海外派遣スタッフの声

知識と技術を役立たせ、視野を広げられる活動:伊藤 まり子

ポジション
産婦人科医
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
派遣期間
2015年6月~2015年8月

国境なき医師団(MSF)の海外派遣に再び参加しようと思ったのはなぜですか?また、今回の派遣を考えたタイミングはいつですか?

2012年のパキスタン派遣後、日本の病院に勤務していました。ウェブサイトでMSFの活動を見るたびに活動地が恋しくなり、1年くらい前から病院側と交渉しました。そして派遣に対し理解が得られ、参加にいたりました。

妊娠、出産は安心、安全が当たり前のように思われている日本で働いていると、毎日800人の女性が妊娠、出産関連で死亡している(※)という現実を忘れてしまいそうになります。命懸けで妊娠、出産をしている妊婦の手助けをしたい、という思いで参加しました。

  • 2014年、世界保健機関(WHO)の報告

派遣までの間、どのように過ごしましたか? どのような準備をしましたか?

病院に勤務し、外来、手術予定などを調整しました。新しくなった、MSFの産婦人科治療のガイドライン「Essential obstetric and newborn care」を読み直しました。

過去の派遣経験は、今回の活動にどのように活かせましたか? どのような経験が役に立ちましたか?

2003年からMSFで働きはじめ、いろいろな国でさまざまな症例をみてきました。日本では教科書にのみに書かれていて実際にみたこともない症例を診ることができました。過去の症例を思い出しつつ対処しました。

以前、パキスタンの活動に参加したので、イスラム教の人たちの考え方はある程度は理解しているつもりなので、イスラム教圏で働くことに抵抗はありませんでした。今回、アフガニスタンに到着したときはイスラム教の断食月であるラマダンの時期で不便なこともありましたが、彼らにとっては大切な時期なので尊重するように心がけました。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

一緒に働いた手術室スタッフ、麻酔科医と 一緒に働いた手術室スタッフ、麻酔科医と

アフガニスタンの首都カブールにMSFが2014年11月に開院した産科病院での活動です。病院には、陣痛室、分娩室、産科病棟、手術室、新生児病棟があります。

医療費が無償、質の高い医療を提供しているという評判を得て、開院してから患者数は順調に増加していました。2015年7月には、1ヵ月の分娩数が約900件にも達し、そのうち帝王切開が約40件でした。

海外派遣スタッフはプロジェクト・コーディネーター、アドミニストレーター、ロジスティシャン、 小児科医師、小児科看護師、看護師長、 手術室看護師、助産師、麻酔科医師、産婦人科医師です。

現地のスタッフは産婦人科医師 7人、小児科医師4人、麻酔看護師4人、助産師33人、手術室看護師9人、小児科看護師14人、その他警備員、ドライバーなど多数です。それぞれ日勤、夜勤の2交代制で働いていました。

8つのベッドがある陣痛室はいつも満床 8つのベッドがある陣痛室はいつも満床

入院してくる患者の大多数は分娩目的です。1日に約30件の分娩があるため、陣痛室の8床のベッドもすぐにいっぱいになります。そのため本格的な陣痛がくるまでは自宅待機、または病院周囲を散歩してもらったりしていました。

分娩室には5台の分娩台があります。入院後すぐに分娩室に直行して分娩になる患者さんもいました。分娩台を有効に使うために、患者さんにはぎりぎりまで陣痛室にいてもらうようにしていました。分娩後の病棟のベッドは30床ですが、正常分娩後は6時間で退院、帝王切開でも3日後に退院していきました。

流産、早産、高血圧合併の妊婦、胎児奇形の患者もいました。病院には小型の超音波があり、診断に役立っていました。

現地の産婦人科医師は各勤務帯に1~2人働いていて、私は彼女たちの指導が主な仕事でした。一緒に回診、手術、患者の方針を話し合ったりしました。現地の医師たちは基本的な技術は十分に持っています。ただ、合併症などがある場合には助言を行ったり、手術で技術的な指導を行いました。

夜間も電話相談に応じ、必要ならば病院に行きました。陣痛室、分娩室、手術室を行ったり来たりで忙しい毎日でしたが、いろいろな患者を診ることができ刺激的でした。

派遣先ではどんな勤務スケジュールでしたか?また、勤務外の時間はどのように過ごしましたか?

