Special Interviews

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国連安全保障理事会で証言するジャクソン・K.P.・ナイマ=2014年撮影 © Morgana Wingard

理不尽に失われる命を許さない
—上げる声は患者のために

「病院もベッドも足りません。人びとは建物の前で行き倒れて亡くなっています。国際社会が立ち上がらなければ、私たちに未来はありません」

2014年9月、エボラ出血熱の対策を話し合う国連安全保障理事会の緊急会議で国際社会の介入を訴えたのは、リベリアの首都、モンロビアにある国境なき医師団(MSF)のエボラ治療センターで対応にあたっていたスタッフのジャクソン・K.P.・ナイマでした。

当時西アフリカで猛威を振るっていたエボラ出血熱で、看護師であった姪と従弟を亡くし、友人や大学時代のクラスメート、元同僚たちも相次いで命を奪われていたナイマ。感染しても治療する方法がなく、誰にも顧みられず、絶望的な死を待つしかない中で、次々に人びとが犠牲になっていく祖国の現実を証言しました。MSFの会長や事務局長ではなく、最前線で働くスタッフが、誰の言葉よりも強く、リアルに訴えたのです。

MSFはなぜ声を上げるのか。それは、断固たる拒否の姿勢の表れです。病院のベッドが足りず命を落とす人、紛争で診療所に来られず出産時に亡くなる女性、命をつなぐ薬が高価で手に入らない患者、家を追われ不衛生な難民キャンプでの暮らしを強いられる人びと。そんな状況を、MSFは断じて受け入れないという意思表示です。声は時に、攻撃的で怒りに満ちたものと受け止められます。しかしそれは、理不尽に命を落としていく人びとを目の当たりにしたMSFのスタッフの、やりきれない怒りの声です。上がるべくして上がった声であり、誰もが聞くべき声なのです。

私がこれまでの派遣経験で、「まさにMSFの真骨頂」と実感したのは、2011年、西アフリカのコートジボワールでの広報活動です。選挙後の影響力争いで地域住民の間に暴力事件が多発し、MSFは手斧や銃で重傷を負った患者に外科治療を提供していました。治療に当たっていた外科医は、患者一人一人の名前、何があったのか、どうして負傷したのか、すべて把握していました。回診の時には膝をついてしゃがみ、患者と同じ目線で話しかけました。症例として傷を診るのではなく、尊厳ある人として患者をケアしていたのです。病室には、対立する住民同士がわずか数メートル離れた病床にいましたが、そこには敵も味方もなく、すべてが平和に満ちていました。戦時下で守られるべき人道法が、病院という聖域の中で実現していました。

MSFは設立当初から、医療を提供すると同時に、患者一人一人に寄り添い、活動現場で目にした人びとが置かれた危機的状況を少しでも良くしたいという思いで声を上げ続けてきました。苦しみは、世の無関心により増大しますが、患者さんに光をあて、より多くの人に声を届けることで、時として状況を改善することができます。声を上げることで、困難な状況にある人びとが、少なからず人間らしさを取り戻すことができるのです。

photo© MSF

インターナショナル広報コーディネーター
ジャン・マーク・ジェイコブス

2005年にMSFに入団。ベルギー事務局で広報職員として勤務。その後、イギリス事務局でプレス・オフィサーを務め、2005年のカシミール地方の地震、2010年のパキスタンの洪水やハイチ地震で緊急広報アドバイザーを担う。南スーダンでの副統括責任者、シエラレオネでの母子医療病院経営を経て、エボラ出血熱の流行やシリア内戦による人道危機でも重要な広報活動に従事。プログラム運営を担う統括本部の一つであるブリュッセルのオペレーション・センターの広報部長を経て、現職。

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