海外派遣スタッフの声

スーダン南部で財務、人事、総務を管理:木村陽子

ポジション
人事・財務コーディネーター
派遣国
スーダン
活動地域
ジュバ
派遣期間
2007年2月~2008年2月

なぜ国境なき医師団(MSF)の海外派遣に参加したのですか?

NGOというと、ボランティア=無償奉仕というイメージが日本では未だに根強いのですが、私はMSFの派遣をひとつのワークスタイル、ライフスタイルだと思っています。無償奉仕のボランティアとしてではなく、職業として働き、学び、楽しんでいます。大きな家族のように、MSFをキーワードに世界中にネットワークが広がります。日本国内では、まだMSFのことがよく知られていないという印象を受けます。MSFには、答えのない人道援助という大きな課題について共に考え、行動できる仲間が大勢います。私は医療従事者ではありませんが、MSFではアドミニストレーター(財務・人事担当者)として医療活動を支えることができます。

プログラムを運営する5支部とその活動を支える14のパートナー支部が協力して、派遣スタッフの社会保障制度やトレーニングなど、海外派遣制度の向上を図っています。経験者がその後何度も派遣を継続できる環境づくりに目を向けることは、とても大切だと思います。この受け皿のおかげで、家族をつれて派遣を続けるケースも見かけます*。変わり行く現代社会の価値観やワークスタイル、ライフスタイルを受け入れ、対応していくこともMSFならではだと思います。

  • 家族同伴が認められる国や地域、ポジションには限りがあります。

今までどのような仕事をしていたのですか?どのような経験が海外派遣で活かせましたか?

お札を数えるのに数時間

MSFの派遣に行く前は、緊急医療支援を提供する民間企業に勤務していました。短期間ですが、MSFの日本支部でも働いていました。学生時代は途上国の開発経済を学び、海外留学やインターン、遠隔地への旅行をよくしていました。言葉や異文化など、MSFの派遣でベースとなる要素をこれらの経験を通して学んでいたと思います。専門的な知識やスキルも大切ですが、何より、コミュニケーション(ここでは語学力ではなく、お互いを理解し合うこと)やユーモアが派遣を楽しむ鍵だと思います。

今回参加した海外派遣はどのようなプログラムですか?どのような業務をしていたのですか?

スーダン南部のプログラムは私が派遣されていた2007年の間に大きな変化がありました。平和合意の後、スーダン南部を管轄する調整チームの拠点が、それまで置かれていたケニアのロキチョキオから現在のスーダン南部の中心都市であるジュバに移されました。NGOや国連機関の拠点も次々とジュバに移りました。

アクエムやベンティウなどスーダン南部で行っていたプログラムを全て終了させ、アウェイルで新しいプログラムを立ち上げ、髄膜炎と洪水の緊急対応も行うなど、とてもとても忙しい派遣でした。以下各プログラムの簡単な概要です。

  • ジュバ:現在のスーダン南部の中心都市。調整チームの拠点が置かれています。スーダン南部の全てのプログラムの調整管轄をしています。
  • ロキチョキオ(ケニア):以前の調整チームの拠点。ジュバに移転後はロジスティックの拠点がありましたが、2007年3月に閉鎖しました。
  • ナイロビ(ケニア):ジュバの国際空港とはまだ名ばかりで、ヨーロッパとの発着便がありません。今でもナイロビ経由で人と物資が運ばれてきます。
  • アクエム:プライマリーヘルスケア、母子健康、外科治療、結核、予防接種、緊急食糧援助など幅広く医療活動をしていました。過去にここで活動を行った日本人の方々は多くいると思います。2007年3月にプログラムを終了しました。
  • ベンティウ:元々はハルツーム(スーダンの首都)の調整チームが管轄していたプログラム。2000年から続いており、結核とカラアザール(内臓リーシュマニア症)、HIV/エイズ患者の治療をしていました。プログラムの管轄がジュバの調整チームに移動した後、2007年10月に終了しました。

その他にも、緊急対応プログラムがありました。

  • ワウ、ニャムレル:2007年2月から4月上旬まで、ウガンダ北部から南スーダンにかけて発生した髄膜炎の大規模な集団予防接種を行いました。
  • ポカラ:2007年8月下旬にエチオピア国境付近で洪水が発生し、多数の住民が家を失い、食料、水、衛生、医療などの機能が麻痺。直ちにMSFは被害状況の調査を行い、テント、毛布、石けん、バケツなどの食料以外の救援物資を大規模に配布しました。緊急対応であったため、数週間で活動を終了しました。
  • バハル・エル・ガザル州北部:南北分裂時の国境付近で部族間の衝突が発生し、国内避難民や負傷した住民への影響を調査するため、調査を行いました。
  • アウェイル:バハル・エル・ガザル州の州都です。2007年から調査を進め、2008年初めに正式に活動を開始しました。保健省が管轄する病院で、母子保健と産婦人科の医療レベルとスタッフの技術をサポートし、改善することが目的です。上述した部族間の衝突による被害者へいち早く対応できるよう、外科チームも一緒に活動していました(2008年2月時点)。

