Special Interviews

photo

中央アフリカ共和国の活動で、現地スタッフにトレーニングをするアサニ美里助産師 =2009 年撮影 © MSF

次は絶対に助けたい 思いをつなぎ18年

これまでの活動で、特に国境なき医師団(MSF)らしさを感じるのは、2004年、コンゴ民主共和国への派遣です。ブニアという場所で部族間の争いが数カ月続き、ものすごい数の人が亡くなりました。私にとって2回目の活動で、こういう状況に慣れているわけでもなく緊張していました。

MSFが2003年に活動を開始した時は、町中がひっくり返っていて、現地の病院も機能していませんでした。私が到着した時は少し落ち着きを取り戻していましたが、多くの人が国内避難民キャンプで暮らしていました。病院は片方の民族が住む地域にあったので、MSFは両方の民族に医療を提供できるよう、国内避難民キャンプの隣に病院を作り、誰でも来られるようにしました。民族に関係なく、負傷でも栄養失調でも、とにかくどんな患者さんでも受け入れました。本当に何もかもが必要な状態の中、緊急に必要とされるものを提供する。まさにMSFらしい援助活動だったと思います。

2007年に赴任したダルフール難民キャンプも、MSFがやらなければ誰がやる?という状況でした。砂漠の中にぽつんとあるキャンプで、クリニックを作っても医療関係の免許を持っている人がほとんどいない。キャンプで暮らしている人にやり方を教えて、看護助手のような仕事をしてもらいました。そこにいる人、そこにあるものを使って援助をするしかない、という状況で、できる限りの援助をしました。

現在MSFでは、このプロジェクトは小児、これは成人の外科、など、対象を限った援助活動も多くある一方、紛争下の状況で治療対象を絞ることは難しいのが現実です。時代は変わっても、必要とされるものを、緊急性を持って提供する、それがMSFの本質だと思います。

これまで18年間、単純に、救える命を救いたい、という思いで活動を続けてきました。コーディネーター職も経験し、資金と人について考えるようになりました。活動はお金と人がいないと成り立たない。どんなに助けたくても、それが集まらなければできません。そのためには、そこで何が起こっているのかを知ってもらうこと、伝えることが重要です。思い出すのは、患者さんが手遅れの状態でやってきて助けられなかったときのこと。次は絶対に助けたい、その思いで活動を続けています。

photo© MSF

助産師/コーディネーター
アサニ 美里

2003年よりMSFの活動に参加。これまで、ブルンジ、コンゴ民主共和国、チャド、ニジェール、スーダン、中央アフリカ共和国など、18年にわたり140カ月以上を派遣地で過ごす。医療チームやプロジェクトをまとめるコーディネーター職も担う。

TOPに戻る