医師とジャーナリストが
沈黙をやぶる。
1971年 設立
沈黙は確かに人を殺し得ます。
ノーベル平和賞受賞
感染症、迅速な国際対応を。
エボラ出血熱
見放された命を救え。
地中海 捜索救助
病院を撃つな。
戦争にもルールを。
医療への攻撃
私たちは声を上げる。
メインメッセージ
私たちは声を上げる。
国境を越えて医療を届けてきた50年。
でも、医療だけでは助けられない命がある。
不条理で非人道的な世界がある。
危機に置かれた人びとの届かない叫びがある。
だから私たちは声を上げる。
ひとりの声は小さくても、多くの声が集まれば
その声はうねりとなり、現状を変えられると信じて。
だから私たちは声を上げ続ける。
国境なき医師団
「私たちは声を上げる。」
ショートムービー
国境なき医師団の活動を象徴する
4つのカテゴリーの短編ムービー。
国境なき医師団 50年の活動
国境なき医師団のこれまでの活動を
写真と共に振り返ります。
1971
1975
1976
1980
1984
1986
1991
1992
1994
1995
1998
1999
2001
2002
2003
2004
2005
2009
2010
2011
2012
2013
2014
2015
2016
2017
2018
2019
2020
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医師とジャーナリストが沈黙をやぶる。
1971国境なき医師団の誕生
1967年にナイジェリア東部のビアフラが独立を宣言したことから勃発した「ビアフラ戦争」。2年半の内戦で市民も迫害され、軍の包囲によって食料補給路を断たれ、餓死を含め約200万人が亡くなる事態となった。
国際赤十字の援助活動に参加していたフランス人医師らは非道な事態に強い憤りを覚え、国際赤十字のルールであった沈黙の原則を破って政府軍による市民への暴力を公に非難。世界に向けた抗議の声は、国際社会の反響を呼んだ。
1971年12月22日、このフランス人医師らとジャーナリストら13人によって国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)が設立された。
国境なき医師団のメンバーが守り継ぐ「憲章」はこちらから
独立・中立・公平を活動原則とする憲章に調印する創設メンバー © D.R.
医療・人道援助の道を開く。
1975初の大規模な難民援助活動
物流・調達のターニングポイントに
ポル・ポト政権から逃れるカンボジア市民を援助するため、カンボジアとタイの国境の難民キャンプで、国境なき医師団(MSF)としては初の大規模な医療援助プログラムを立ち上げた。この援助活動で、医療活動をサポートする物資調達や資機材管理の重要性が明らかになった。MSFの物流・調達のターニングポイントとなり、緊急医療キットが考案された。
スペシャルインタビュー「病床から国際交渉まで―多彩なプロ集団が可能にする医療・人道援助活動」を読む
カンボジアとタイの国境に集まった数千人のカンボジア難民 © MSF
やまない紛争地の悲鳴。
1976紛争地における初めての援助活動を中東で開始
内戦が激化する中東・レバノンに56人の医師・看護師を派遣。紛争地における初の医療・人道援助活動を行う。チームは連日、砲弾や銃弾で負傷した患者、手足の骨折ややけどの患者の治療に当たった。レントゲンや人工呼吸器など、必要とする医療機器や輸血用血液の確保が限られる中、約7カ月にわたって5000人の負傷者を治療した。
負傷した患者とその家族 © Arnaud Wildenberg
権力には屈しない。
1980カンボジアで「生存のための行進」
援助活動を制限する政府に抗議
タイとカンボジアの国境で1978年にベトナムの軍隊がカンボジアに侵攻。後にベトナム当局が国境なき医師団(MSF)のカンボジアでの援助活動を妨害。そのことに抗議し「生存のための行進(March for Survival)」を実行した。MSFが行った、政府に対する最初の抗議活動となる。
スペシャルインタビュー「内戦を逃れ難民に 出会いがつないだ今と未来」を読む
カンボジアとタイの国境にて、人道援助に対する制限に抗議の声を上げるスタッフたち © Patrice Cotteau
