海外派遣スタッフの声

2年前と同じ現地スタッフを指導し、成長を実感:伊藤 まり子

ポジション
産婦人科医
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
派遣期間
2017年4月~2017年6月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

2016年にナイジェリアの活動に参加しました。 2017年もチャンスがあれば行きたいと思っていました。年が明けてから病院側と相談して時期を決めました。

派遣までの間、どのように過ごしましたか?どのような準備をしましたか?

病院に勤務していました。MSFから送られて来た現地のレポートを読んで、病院の状況がどのように変わっているかを確認しました。

日本食はどこでも人気のため、巻き寿司が作れるように、のり、粉状のすし酢、醤油やわさびなどの日本食を持って行きました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか?どのような経験が役に立ちましたか?

2015年に同じ病院で働いていたので、どのような症例が来るのか想像がつきました。

今回参加した海外派遣はどのようなプロジェクトですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

一緒に働いた現地の産婦人科医たちと 一緒に働いた現地の産婦人科医たちと

2014年に開院した、アフガニスタンの首都カブール西部にある産科病院です。患者数は徐々に増えていき、分娩数も週に290~330まで増えていました。つまり1日に40~50件の分娩があります。異常分娩は約20%、帝王切開率は3~5%と、日本と比べるとずいぶん低めでした。

チームは医療チームリーダー、プロジェクト・コーディネーター、看護師長、助産師、助産師トレーナー、ロジスティシャン、アドミニストレーター、麻酔科医と手術室看護師がいました。

2015年に働いていたときは、現地の産婦人科医師は7人で、昼間は2人、夜は1人の2交代制でしたが、現在は10人に増えていました。平日の昼間はスーパーバイザーが1人、ほかに2人医師がいます。夜は2人体制になりました。分娩室担当と病棟担当に分かれ、以前よりは余裕がある勤務になっていました。

主な症例は弛緩(しかん)出血、妊娠高血圧症候群、臍帯(さいたい)脱出、子宮破裂、胎盤早期剥離 、胎位異常(横位、顔位など)、胎児奇形、自然流産などです。

ここでは日本とは違い、前回帝王切開、骨盤位、双胎妊娠でも、問題がなければなるべく経膣分娩としていました。

分娩数の増加に伴い、陣痛室が満床のときなどは、医療の質を落とさないために正常経過の妊婦さんは周辺の病院に送ることもありました。

私の仕事は現地の産婦人科医師の指導です。一緒に仕事をしていると、2年前より技術的に成長していることを感じました。問題のない帝王切開は任せていましたが、時々は手術室から呼ばれることもありました。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

分娩室は2年前よりベッドが1床増えた 分娩室は2年前よりベッドが1床増えた

朝7時15分に宿舎を出発、7時45分から全体ミーティング。それから病棟の回診を行いました。その後は入院病棟、陣痛室、分娩室にいて、患者さんの診察、分娩方針の相談、分娩室で異常分娩の介助、産後出血の対応などしていました。

必要に応じて帝王切開を決定し、手術室で執刀、助手などしていました。分娩が多いため、陣痛室にいる患者の分娩進行をチェックし、時には分娩室で正常分娩を介助することもありました。

昼に宿舎に戻り昼食、午後に病院へ戻り5時には帰宅します。宿舎から病院までは500mほどで、治安が許せば外を出歩けました。病院からの帰りに市場(バザール)に寄って野菜、果物、お菓子などを買うこともありました。

木曜日、金曜日がお休みです。朝に回診に行き、そのあとは読書やインターネット、料理などをして過ごしました。仲間とバザールに行き、買い物も楽しみました。24時間携帯電話を持っていて、医師からの相談には応じ、必要なら病院に行きました。医師が増えたこともあり、コールの回数は2年前と比べて減りました。

現地での住居環境について教えてください。

大きな宿舎に住んでいました。それぞれに個室が与えられていました。トイレ、シャワーは共同でしたが、お湯が出るシャワーが使えました。平日はコックが食事を準備してくれましたが、休日はチームの誰かが料理を作ってくれました。金曜日の夜はバーベキューをすることがよくありました。

キッチンは整備されていて、オーブン、炊飯器もありました。最後には巻き寿司を作り、好評でした。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

手術室チームの看護師、助産師、現地医師 手術室チームの看護師、助産師、現地医師

2015年に働いていた時と同じスタッフがまだ働いており、病院に戻った時は再会を喜んで抱きしめてくれました。

また助産婦も以前より人数が増え、忙しい中でもきちんと業務をこなしていました。分娩室でも、分娩介助、ベビーの計測、胎盤の娩出、会陰部の縫合、記録まで、助産師がほとんど1人で行っていました。異常のある時はすぐに助けを呼び、ほかの助産婦もすぐ反応して駆けつけていました。

問題のない帝王切開は任せることが多く、その代わりに陣痛室、分娩室にいて異常を早く発見できるように努めました。また日本ではなかなかできない骨盤位分娩、双胎分娩の経膣分娩も経験しました。

カンガルーケア室の3つ子ちゃん カンガルーケア室の3つ子ちゃん

ある時、品胎妊娠の経産婦が子宮口全開で入院しました。赤ちゃんは3人とも骨盤位でした。ドイツ人の助産師と共に分娩に立会い、2.6kg、1.7kg、1.7kgの男の子3人を経膣分娩しました。下の小さな2人は数日小児科入院となりましたが、その後は、お母さんと赤ちゃんが一緒に過ごすカンガルーケア室で過ごしていました。

アフガニスタンはイスラム教国のため、男の子を欲しがる傾向があり、すでに数人子どもがいて複数回の帝王切開をしている患者さんに、母体への影響を考えて避妊手術を勧めても、男の子がいない場合、または1人だけ、という場合は避妊手術を拒否されることがありました。

手術の場合は必ず男性親族の同意が必要であり、前回の出産で帝王切開だったなど、リスクのある患者さんの場合は必要な時に迅速に手術ができるように、入院時に男性親族から手術同意書のサインをもらっておきました。

活当地は、ハザラという民族が多く住む地域で、日本人と似た顔つきなので、親しみを感じました。スタッフの1人は私のことを「ジャパニーズ・ハザラ」と呼んでいました。

今後の展望は?

2018年も是非とも行きたいです。体力維持に努めたいです。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

日本では「安心、安全なお産」が当たり前、のように言われていますが、実際には途上国では多くの妊婦さんが亡くなっています。日本の狭い社会の中であなたの経験を終わらせないで、一歩踏み出して 現実を見てください。

MSF派遣履歴

派遣期間
2016年5月~2016年7月
派遣国
ナイジェリア
活動地域
ジガワ州ジャフン
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2015年6月~2015年8月
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2015年2月
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2012年5月~2012年7月
派遣国
パキスタン
活動地域
ペシャワール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2010年9月~2011年1月
派遣国
パキスタン
活動地域
ティムルガラ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年9月~2009年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アウェイル
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年1月~2009年3月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2007年11月~2007年12月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2005年4月~2005年6月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年8月~2005年2月
派遣国
ウガンダ
活動地域
パデール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年4月~2004年6月
派遣国
パキスタン
活動地域
チャマン
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年7月~2003年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アクエム
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年1月~2003年6月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医