海外派遣スタッフの声

田老診療所で医療サポート: 鉄谷耕平

ポジション
内科医
派遣国
日本
活動地域
岩手県宮古市
派遣期間
2011年3月~4月

なぜ国境なき医師団(MSF)の今回の活動に参加したのですか?

もともとMSFスタッフであり、今回震災に際して少しでもお手伝いができれば、と派遣可能であることをMSFに伝えました。ただ、現業との兼ね合いから派遣可能期間がごく短期間であったのが申し訳ないことでした。

いままでどのような仕事をしていたのですか? また、どのような経験が今回の活動で活かせましたか?

現在は研究所でワクチン開発にかかわる仕事をしていて、今回は内科医としての派遣でしたから、現業とはあまり関係がありませんでした。ただし、幸いなことに外勤として病院に週1度勤める機会をいただいていたおかげで、臨床医としての派遣に結びついた点は、ありがたかったです。

今回参加したのはどのようなプログラムですか?また、具体的にどのような業務をしていたのですか?

岩手県宮古市田老地区の避難所に、市の田老診療所が仮設で置かれ、かなりダメージを受けながらも機能しています。そちらへの医療サポートでMSFが入り、MSF内科医としては、同時派遣となった内科の先生と私が2代目でした。震災亜急性期であり、さしあたって診療所業務を分担する形で始まりましたが、心理療法士ものちにMSFチームに加わり、新たに心理ケアのプロジェクトも始まりました。

診療所では、外来診療と、避難所の回診、そして少数ながら介護老人保健施設への往診も、診療所長の先生のご指示にもとづいて担当したほか、診療所のニーズに合わせて医薬品や医療機器のサポートの段取り補助を行いました。私のいた頃は田老にはほかにも、山口県の保健師チーム、青森県の歯科医の先生方も援助に来られていて、その方々との連携にも携わりました。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

ごく短期間の派遣であり、週末も診療所で待機し診療にあたっていました。

現地での住居環境についておしえてください。

現地到着当初は診療所の職員の方々と同様、避難所のお部屋にお邪魔してそちらに泊まり込んでいましたが、派遣期間の中ごろから、MSFが近隣に宿舎を手配し、そこから通勤する形に代わりました。ただ、日替わりで診療所に当直として泊まっていました。

良かったこと・辛かったこと

何はともあれ被災地現地でなにがしかのお手伝いができたことが、個人としてありがたいことです。もしも派遣に結びつかずに現住地で、被災地の状況を間接的に見聞きするばかりでしたら、居ても立ってもいられないような無力感が続いていただろうと思います。家人からも、身内から一人でも、たとえ短期でも現地で手伝いをする者がいたことで、無力感から少しでも救われたようだ、と言われました。

ただし、現在の職場でもワクチン開発の仕事は続いているのでその兼ね合いで、2週間弱の派遣期間であった点が申し訳なく辛いことです。診療所の皆さんも被災者であるような現場で、さまざまな方々のお話を伺って、被災地へのサポートが継続して必要だと頭でも心でもわかり、また診療所の方々と少しずつ仕事の“息が合う”ようになってきたころに引き上げましたから、なおさらです。

現業と被災地でのお手伝いと、いずれをとるか。それぞれの時期によっても優先度は変わるかもしれませんが、もうしばらくとどまることができたら……という思いは残ります。

派遣期間を終えてその後は?

現職にもどりました。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

遠方への派遣という性格上、ベースを置く場所(自国あるいは家のある場所)における生活の組み立てには、やはり注意が必要と思います。ベースを置く場所での生活にどのように、できるだけ無理のこないように区切りをつけて、“後顧の憂い”を少なくして派遣に結びつけるか。

今回私の場合は短期間で、幸い職場上司のサポートがあって年次休暇をまとめて使うことで対応できましたが、海外派遣の場合1ヵ月単位での不在となります。ご家族への負担も含めて、無理が重ならないように準備をお勧めします。

MSF派遣履歴

派遣期間
2009年4月~2009年6月
派遣国
リベリア・モンロビア、モンロビア
ポジション
内科医(医療チームリーダー)
派遣期間
2004年11月~2005年1月
派遣国
パレスチナ自治区・ヨルダン川西岸地区北部、ナブルス
ポジション
内科医
派遣期間
2004年3月~2004年6月
派遣国
ウガンダ・カタクィ県、アムリア
ポジション
内科医
派遣期間
2003年8月~2004年2月
派遣国
ミャンマー・モン州、ムドン
ポジション
内科医

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