海外派遣スタッフの声

戦地での活動は24時間体制: 沢田さやか

ポジション
ロジスティシャン
派遣国
シリア
活動地域
派遣期間
2012年12月~2013年2月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

子供の頃から海外を舞台に活動したいという気持ちが強く、大学時代にはアメリカへ留学、就職も外資系企業に勤めて国内外を飛び回る仕事をしていました。

ラオスで教育支援活動を行っている父親の影響も受けて人道支援活動に関心が高まったこと、また30歳を過ぎた頃からもっと直接的に社会的意義が実感できる仕事に携わりたいという思いが募ったこともあり、2007年に本社の合併を機に脱サラし、MSFに参加することを決めました。

元々フットワークは人一倍軽い方だと思いますが、自然災害時の緊急援助活動など即座にアクションを起こすことが求められるMSFの活動は、自分の性分にも合っていると思っています。

今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

8年半ほど外資系学術出版業界に身を置き、主に新規開拓営業やマーケティング、日本事務所の立ち上げに携わりました。脱サラする前の3年半ほどは日本事務所の運営を任されました。小規模な事務所でしたが、営業活動のほか人事や予算管理、顧客サポート、マーケティング等すべてを統括する立場にありました。

MSFのロジスティシャンは、医療チームと連携しながら全体を鳥瞰し、複数の仕事を同時進行でこなしていかなければならないことが多いため、とても忙しい立場です。こうした"マルチタスク・スキル"は、会社員時代のマネッジメント経験が役に立っていると思います。

また、外国人スタッフは活動地で現地スタッフを監督する立場にあります。通常、ロジスティックチームはスタッフ数が最も多く、人事管理だけでも大変です。組織にとって活動の原動力そのものである人材の管理は、営利・非営利に関わらずとても重要なものだと認識しています。この点についても、前職での人事の経験がチーム・マネジメントに少しは活かせているのではと思います(まだまだ勉強が必要な事も多いですが)。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?

内戦が泥沼化し、医療体制が崩壊しているシリア北部のアレッポ地域において、戦争で負傷した人びとを治療する病院をMSFが運営しており、私はそこにロジスティシャンとして派遣されました。

病院は学校の校舎を改装したものです。赴任時期は初冬だったので、まずは防寒対策に追われました。外気にむき出しになった水道管に断熱材を巻いたり、プラスチックシート窓(空爆の振動による破損等に備えて、病院や外国人スタッフの居住する家のガラス窓は全てプラスチックシートに交換されています)を2層にしたりしました。

都市電力は全くあてにならないので、病院では24時間発電機を使用していました。しかし、寒さが厳しい日などは電力不足に陥ってしまい、暫くはその対応に追われました。

発電機をはじめとするさまざまな機材や医療機器、車両などのメンテナンス、水質管理、燃料や酸素ボンベの調達、建設時の現場監督、そしてシリア側に滞在する外国人スタッフの食料調達(※)もフィールドロジスティシャンの大切な任務です。

※24時間体制でストレスの多い環境にある外国人スタッフにとって、唯一の楽しみはチョコレートを食べる事だったので、私たちの間では「ストレス解消のためのチョコレート療法」と呼んでいました。

物資調達に関しては、建築用資材以外は基本すべてシリア国外で調達する必要がありました。しかし、輸送のトラックが国境を越えてシリアへ入国するための許可が得られません。そのため、物資の輸送時は、税関手続きだけでなく、シリア側からも毎回トラックを手配する必要がありました。通常、数時間程度で済むことが、モノによっては丸1日を国境付近で待機しなければならない時もありました。やはり、戦時下においては全てがスムーズには進みません。

私が派遣された頃から状況が次第に悪化していきました。病院や外国人スタッフの家の近くにミサイルが着弾したこともあり、外国人チームは半減されました。私も到着から3週間後には、国外に一時撤退することを余儀なくされました。

その後は、国外拠点をベースに、状況に応じて週1~2日ほど日帰りでシリア側に通いました。病院に行けない日などは、シリア側の国境付近にある避難民キャンプでの日用品物資の配給などを手伝いました。

避難民キャンプにサッカーボールや縄跳びを持っていって、子どもたちと何度か一緒に遊びました。その時の子供たちの嬉しそうな笑顔は今でも忘れません。今でも私の活動時と同じ状況に置かれているであろう子供たちのことを思うと胸が痛みます。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

