特集 シリア内戦10年 連載「それでも、未来を信じて」
第4話 リーダーが抱えるジレンマ
- 多くの犠牲者が出た市場への空爆後、オープンしたばかりの病院にも危機が迫るように。リーダーとして、村田が決断した選択とは──。
- 内戦下のシリアで国境なき医師団(MSF)の活動を指揮した村田慎二郎が、困難と挑戦に立ち向かった体験をつづる全8回の連載です。
更新日:2021年11月30日

「プロジェクトの閉鎖でも継続でも、シンジローが決めることなら、みんな従うと言っているよ。みんな、君を信頼しているから」
病院プロジェクトのコーディネーターから電話でこう告げられた時、私は(何てこと言ってくるんだ!)と胸の内で叫び、道端にしゃがみ込みました。リーダーとしての自分に課された責任の重大さに、押しつぶされそうになったのです。
近くの市場が政府軍によって空爆されて以来、私たちの病院の周りも砲撃を受けるようになりました。週に1回ほどロケット弾が飛んでくるのですが、ターゲットがこの病院なのか、それとも他の施設なのかは判然としません。スタッフのなかには、大きな爆発音や閃光、1キロ先でも伝わってくる衝撃を怖がる人もいました。危険が明らかに近づいている状況で、病院を継続するのか、あるいは病院を閉鎖して撤退すべきか──私は一刻も早い決断を迫られていました。
このまま続ければ、スタッフの身に深刻な結果をもたらすかもしれない。しかし撤退すれば、アレッポで増え続ける人道援助のニーズに応えられなくなり、救える命が救えなくなる。紛争のある地域で国境なき医師団のリーダーを務めるには、こういう選択をしなければならないのかと感じた瞬間でした。
悩みに悩みましたが、このジレンマから抜け出す道は、「第三の選択」にありました。欧州の事務局にいる軍事分析の専門家と話し合い、病院を防護壁で囲って安全強化を図ることにしたのです。

高さ4メートルの土のうを重ねて高い壁を作る大変な工事でしたが、地域の人びとの全面的な協力により、3週間後に無事完了。ただこの防護壁は、地上から来る砲撃に対するもので、空からの攻撃には効果がありません。そのリスクを説明し、医療活動を続ける意思があるかどうかをたずねるため、スタッフ一人ひとりと個別の面談をしました。
3割ぐらいの人はやめてしまうかもしれない……。そんな私の予想は見事に裏切られました。100人ほどいる現地スタッフと十数人の海外派遣スタッフが、一人残らず全員「続ける」と言ったのです。国籍や民族、宗教もさまざまでありながら、チームは国境なき医師団という旗のもと、“アレッポの苦境にある人びとへ医療・人道援助を届けたい”という思いで一致していました。昨年までの内戦下の8年間、この病院が続いてきたのは、この時共に乗り越えようとしてくれた彼らのおかげです。支えてくれた仲間には、本当に感謝の気持ちしかありません。(つづく)

村田慎二郎(むらた・しんじろう)
大学時代は政治家を夢見ていた。静岡大学卒業後、外資系IT企業に就職。営業マンとして仕事のスキルを身につけると、「世界で一番困難な状況にある人のために働きたい」と会社を辞め、MSFに応募。最初の派遣が決まるまでの1年半は、大の苦手だった英語の勉強をしつつ、日雇バイトで食いつなぐ。
南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。
シリアでは内戦ぼっ発の翌年2012年から2015年まで、延べ2年にわたり現地活動責任者を務める。この経験が大きな転機となり、米ハーバード大学大学院へ留学。2020年8月、人道援助への理解を日本社会でより広めるべく、日本人初のMSF日本事務局長に就任。1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。