黙殺される人びとの飢え。
1984エチオピア飢餓、大規模な栄養治療を実施
軍事政権の不正を告発し、国外退去に
大干ばつと政府の失策により、エチオピアで約100万人が飢餓で命を落とした。国境なき医師団(MSF)は大規模な栄養治療を実施。一方、軍事政権は援助物資を横領し、地域住民を強制的に移住させるためにそれを利用していた。MSFは人道援助が政治的に利用されていることを告発。これにより、翌年MSFは国外退去を強いられた。
栄養失調の息子に食事をとらせる父親 © Patrick Frilet
現場の声がもたらす進化。
1986物流センターと疫学研究組織を設立
高い効率性と専門性を追求
医療活動に必要な物資を調達・管理する物流センターとして、「MSFロジスティック」を設立。医薬品から、車両、発電機に至るまで管理し、現場への迅速な発送を可能にした。さらに、医療援助活動で集まった医学的データの分析や調査研究報告などを行う疫学研究組織「エピセンター」を設立。高い効率性に専門性を兼ね備えた医療・人道援助団体として成長していった。
ベルギーの首都ブリュッセルにある物流センター © Julien Dewarichet/MSF
クルド難民の叫び。
1991湾岸戦争、過去最大規模の援助活動
1990年のイラクのクウェート侵攻により勃発した湾岸戦争とそれに続く内乱で、難民となったクルド人への援助活動を開始。国境なき医師団は、物資2000トンを運び、スタッフ150人と共にトルコ、イラン、ヨルダンで過去最大規模の援助活動を展開した。
スペシャルインタビュー「人に寄り添い、苦しみを和らげる」を読む
トルコのクルド人難民キャンプにて © Jan Van Veen
矛盾する軍事介入を非難。
1992ソマリア、紛争下の医療・人道援助
ソマリアで1988年から続く内戦により30万人以上が死亡。第一次国際連合ソマリア活動が実施されるが状況が改善せず、人道的支援を理由に米国主導で武力行使を伴う多国籍軍がソマリアに派遣される。国境なき医師団は、こうした戦略の矛盾と過剰な軍事介入を非難。1992年には、国際社会に対して、飢餓の拡大も警告した。
紛争で負傷した患者を治療する外科チーム © Carl Cordonnier
医師は虐殺を止められない。
1994ルワンダ、武力介入を呼びかける異例の決断
ルワンダで民族大量虐殺(ジェノサイド)が発生。約3カ月間で少数派ツチ族ら80万人以上が組織的に殺害された。緊急援助を行い、残虐行為を目の当たりにした国境なき医師団は、「医師は虐殺を止められない」と、設立以来はじめて、国際社会に武力介入を求める異例の呼びかけを行った。
襲撃を生き延びた男性はショックのあまり座り込んだ © Roger Job
虐殺の真実に沈黙しない。
1995ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
民族虐殺の唯一の証言者に
1992年に旧ユーゴスラビア連邦のボスニア・ヘルツェゴビナの独立を機に民族間で紛争が勃発。紛争当初から現地で援助活動をしていた国境なき医師団は、ボスニア・ヘルツェゴビナの国連保護地域がセルビア人勢力の攻撃を受け、8000人以上の虐殺や強制移住が発生していることを国際的な唯一の証言者として報告書とともに国際社会に訴えた。
紛争から逃げる難民家族 © Olivier Jobard
終わらない戦禍の悲劇。
1995第一次チェチェン紛争で医療援助
1994年12月、ロシア南部に位置するチェチェン共和国の首都グロズヌイにロシア軍の戦車が侵入し、第一次チェチェン紛争が勃発した。100万人の市民がロケット弾や機銃掃射の集中砲火の下に閉じ込められ、市街地が壊滅状態になる中、国境なき医師団のチームは医療・人道援助を開始。
チェチェン共和国の首都グロズヌイで © Eric Bouvet
救えない苦悩との闘い。
1998北朝鮮からの撤退
政府介入で、独立した活動継続が困難に
洪水により食糧事情の悪化した北朝鮮国内で援助活動を1995年に開始。北朝鮮政府の要請に基づき、食糧や医薬品の供給、栄養補給センターの設置や医療スタッフのトレーニングなどを実施した。しかし北朝鮮政府が援助プログラムに著しく介入し、援助物資が必要とする人びとに確実に届いているかを確認できなくなった。国境なき医師団は、活動原則に沿った独立した医療援助活動ができないとし、1998年に北朝鮮国内での活動を断念し撤退するという苦渋の決断をした。
