Special Interviews

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難民からMSFスタッフとなったハイダル・アルワシュ医師。MSFの活動で治療したシリア人の少女と= 2013年撮影 © Ton Koene

人に寄り添い、苦しみを和らげる

1991年の春、イラクでは前年に勃発した湾岸戦争でフセイン大統領(当時)率いるイラク軍が敗戦し、フセインに反対する人びとが蜂起したことを受けて、政府が市民を弾圧し始めたのです。私はイランとの国境から40キロほどのイラクの町で病院の医長をしていました。ある日、戦車がやってきて、ところかまわず攻撃を始めたのです。家族を連れ、町の人と共に国境を越えました。そして、難民となったのです。

皆、私が医師だと知っていたので、難民キャンプでは私のテントの前に10人も15人も、具合の悪い患者が列を作りました。でも、薬もなければ治療できる道具もない。混乱状況でした。その時、国境なき医師団(MSF)がキャンプへやってきたのです。2週間でテント病院が作られ、医療に必要なものがそろい、夢のようでした。

ある日キャンプの人と、薬や道具がそろい治療できることがありがたい、と話していると、同じ町から避難した高校の校長が言いました。ありがたいのは薬が持ち込まれたことじゃない。何もないこんな遠い地に彼ら(MSF)が来てくれたこと。われわれを見つけ、語りかけてくれる。自分たちは孤独に死んでいくわけじゃないんだ、と。その時、「人道」というのはこういうことで、それがいかに大切か、心から感じました。

その後、MSFで外科医として活動して30年。難民だった自分が援助に携わる側になっても、患者さんから学びがあります。ヨルダンの活動では、紛争が続く中東各地から患者を受け入れ治療を行っていましたが、ある時、負傷したシリア人の女の子を治療しました。家族は誰も国境を越えることを許されず、4週間もたった1人でした。チームは少女の心を和らげることができず苦心していましたが、助けてくれたのは、同じシリア人の10代の患者さんでした。彼女は少女よりもっと重傷で、体の大きな部分を失いながら、故郷の言葉で話しかけました。自分が困難な時に、少女に寄り添い、力となり、喜びを与えたのです。

50年、MSFは人びとに寄り添い、人びとが必要とする援助を届けてきました。それこそが、「人道」という感覚です。紛争でも難民キャンプでも、大人でも子どもでも、必要な援助を届ける。今、世界はますます複雑になっていますが、これからの援助も常にそのルーツに立ち返ることだと思います。


photo© Ton Koene

外科医/外科アドバイザー
ハイダル・アルワシュ

湾岸戦争によりイラクから逃れ、イランの難民キャンプでMSFと出会う。その後ニュージーランドへ渡り、外科医としてMSFの活動に参加。リベリア、ナイジェリア、パキスタン、ヨルダンなどで活動。2017年よりMSFドイツ医療ユニットにて外科アドバイザーを務めている。

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