シリア国内ではセキュリティ上、自由に移動することが許されませんでした。そもそも決まった週末や休みなどはなく、外国人スタッフは全員が24時間体制で仕事をしていたので、少しでも時間があれば、皆寝ていたように思います。

それ以外は同僚とおしゃべりしたり、夜は宿舎で映画を観たりしました。国外に撤退してからは、近郊の大きな街にでかけて外食したり、ハマム(トルコ風呂)を楽しんだり。また、元々料理をするのも大好きなので、日本から送ってもらった食材などを使った和食やお菓子作りを同僚たちと楽しみました。

現地での住居環境についておしえてください。

シリア側で外国人スタッフが住んでいた家は、基本的にプライベートな居室はなく、男女別で何人かと部屋を共有して寝泊まりしていました。食事は現地スタッフが美味しいシリア料理を作ってくれるのですが、お昼に昼食・夕食まとめて作ってしまうので、夕食は冷えきった食事ばかりでした。家に電気はなく、暗い部屋でヘッドランプやロウソクをつけて食べていました。

そんな不便はありましたが、私がいた頃のチームメンバーは皆とても明るく、ジョーク好きで、いつも良く笑いながら食事していたので、辛いという想い出は全くなかったですね。幸運にも薪の温水シャワーが私の赴任直前に設置されていて、氷点下の寒い日でも、夜には熱いシャワーを浴びられることが何よりの楽しみでした。

良かったこと・辛かったこと

シリアに出向いて現地の人達と触れ合い、共に活動し、友情関係を築けたことで、シリアという国と現在そこで起こっている出来事がより一層身近に感じるようになりました。

故郷を離れることを余儀なくされ、家族や友人を失い、日々厳しい状況にありながらも前向きに懸命に仕事をするシリア人スタッフたちと、そうした人たちと共に寝食を忘れて活動する外国人チームのメンバーたち。そうした素晴らしい多くの仲間に出会えた事が自分にとって何よりの宝です。

ただ、チームとのそうした連帯意識が出来あがりつつあった頃に治安が悪化し、現地スタッフを残して外国人スタッフが一時撤退せざるを得なかったことはとても辛い経験でした。MSFの安全基準に則った判断とはいえ、シリアでの活動に参加するメンバーは皆それなりのリスクを共有していただけに、一時撤退で心残りを感じたのは私だけではなかったようです。

派遣期間を終えて帰国後は?

毎日空爆音が聞こえる環境から平穏な日本に戻りましたが、帰国後暫くは心の一部がまだ活動地に残っているような感覚が続き、数週間はボーっとしていました。どんな状況にもそれなりに柔軟に対応できるという自信はありましたが、予想以上に疲れていたみたいです。

現在は、MSFの活動と同時進行で昨年(2012年)に開業した農家民宿で、お客様の対応と畑仕事に毎日忙しくしています。シーズンが終る冬期には再び宿を休業し、次の活動に参加したいと考えています。シリアでの活動が継続しているようであれば、ぜひ再び戻りたいとも考えています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

NGO活動に参加することが一般的とは言えない日本では、MSF活動に参加することに再就職等さまざまなリスクを感じてられる方も多いかもしれません。しかし、迷いがあればまずは1度挑戦してみてください。百聞は一見にしかずで、例え短期であろうと実際に現場を経験し、一生懸命取り組めば、進むべき道は自ずと現れてくると思います。

MSF派遣履歴

派遣期間
2011年9月~2011年10月
派遣国
エチオピア
プログラム地域
ベニシャングル
ポジション
ロジスティシャン
派遣期間
2011年3月~2011年5月
派遣国
日本
プログラム地域
宮城県南三陸
ポジション
活動責任者補佐(東日本大震災の緊急援助)
派遣期間
2011年1月~2011年2月
派遣国
スリランカ
プログラム地域
バティカロア
ポジション
ロジスティシャン(洪水被害の緊急援助)
派遣期間
2010年1月~2010年年6月
派遣国
マラウイ
プログラム地域
チラズル
ポジション
アシスタント・ロジスティシャン(HIV/エイズ、結核プログラム)

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