劣悪な環境の孤児院で幼い子らを見守る看護師 © Peter van Quaille
戦争の正当化を許さない。
1999コソボ紛争
NATO軍による「人道的介入」を批判、資金提供を拒否
1998年にセルビアのコソボ自治州で、セルビア政府とアルバニア系住民の内戦が激化。アルバニア系住民の民族浄化の拡大を理由に、1999年3月に北大西洋条約機構(NATO)軍がセルビアに対し大規模な空爆を開始した。NATO軍は、多くの民間人が犠牲となった空爆を、人道目的として正当化した。国境なき医師団は、軍事介入を「人道的介入」とする発想を非難。近隣国に逃れた難民の援助を行うも、NATO加盟国からの資金提供を拒否した。
NATO軍による空爆で廃墟となった建物 © Arie Kievit
歴史に刻まれた証言。
1999ノーベル平和賞受賞
沈黙はしない、政治責任を強く求める姿勢を貫く
世界での先駆的な人道援助活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞。受賞記念スピーチの冒頭で、ロシア政府によるチェチェン市民に対する非人道行為の即時停止を訴えた。スピーチでは「言葉が常に命を救えるわけではありませんが、沈黙は確かに人を殺し得ます」と述べ、「国境なき医師団にとっての人道援助活動とは、苦痛を和らげる方法を探す、自治を回復する道を見つける、不正の真実を証言する、そして政治責任を強く求めること」と、団体としての姿勢を明確にした。
国境なき医師団を深く理解できるノーベル平和賞スピーチはこちらから
受賞記念スピーチにて、会長のジェイムズ・オルビンスキ(当時) © Patrick Robert
公平な医療のために。
1999「アクセス・キャンペーン」開始
薬がないために失われていく命に抗議の声
ノーベル平和賞の賞金を基に、「アクセス・キャンペーン」(旧名:必須医薬品キャンペーン)を開始。国境なき医師団が活動地で直面するのが、薬やワクチン、診断ツールなどが手に入らず失われていく命があること。高すぎる薬価の問題や、収益が伴わない治療薬が開発されない問題などを社会に訴え、医薬品の公平な普及を求めるアドボカシー活動を開始し、現在も続く。
アクセス・キャンペーンの活動を知るにはこちらから
スペシャルインタビュー「現場のリアリティに基づき取り組む医療へのアクセス」を読む
エイズ治療薬のアクセスを阻む特許申請に抗議の声を上げる(インド、2006年) © generic MSF
平等な命の訴え。
2001HIV/エイズ治療を拡大
抗レトロウイルス薬(ARV)によるHIV感染者の治療をタイ、カンボジア、マラウイ、南アフリカ共和国(以下、南アフリカ)など7カ国で開始。1990年代後半に導入されたARV治療は、途上国では経済難で普及が進まない中、国境なき医師団はジェネリック薬(後発医薬品)を輸入し、治療数の拡大に努めた。治療拡大には、医薬品を安価に入手するための法律を巡り、南アフリカ政府を訴えていた製薬企業39社が市民社会の批判から訴訟を取り下げ、ジェネリック薬の輸入を可能にする薬事法施行への道が開かれた背景がある。
HIV治療のため薬を服用する南アフリカの少年 © Gideon Mendel
見えない飢餓の悲鳴。
2002アンゴラ飢餓対応。人道援助の後回しを非難
アフリカ南西部のアンゴラで、政府軍と反政府勢力軍の間で停戦合意に関する覚書が署名され、27年間続いた内戦が終結。50万人が飢餓状態にあったため、国境なき医師団は40カ所に栄養治療センターを開設し、2200人以上のスタッフが活動を展開。国際社会からの援助が不十分な中、国際連合が人道援助よりも、戦後の政治的解決を優先していることを非難した。
二の腕に上腕周囲径(MUAC)を巻いて栄養失調の状態を判断 © Christophe Calais
薬があれば救えた命。
2003DNDiの創設パートナーに