帝王切開の準備をする筆者 帝王切開の準備をする筆者

朝7時15分に宿舎を出発します。車で5分弱の所に病院があります。病棟をチェックし、その後は朝のミーティングに参加。午前8時頃より病棟の回診、その後病棟の患者や入院してくる患者の診察、手術などしました。

12時に昼食のため1時間だけ宿舎に戻ります。その後病院に戻り、手術がないときは午後5時に宿舎に戻りました。私は24時間オンコールのため、真夜中でも必要があれば病院に行くことはありました。夜に手術をしたときなどは、翌朝ゆっくり病院へ行ったり、午後は早めに戻って部屋で眠ったりして、体を休めました。

助産師は正常分娩、骨盤位分娩、双胎分娩、VBAC(前回帝王切開後の経膣分娩)、吸引分娩、会陰切開、縫合もしてくれます。日本では最近行っていない骨盤位分娩を、久しぶりに介助させてもらいました。

イスラム教のため、木、金曜日がお休みです。私はずっとオンコールでお休みの日でも必要があれば病院に行きました。何もないときはゆっくり起床し、本を読んだり、料理をしたり、インターネットをしていました。治安が許せば数人で近所に買い物にも行けました。1時間くらいの外出ですが、わずかな自由を満喫し、スカーフ、スパイスなどを買いました。

カブール市内ではときどき爆発事件などもありましたが、周辺の治安は比較的安定していました。

現地での住居環境についておしえてください。

大きな宿舎に住んでいました。それぞれ個室を与えられ、トイレ、ホットシャワーは共同でした。平日は現地の担当スタッフが料理、洗濯、掃除をしてくれます。ときどきでてくるアフガン料理もおいしく食べました。各食事前には、警備員が焼きたてのパンを買ってきてくれました。

キッチンには電子レンジ、オーブン、炊飯器、ミキサーなどがあり、料理に不便を感じませんでした。停電になることもありますが、すぐに発電機が回りました。インターネットは時々、通じないこともありました。庭はありませんが、屋上に花の鉢植えがいくつかあり、日光浴をしたり、週末にはバーベキューを楽しむこともありました。

活動中、印象に残っていることを教えてください。

男性優位社会で、妊婦は男の子を産むことを求められています。3回目の帝王切開で第3子もまた女の子と知り泣き崩れていた患者さんがいました。分娩室で産まれた赤ちゃんが女の子とわかると、「この子はいらない」と言う患者さんもいました。女の子というだけで産まれながらにして差別を受ける現実、性別にかかわらず赤ちゃんの誕生を素直によろこべない現実がありました。この女の子が大きくなる頃には、彼女にとって生きやすい世の中になっていてほしい、と願いました。

また、男性親族の許可がなければ手術ができないので、男性親族の病院到着を待たなければならないときもありました。緊急のときは電話で了承を得ていました。帝王切開のときに、卵管結さつ術(不妊手術)を患者が望んでも、夫がまだ男の子が欲しいと了承してもらえなかったこともあります。DV(家庭内暴力)で手足にアザをつくっている患者さんもいました。

活動地域はハザラ人が多く住んでいる地域ですが、彼らは日本人とよく似た顔つきで、海外に来ていることを忘れることもありました。

現地では、女性が多くの子どもを産むことがよいとされているため、毎日たくさんの妊婦がやってきて分娩していきます。重症例では帝王切開になることもありますが、なるべく母体に負担の少ない経膣分娩を勧めています。資源が限られた現場でも、できる限り最良の医療介入をすれば安全に経膣分娩が可能であると思いました。

今後の展望は?

1年に1回はMSFの派遣活動に行きたいと希望を病院側にだしています。体力維持、語学力維持に努めたいと思います。現地にいたときの日記を読み返してみると、忙しいながらも、たくさんの患者をみて、アフガンの女性たちの生き方をみて感じたことが書かれていました。あのわくわくするような日常にまた戻りたいと願っています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

人形を使って一次救命(BLS)トレーニングも行った 人形を使って一次救命(BLS)トレーニングも行った

日本の医療が標準的なものではありません。また、途上国だからといって中途半端な医療を提供することはありません。MSFで使用する標準の薬、機器、プロトコールがあり、海外派遣スタッフも自国で十分に経験を積んできた人たちで、先進国標準に近い医療を提供しようとしています。

医療は医療関係者だけのものではなく、それを支える人たちの協力が不可欠であることも実感できます。自分の知識、技術が役にたっていると感じることができます。また世界各地から来ている人と話すことにより、視野が広がります。日本の生活と比べて不便と感じることはあるかもしれませんが、これからの自分の生き方、考え方にプラスになります。

MSF派遣履歴

派遣期間
2015年2月
派遣国
アフガニスタン
活動地域
カブール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2012年5月~2012年7月
派遣国
パキスタン
活動地域
ペシャワール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2010年9月~2011年1月
派遣国
パキスタン
活動地域
ティムルガラ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年9月~2009年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アウェイル
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2009年1月~2009年3月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2007年11月~2007年12月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2005年4月~2005年6月
派遣国
リベリア
活動地域
モンロビア
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年8月~2005年2月
派遣国
ウガンダ
活動地域
パデール
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2004年4月~2004年6月
派遣国
パキスタン
活動地域
チャマン
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年7月~2003年12月
派遣国
スーダン
活動地域
アクエム
ポジション
産婦人科医
派遣期間
2003年1月~2003年6月
派遣国
スリランカ
活動地域
ポイント・ペドロ
ポジション
産婦人科医

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