海外派遣スタッフの声

サイクロンから1ヵ月、継続的な援助を:吉田ゆかり

ポジション
正看護師
派遣国
ミャンマー
活動地域
サイクロン後の援助として
派遣期間
2008年6月~2008年9月

なぜMSFの海外派遣に参加したのですか?

ずっと以前から海外での医療援助がしたくていろいろさがしたところ、国境なき医師団のスタンスや、向かってゆく姿勢に共感し、自分に合うとおもったので。

今までどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

現地の人たちが被災後も力強く助け合って生きていく姿を
見たと、吉田さんは話す。

今回の派遣は3回目で、この仕事をするまでは、長いこと看護師として、臨床で長くつとめ、それからは訪問看護の仕事をしたりしていました。 同じ看護といっても全く違う環境、病気であり、接する人々も考え方や表現の仕方も違い、今まで培ってきたものが即、生かせるというものではありませんでした。しかし、スタッフと共に難しい、初めてのことをしてゆくという面では、教育も含め、いままでの臨床で常に情報を集め、それを分析し計画をたて実行に移し、またそれを評価し、次へのステップにつなげるという過程を踏む経験が不可欠なものでした。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

サイクロン発生から1ヶ月たったところで、物資援助と緊急医療援助がやや落ち着いたところで、もう少し踏み入った継続的医療援助を形づくりながら、コレラや流行性の病気の発生予防や監視、栄養失調の治療と予防を行うことです。またミャンマーの医療システムの回復への援助なども行うものでした。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

今回は短いミッションでしたので、休暇はとりませんでした。週末は始めの頃はバタバタと忙しく、オフィスと住居が同室でしたので、仕事をしていることが多かったです。少しおちついてからは近くの木の民家に住むようになり、料理もできるようになり、みんなで数時間かけてのんびりと材料の準備からはじめ食事を楽しくつくったりしました。海辺の散歩や、のんびりとした読書に、電気の供給が足りていればDVDをみんなで見たものです。

現地での住居環境についておしえてください。

サイクロン後ということでどれほど大変な住居かと覚悟していましたが、オフィスは現地の女性団体のコンクリートの建物を借りており、その2階の広い部屋に半分オフィスとして残りを5人で雑魚寝の暮らしでした。トイレの外がバケツシャワーの場所で、そのすみにカップやポットがならぶ環境でした。プライバシーの全くない生活は意外ときついものでした。その後大きな木の家に越して女性は2階の広い空間で雑魚寝、男性は1階ということになり、広い台所空間も加わって大変落ち着いた生活になりました。もちろん出先の村では船で寝たり、寺院での寝泊りであったりして激しい雨季での旅はつらいこともありましたが、自分達の家に帰るとほっとしたものです。

良かったこと・辛かったこと

「とにかく考えすぎずに思い切って、精一杯やってみること
をおすすめします」

良かったことは、現地の人たちが災難のあとでも力強く助け合って力強く生きて行く姿を見られたこと。これは私たちが到着する前、サイクロンの直後から献身的に働いていたミャンマーのオランダチームの活動もふくめてです。もともとかなりベーシックな生活をしていた住民の生き方は、大きな災害の後でも怒りや絶望に満ちたものではなく、あるがままを受け容れようと生き、物にあふれた生活に慣れた現代生活にない幸せを見ることができた気がします。辛かったこととして小さなことはいろいろとありますが、サイクロン直後から1ヶ月経ってからの到着でしたので、一番の辛いところはミャンマースタッフが負ってくれたと思います。

派遣期間を終えて帰国後は?

前回のエチオピアから戻った後もあまり日本に居られなかったので、ゆっくり家族と過ごし、友人と会い、少しだけ仕事もし、いい時間を過ごしています。今後に向けての勉強も少しずつしています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

とにかくいろいろと考えすぎずに思い切って、精一杯やってみることをおすすめします。辛い中でも学ぶもの、得るものが多いと思います。

MSF派遣履歴

派遣期間
2004年4月~2005年10月
派遣国・プログラム地域
ミャンマー
ポジション
看護師
派遣期間
2007年6月~2008年5月
派遣国・プログラム地域
エチオピア
ポジション
看護師

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