、仕事が好きでした。夜勤の時に同僚たちと果物を分けて食べたことも、いい思い出です。

海外から来たMSFスタッフは私たちのやる気を起こさせてくれましたし、たくさんのアドバイスもくれました。私が難民であることを知り、どう生きてきたかを理解してくれました。大変な仕事でしたが、よい友人もできて、本当に幸せな日々でした。

【チャムローン】
1991年にカンボジア和平が結ばれ、長い内戦が終結しました。カンボジアへ帰国したユウトを追いかけるように私も帰国し、友人を通じて彼女を探し出しました。キャンプにいたときから、彼女が親兄弟もいなくてたった一人だったことが気になっていたんです。心から愛するようになりました。1994年に結婚して、それ以来ずっと一緒です。

【ユウト】
結婚後、バンテアイミアンチェイ州のMSFの診療所で1人目の子どもを出産しました。その後、夫がこの診療所で働きはじめ、私もやがて勤務するようになりました。MSFはここで、性産業で働く人を対象にHIVと性感染症に関する医療を提供していて、私は健康管理や性感染症の予防について啓発する役割を担いました。1999年にはこの診療所で双子を出産しました。双子は今、22歳です。

【チャムローン】
タイのカオダン難民キャンプで医療について学ぶきっかけをくれたMSFのオリビエ医師に心から感謝しています。当時私はまだ若く、人と会うことさえ気が向きませんでした。そんな私を支え、医療を学ばせてくれたのです。私の家族は貧しく、カオダン難民キャンプに着いた時には何も持ち合わせていませんでした。私たちが得られているもの、今こうしていられるのは、MSFと出会ったおかげです。

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photo© Rafael Wiener/MSF

元MSF助産師
ユウト・ユウン

1974年、母親と離れ離れになり、孤児院で過ごす。1979年にタイの難民キャンプへ避難し、養母と暮らし始める。1987年からカオダン難民キャンプのMSF病院で働きながら助産師になる勉強をする。1991年カンボジア帰国後は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に参加。1994年にチャムローンと結婚。1996年から2000年まで、性産業で働く人びとを対象としたHIVおよび性感染症のMSFプロジェクトで助産師として活動した。

元MSF薬剤師
チャムローン・ロス1986年、カンボジアからタイのカオダン難民キャンプへ逃れ、保健スタッフとして働く。キャンプでMSFの医師と出会い、薬剤師として働き始める。1991年カンボジアへ帰国後は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)に参加。1994年にユウトと結婚。1996年から2002年まで、性産業で働く人びとを対象としたHIVおよび性感染症のMSFプロジェクトで薬剤師として活動した。

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