これらのプログラムの中で、私が担当していた仕事は主に3つに分けられます。

  • お金の管理
    要となるのが予算の立案から始まり、予算管理と分析です。お金の管理というと数字の計算を真っ先に連想しがちですが、活動の各部と全体を常に見ながら一つのプログラムを形作っていく、コンサルティングのような仕事だと思います。活動責任者を始め、医療コーディネーター、ロジスティック・コーディネーター、そしてフィールドのチームと話し合いながら、プログラムの予算やチーム構成を形作っていきます。プログラムのニーズや背景、変化をよく理解し、説明できなければなりません。その他にも、日々の経理、本部からフィールドへの送金、コスト分析と削減の提案などがあります。
  • 人の管理
    お金の管理と同様に重要なお仕事で、スタッフの雇用と解雇、フォローアップです。今回の派遣はとにかくプログラムの終了が多かったので、400人から500人程のスタッフを解雇しなければなりませんでした。正直、解雇の仕事は華やかではありません。その国の労働法をよく理解し、弁護士と二人三脚で解雇のスケジュールを実行していきます。忍耐力と根気の要る仕事です。一方、プログラムを開始する時には、ニーズや求められる経歴をチームと検討しながら雇用していきます。その後のスタッフのトレーニングや人事配置、コミュニケーションも大切な仕事です。MSFの活動を長年にわたって支え続けているのは、何より現地スタッフなのです。現地スタッフとして経験を積んだ後に日本やヨーロッパの支部を通じて派遣され、世界中で活躍するスタッフは大勢います。
  • 法務・総務
    お金と人の管理の他にも、アドミニストレーターはさまざまな業務を手際よくこなす必要があります。契約書(賃貸契約、雇用契約、弁護士など)の作成、税務、物価変動の調査、労働法を遵守した就業規則の見直し、給与管理、フライトの手配、他のNGOとのミーティングなど多岐に渡ります。

週末や休暇はどのように過ごしましたか?

近年は外国人人口が急速に増え、ナイル川沿いにはレストランやバーが増えてきています。週末はジュバで働くNGOや国連の人たちが集まってパーティーがあります。

ベンティウの病院にて

物価は日本並みに高く、外食はたまにしていました。ジュバの市場にあるものは、ほとんど周辺国のウガンダ、ケニア、コンゴ民主共和国から来ています。野菜や果物、衣類などほとんどが輸入に頼り、その上輸送コストが上乗せされ物価が著しく高いのです。

ほぼ週末の日課となっていたのが、路上市場で生地を買い、自分でデザインしたドレスに仕立ててもらうため、仕立て屋さんに通っていたことです。

外に娯楽の場所がないので、友人と集まりパーティーやディナーを楽しみました。

現地での住居環境についておしえてください。

ジュバの町は南部の中心都市とはいえ、大きな村のように生活はシンプルです。周りに高い建物やショッピングセンターのような娯楽は一切ありません。事務所の周りにはわらぶき屋根の民家が拡がっています。

1階が事務所で、2階はスタッフが寝泊りする宿舎でした。市が配給する電気や水道が度々止まるため、発電機と貯水は欠かせません。事務所と住居兼用でしたが、幸いスタッフ一人ひとりに個室が与えられました。オンとオフの切り替えをするため、事務所と居住空間は分けた方が良いと思いました。

良かったこと・辛かったこと

平和のなる木

良かったことは、たくさんあります。多くのプログラムを終了するという決して華やかではない活動を、しかも治安面でのリスクと常に隣り合わせの緊迫した状況の中、チームが一丸となって乗り越えたことです。面白い同僚や友人と出会ったこと。そして、MSFの派遣で毎回実感しますが、その国の人びとから大切なことをたくさん学んだことです。

辛かったというより大変だったことは、仕事の量が多かったことです。ほぼどの派遣でもアドミニストレーターの仕事量は多いのですが、今回の派遣は終了続き、同時に緊急対応プログラムもこなしていたので忙しかったです。

派遣期間を終えて帰国後は?

2008年2月末に派遣を終えて帰国しました。まだ寒さが残る日本を早々と去り、暖かくなるまで両親とニュージーランドを旅行していました。パレスチナ難民を対象とする援助プログラムの立ち上げのため、もうすぐベイルート入りする予定です。 (このアンケートの後、木村アドミニストレーターは2008年4月からレバノンに派遣されました)

ここ数年は移動が激しく、どこか暖かい所に自分の拠点を持ちたいとは思っています。

今後海外派遣を希望する方々に一言アドバイス

あまり意気込まずに、まずは一歩前へ進んでみては?背伸びしたり、肩に力を入れすぎてしまうと途中で息切れしてしまいます。ありのままの自分でいいと思います。誰にでも最初の一歩はあります。

MSF派遣履歴

派遣期間
2005年8月~2006年8月
派遣国・プログラム地域
スーダン・ハルツーム
ポジション
アドミニストレーション・コーディネーター

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