国境なき医師団は設立以来、治療薬がなく顧みられない病気で命が失われている現状を目の当たりにしてきた。このことから、アフリカ睡眠病やシャーガス病、リーシュマニア症などの「顧みられない熱帯病」の薬や治療法の開発、普及に取り組む非営利組織であるDNDi(顧みられない病気の新薬開発イニシアティブ)の創設パートナーになる。
フランス・パスツール研究所でのDNDi設立10周年の会合(2013年) © Andrea Bussotti/MSF
援助が敵とみなされる現実。
2003イラク戦争、人道援助組織が攻撃対象に
米英などの多国籍軍がイラク侵攻を開始。戦争勃発の直後から、国境なき医師団(MSF)は、首都バグダッドをはじめ各地で緊急援助活動を展開した。米軍は援助機関を「テロに対抗する戦い」の一部を担うものと位置付ける発言を繰り返し、人道援助が軍事計画の一環であるようにみなされ始めた。こうした動きから人道援助組織が攻撃対象となり、MSFはスタッフの安全維持が不可能な状態に。翌年2004年11月、MSFはイラクでの活動の一時停止を決断した。
バグダッド北部の診療所で少年の傷を治療する医師 © Andrew Stern
悲劇に屈しない人道援助。
2004アフガニスタンからの撤退
スタッフ5人が襲撃され犠牲に
2004年6月、国境なき医師団(MSF)のスタッフ5人が移動中に襲撃され死亡した。アフガニスタン当局はこの事件の対応を行わず、人道援助の従事者の安全確保に消極的な姿勢を示した。援助活動は、スタッフや患者の安全が確保されなければ継続できない。MSFは、同国13の州で80人の海外スタッフ、1400人の現地スタッフが実施していた医療プログラムを全て停止せざるを得ないと判断。1980年から24年にわたって行ってきた医療・人道援助活動から撤退した(後に2009年に活動を再開)。
アフガニスタン(2001年) © Alain Frilet
寄付を決して無駄にしない。
2004スマトラ沖地震・津波で援助
寄付の一部を返還、適正な資金規模に
12月、スマトラ沖地震と直後の大規模な津波で22万人以上が犠牲に。援助を行う国境なき医師団のもとには、災害発生から1週間で4000万ユーロ(約54億円)もの寄付金が世界中から届き、最終的に156億円以上に達した。災害援助の必要金額を超えたため、一部を他地域の活動へ振り替える承認を寄付者に求め、振り替えできない寄付は返還。援助の必要性に基づき資金規模を適正に維持する姿勢を貫いた。200人以上の海外派遣スタッフを派遣し、約1年にわたってインドネシア、スリランカを中心に援助活動を行った。
スペシャルインタビュー「民間寄付が支える活動 真に必要な人に援助を届けるために」を読む
バンダアチェ(スマトラ島北部)海岸線の様子 © Francesco Zizola/Noor
栄養治療に改革を。
2005ニジェールで画期的な治療食を導入
子どもたちの栄養治療を変える
従来のトウモロコシ・大豆粉を与える栄養治療プログラムでは、成長期の幼児に必要な栄養素を十分に補えず期待通りの治療効果が出ていなかった。そこで国境なき医師団は、1袋当たり500キロカロリーで、ビタミンとミネラルが豊富なピーナツペースト状の高たんぱく栄養治療食を世界に先駆けて導入。ニジェールで6万人以上の栄養失調児の治療を実施し、9割以上の治癒率で効果を実証した。これにより、栄養治療のガイドラインを改訂し、入院方式から通院方式での治療に転換した。
スペシャルインタビュー「現場のリアリティに基づき取り組む医療へのアクセス」を読む
常温保存が可能な高たんぱく栄養治療食で子どもたちの命を救う © Christiane Roth
証言しない、という苦渋の選択。
2009スリランカ内戦
市民の窮状を証言するか否か、ジレンマに直面
スリランカ政府と反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE )」との内戦で、多くの市民が巻き添えになった。スリランカ政府は、国際援助の活動や情報発信を制限。国境なき医師団(MSF)は、市民が犠牲になっている状況を伝えるか否か多くの議論を重ねた。証言すれば政府により国外へ追放され、援助の届かない人びとを救うことができないことから、一時的に政府の要求を承諾し、証言を控える苦渋の選択をした。
スペシャルインタビュー「声を上げなければ、そこで起きている悲劇は伝わらない」を読む
