特集 シリア内戦10年 連載「それでも、未来を信じて」
第1話 “私たちの希望なのだから…”
- 内戦下のシリアで、援助を届けるために奔走した日本人がいました。いまは国境なき医師団(MSF)日本の事務局長となった村田慎二郎です。
- 激しい空爆で破壊されていく大都市アレッポ。被害があまりに大きく、援助活動の限界を感じていた村田は、ある患者の言葉に心を打たれます。困難と挑戦に立ち向かったシリアでの日々をつづる全8回の連載です。
6年ほど前、もうすぐシリアでの任期を終え、日本へ帰る日も間近というときのことです。いつもだったら任務終了で得られる達成感もなく、私は身も心も疲れ果てていました。
活動地のアレッポでは、政府軍による容赦ない空爆や砲撃が続いていました。人口密集地でも、雨あられのような爆弾が降り注ぎ、女性や子どもを含め多くの人が無残に殺されていきました。反体制派が統制する地域では、学校やマーケット、病院といった一般市民の生活インフラでさえ、攻撃の標的となったのです。
病院が爆撃されたら、救えるはずの命もますます救えなくなってしまいます。
私たちのプロジェクトは、診療件数や患者数などを見れば、目標に十分達していました。けれども国境なき医師団は、当時この地域で活動する唯一の国際的な医療・人道援助団体。戦時の窮状で膨れ上がる一方の医療ニーズからすれば、自分たちのやっていることは「大海の一滴」に過ぎないのではないか──。私は虚無感に襲われるあまり、10年続けてきたこの仕事を辞めようとさえ思っていました。
ところが帰国直前、あるシリア人の患者さんとの出会いが、私の心を大きく揺さぶります。
「たる爆弾」を被弾し、片脚に重傷を負ったその患者さんは、病室でベッドに横たわっていました。爆撃で妻と子どもも亡くしていました。ちょうど同い年ぐらいの男性だったからでしょうか。疲れていた私はあろうことか、人道援助には限界がある、などと彼に愚痴をこぼしてしまったのです。
すると男性はこう言いました。
「そんなこと言わないでくれ。君たちは私たちの希望なのだから」(“Don’t say that—you are our hope.”)
目が覚める思いでした。絶望の淵にあるはずの人に、逆に勇気づけられ、恥ずかしく感じただけではありません。戦争で自分の国の政府から攻撃され、国際社会からも見放されている人びとにとって、MSFの存在は“希望”になるのだと、初めて知らされたからです。
現地の活動責任者である私が気にしていたのは、「人口比に対する治療患者数」といった統計的な数字でした。でも、もう一歩深いところにも、MSFの活動には意義がある。彼がくれた言葉を何度も反すうしながら、成田空港に着く頃には、この仕事を続けていこうと固く心に決めていました。(つづく)
村田慎二郎(むらた・しんじろう)
大学時代は政治家を夢見ていた。静岡大学卒業後、外資系IT企業に就職。営業マンとして仕事のスキルを身につけると、「世界で一番困難な状況にある人のために働きたい」と会社を辞め、MSFに応募。最初の派遣が決まるまでの1年半は、大の苦手だった英語の勉強をしつつ、日雇バイトで食いつなぐ。
南スーダン、イエメン、イラクなどでロジスティシャンや活動責任者として10年ほどMSFの現場経験を積む。
シリアでは内戦ぼっ発の翌年2012年から2015年まで、延べ2年にわたり現地活動責任者を務める。この経験が大きな転機となり、米ハーバード大学大学院へ留学。2020年8月、人道援助への理解を日本社会でより広めるべく、日本人初のMSF日本事務局長に就任。1977年三重県生まれ。性格は粘り強く、逆境であればあるほど燃えるタイプ。