MSFの仮設病院で © Anne Yzebe
援助を妨げる国の圧力。
2009スーダン、ダルフール紛争
スタッフの拉致、政府による国外退去命令
2003年、アフリカ・スーダン西部のダルフールで政府・アラブ系民兵と、反政府勢力の本格的な武力衝突が勃発。同年12月、国境なき医師団(MSF)は、高まる医療ニーズに応じるためダルフールでの援助活動を開始。 2006年には死者約30万人、難民・避難民約200万人という人道危機へと発展した。
2009年、国際刑事裁判所(ICC)が人道に対する犯罪および戦争犯罪の容疑でバシール大統領に対する逮捕状を出した。スーダン政府は、MSFがICCに協力しているという誤った情報を根拠に、多くのMSFスタッフに対し国外への強制退去を命令。スタッフが拉致される事件も発生した。活動の一部を停止せざるを得ない中、残るチームで援助を継続し、12万9000件の診療と、現地診療所の援助を行った。
スペシャルインタビュー「次は絶対に助けたい 思いをつなぎ18年」を読む
爆撃された市場跡。子どもを含む12人が犠牲に © Jan-Joseph Stok
恐るべき災害と感染症。
2010ハイチ大地震
活動史上最大規模の緊急医療援助
1月12日(現地時間)、マグニチュード7.0の大地震が発生、31万人以上が死亡し150万人が家を失った。国境なき医師団は24時間以内に緊急医療援助を開始、活動開始から最大規模の援助となり35万人以上を診療した。10月からはコレラが流行したため、全国50カ所にコレラ治療施設を開設し、数百人のスタッフを動員して11万人以上の治療を行った。
2010年1月、震災で大きな被害を受けた首都ポルトープランス中心部の様子 © Kadir Van Lohuizen/Noor
独立性がもたらした援助。
2010パキスタン洪水
他団体が入れない地域での援助も
7月下旬からの集中豪雨による大洪水は、パキスタンのほぼ全土に壊滅的な被害をもたらした。資金の独立性を維持する国境なき医師団(MSF)しか援助に入れない地域もあった。 MSFは被災者のニーズに即座に対応し、12月までに8万人以上を診療。約200万リットルの清潔な水と約6万5000セットの救援物資を配布した。
孤立した村に安全な水を届けるMSFスタッフ © Florian Lems
一刻を争う被災地。
2011東日本大震災
緊急医療援助を開始
3月11日に発生した東日本大震災の翌日から、国境なき医師団(MSF)は被災地に入り、特に医療の届いていない地域で緊急援助活動を開始。避難所での移動診療から、被災者の心のケア、物資や通院用バスの提供、仮設診療所や仮設住宅の建設などを行った。4356件の診療を行ったほか、毛布4030枚、飲用水6500リットルなどを配布した。
南三陸町の避難所で被災者と話すMSFの医師 © Jun Saito
追いつめられる市民。
2012シリア内戦
医療・人道援助の継続危機に直面
2011年、多くのシリア人が民主化を求めて行ったデモ運動が大規模な抗議運動に発展。アサド政権が民主化運動を徹底的に弾圧し始め、やがて武力紛争へと激化していった。国境なき医師団は2012年、政府の支配地域での援助活動が認められない中、高まり続ける医療ニーズに対応すべく、シリア北部で医療・人道援助活動を開始。紛争で多くの医療機関が破壊されたため、学校や養鶏場、建物の地下室などに医療設備を配置し、外傷のケアや手術を中心に救急医療を提供した。
さまざまな勢力が介入する中、2014年には、外国人派遣スタッフ5人が拉致・拘束される事件が発生。過激派組織「イスラム国」が支配する地域での活動中止と、シリア北西部からの外国人派遣スタッフの避難を余儀なくされた。
スペシャルインタビュー「医療が攻撃される現実 助かるはずの命を守るため声を上げる」を読む
内戦の被害者に外科治療を提供 © Armelle Loiseau/MSF
医療が攻撃される絶望。
2013ソマリアからの撤退、22年の活動に終止符
内戦が勃発した1991年以来、無政府状態が続いたソマリアでは、紛争や干ばつ被害が重なり、深刻な人道危機に直面していた。人道援助団体のスタッフへの襲撃、拉致、殺害が容認される風潮が強まったことから、国境なき医師団は武装警護を導入するという異例の措置に踏み切った。しかし、1991年の活動開始から2013年までに、合計16人のスタッフが殺害され、最低限の安全を保障できなくなったことから、22年に及ぶ医療・人道援助活動を終了し撤退することを決断。これにより何十万人ものソマリア人が人道援助を受けられなくなることから、「今回の撤退決定は、国境なき医師団の最も悔やまれる歴史の一部になった」と会長のウンニ・カルナカラは述べた。
その後、ソマリアでの援助活動再開までに4年の歳月を要し、2017年に栄養治療プログラムと小児科治療を再開した。
ソマリア撤退を記者団に発表する会長ウンニ・カルナカラ(当時) © Yann Libessart/MSF
止まらない感染症の恐怖。
2014エボラ出血熱、前例のない規模の流行に対応
国際的な対応の遅れを批判
3月22日、西アフリカのギニアでエボラ出血熱が公式発表され、前例のない規模で流行。西アフリカの6つの国で、500人以上の医療スタッフを含む1万1300人以上が犠牲となった。国境なき医師団は、流行のピーク時に海外派遣スタッフ320人以上を派遣し、約4000人の現地スタッフと共に対応。専門の治療施設を開設し、計1万376人の患者を受け入れた。うち5226人が感染者であることを確認した。世界保健機関(WHO)を含む国際的な対応の遅れに対し、厳しく批判する内容の報告書を発表した。
スペシャルインタビュー「理不尽に失われる命を許さない—上げる声は患者のために」を読む
感染疑いのある少女を治療施設に運ぶMSFスタッフ © John Moore/Getty Images
繰り返される医療への攻撃。
2015イエメン、激化する紛争
ハディ暫定政権と反政府勢力のフーシ派との衝突により内戦に突入したイエメン、さらに政権を支援するサウジアラビアと、反政府勢力を支援するイランの軍事介入で内戦は泥沼化へ。無差別攻撃によって負傷した多くの一般市民が国境なき医師団(MSF)の病院に運び込まれた。2015年10月には、サウジアラビア主導の連合軍により、MSFが援助する病院が空爆を受け全壊した。その後も国内各地で医療施設への爆撃が続く。
2017年にはコレラが大規模に流行し、公的な医療がほぼ機能していない中、MSFは対応に追われた。
アデンの緊急外科ユニットに運び込まれる患者 © Benoit Finck/MSF
見放された命を救え。
2015地中海で救助活動を開始、活動史上初の海難捜査
紛争などの危機から逃れるため、中東やアフリカから救命胴衣もつけず命がけで地中海を渡り、欧州を目指す人びとが後を絶たない。海難者の急増を受け、2015年5月、国境なき医師団(MSF)は他のNGOと連携し、史上初の地中海での海難捜索・救助活動を開始した。年末までの約8カ月間で計2万129人を救助。一方で、多くの溺死者や行方不明者がいた。こうした人命喪失は許されないと、MSFは欧州各国の政府に人命優先の支援を訴えた。
漂流する過密状態のゴムボートから人びとを救助 © Laurin Schmid
医療を奪うという攻撃。
2015アフガニスタン、紛争地で命を救う場所に降りそそぐ爆弾
10月3日、アフガニスタン北部のクンドゥーズ州で、国境なき医師団(MSF)の外傷センターが米国による空爆を受け全壊、患者とスタッフ42人が命を落とした。人口100万人以上のクンドゥーズ州で唯一の高度な外科治療を行っていたが、この攻撃で地域住民から医療が奪われた。2015年だけで、イエメンやシリアなど紛争地におけるMSF関連の医療施設への砲爆撃は 75件106回に上った。
攻撃された外傷センターの病室 © Andrew Quilty
戦争にもルールを。
2016国連決議を全会一致で採択
紛争下で医療は攻撃されてはならない
5月3日、国連安全保障理事会(国連安保理)が、紛争下の病院への攻撃を強く非難し、全ての紛争当事者に対して医療・人道援助活動の安全確保を要求する決議第2286号を全会一致で採択。同会合で、国境なき医師団(MSF)の会長のジョアンヌ・リューが「医療は命がけの仕事であってはならない。患者は病床で攻撃されてはならない」と訴えた。
MSFは9月28日にも国連安保理の会合に招かれた。決議が実行されない事態を受け、連合国として戦闘に加わっている国連加盟国や、それらを支持する国々に政治的意志が欠落していると非難。直ちに決議を実行に移すよう強く求めた。
国連安保理でのMSFの訴えはこちらから
スペシャルインタビュー「医療が攻撃される現実 助かるはずの命を守るため声を上げる」を読む
国連安保理の会合で演説する会長ジョアンヌ・リュー(当時) © Paulo Filgueiras
活動継続を可能にした民間からの寄付。
2016EU諸機関および加盟国からの資金受給を停止
難民・移民の抑止政策に反対
国境なき医師団(MSF)は6月、欧州連合(EU)の諸機関、および加盟国からの資金受給の停止を発表した。これは、EUおよび加盟国が難民や移民に対して強硬な抑止政策を強めていることに反対を示すもので、世界中の援助活動においてEUからの資金拠出を受けないことを決定した。前年の2015年は5600万ユーロ(約66億円)を受給していたが、2016年分から受給を停止した。これ以前から、MSFの活動資金の9割以上は民間からの寄付で支えられており、医療ニーズに基づく独立した援助活動を可能にしている。
スペシャルインタビュー「民間寄付が支える活動 真に必要な人に援助を届けるために」を読む
資金受給の停止を記者会見で発表 © Alex Yallop/MSF
調査が明らかにした虐殺。
2017ロヒンギャ難民危機
1カ月間で6700人が殺害されたと発表
8月25日以降、ミャンマー西部ラカイン州からイスラム系少数民族ロヒンギャがバングラデシュに一斉に避難。国境なき医師団は、難民キャンプの医療体制を大幅に拡充し、プライマリ・ヘルス、性暴力被害、感染症などの対策を実施。さらに難民への聞き取り調査を行い、2017年8月25日からの1カ月間で、少なくとも9000人のロヒンギャがミャンマー西部ラカイン州で死亡、うち少なくとも6700人が殺害されたとの推計を発表した。暴力が原因の死者のうち少なくとも730人は5歳未満の子どもだった。ミャンマー政府が発表した死者数約400人を大きく上回る証言となった。
ミャンマーから隣国バングラデシュに避難するロヒンギャ難民 © Antonio Faccilongo
繰り返される紛争と感染症。
2018エボラ出血熱と紛争
はしか流行の同時対応で前例のない事態に
8月1日にコンゴ民主共和国政府は10回目のエボラ出血熱の流行を発表。長年の紛争で住民が大規模な避難を余儀なくされる中、エボラ出血熱の流行に加え、過去最悪のはしかの流行が同時に発生。2019年には31万人以上がはしかに感染、6000人以上が死亡した。さらに流行地域ではエボラ治療に対する根強い不信感から、国境なき医師団(MSF)の治療センターが襲撃されるなど援助活動は困難を極めた。高まる医療ニーズに、MSFは国際社会に援助拡大を呼びかけた。
医療用防護具を身にまとったスタッフら、患者の元へ © John Wessels
追い付かない援助活動。
2018パレスチナで「帰還の行進」
軍による非人道的行為を非難、患者搬送の自由を
中東パレスチナのガザ地区で3月30日、パレスチナ難民の帰還を求めるデモ行進にイスラエル軍が発砲。イスラエル軍はガザとイスラエルを分離するフェンスに近づく者は、誰でも合法的な軍事標的だとして実弾による銃撃を正当化し繰り返し発砲。7週間足らずで約3600人が負傷し、102人が死亡した。国境なき医師団は、約7週間で680人以上の重傷患者を治療し、930人以上の術後ケアにあたった。援助体制を3倍に拡大するも、10年以上封鎖されたガザで高まる医療ニーズに追い付かず、イスラエルとパレスチナ当局に医療活動や患者搬送の自由を求め、周辺国や国際社会には資金援助や外科治療体制の提供を求めた。
抗議デモ参加中に銃撃された20歳の患者 © Laurence Geai
命を救うことは犯罪ではない。
2018人命を最優先にした政策議論を
12月、政府間による「国連移住グローバル・コンパクト採択会合」に国境なき医師団(MSF)の会長ジョアンヌ・リューが出席し、各国で実施されている移民や難民を締め出す政策に強い懸念を示した。生きるために暴力から逃れる人びとが、世界のさまざまな場所で非人道的な移民政策によって過酷な環境に留め置かれている現実を訴えた。地中海での救助活動をはじめ、MSFの人道援助活動が政治的な妨害や法的な嫌がらせ、暴力を受けている実情を伝え、「命を救うことは犯罪ではない」と主張。各国政府に人命を最優先にした政策議論を求めた。
会合でのMSFの訴えはこちらから
難民や移民が拘束されるリビアの収容センターで © Jérôme Tubiana/MSF
HIVとの長き闘い。
2019南アフリカでHIV対策
1年早く国際目標を達成、地域密着型の活動による成果
南アフリカ東南部クワズル・ナタール州エショウエで、国境なき医師団(MSF)による地域密着型HIV・結核プロジェクトが、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の定めるHIVの流行を抑える目標値を期限である2020年よりも1年早く達成した。国際目標 の「90-90-90目標」は、①HIV感染者の90%以上が自身の状況を把握すること、②診断を受けた感染者の90%以上が抗レトロウイルス薬(ARV)による治療を受けること、③ARV治療を受けた感染者の90%以上でウイルス抑制すること。これに対し、MSFのプロジェクトは「90-94-95」の成果を上げた。一貫した地域コミュニティの関与によってHIV対策の成果を上げられることを実証した。
詳細はこちらから
HIV治療をサポートするスタッフ(左)と患者(2016年撮影) © Greg Lomas/MSF
狂気の襲撃。
2020アフガニスタン、産科病棟の襲撃で妊産婦ら死亡
活動中止の苦渋の決断
アフガニスタンの首都カブールで5月12日、国境なき医師団(MSF)が援助するダシュ・バルチ産科病棟が襲撃され、16人の母親、7歳と8歳の子ども、助産師1人が命を奪われた。2019年には同産科病棟で約1万6000件の分娩を介助し、MSFにとって世界最大級の産科プロジェクトであったが、同様の攻撃の可能性があることから、活動中止という苦渋の決断をした。
武力によってMSFを活動中止に追い込んだ襲撃は、この地域で暮らす女性と新生児から必要とする医療を奪った。 過去16年間にアフガニスタンでは、MSFのスタッフや治療していた患者など70人以上が殺害されている。
襲撃を受けた産科病棟 妊婦や新生児が入院していた © Frederic Bonnot/MSF
世界にワクチンや物資の公平な供給を。
2020新型コロナウイルス感染症
世界各地で緊急医療援助活動を展開
2020年1月に香港で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対応活動を開始。世界各地での感染拡大に伴い、医療機関における感染予防・制御に関する取り組みをはじめ、専門の治療センターの設置、感染者の治療、感染予防のための健康教育など、幅広い活動を実施。特に医療や衛生面が脆弱な環境に暮らす難民や避難民など、弱い立場に置かれた人びとへの援助に力を入れてきた。
入国制限などのため、現地に派遣するスタッフ数が前年よりも一時期7割も減少して追加人員を派遣できなくなったり、医療用防護具など物資の供給不足が発生したりするなど困難な状況も発生した。国境なき医師団は、新型コロナウイルスのワクチンや治療薬などが、あらゆる人びとに公平に行きわたる、各国政府をはじめとした国際社会に訴えている。
新型コロナウイルス感染症への詳しい対応はこちら
感染が拡大するインドで仮設病棟を開設 © Aahana Dhar/MSF
私たちは声を上げる。
国境なき医師団 設立50年
スペシャルインタビュー
国境なき医師団 設立50年
スペシャルイベント
50年を振り返る写真展や、多方面からゲストを招いたオンライン・イベントは終了しました。
ご参加ありがとうございました。
アルバニア 1999年 © Cristina Garcia Rodero / Magnum Photos
国境なき医師団 設立50年「私たちは声を上げる。」
マグナム・フォト連携写真展――目撃者の証言
国境なき医師団(MSF)と同様に人道危機の現場を目撃し、捉えてきた著名な写真家集団「マグナム・フォト」。その写真とともにMSFの50年を振り返る展覧会を開催します。東京会場からは、10月1日に写真家の大石芳野さんをお招きしてオンライントークを実施します。
東京 | 10月1日(金) ~ 6日(水) 富士フイルムフォトサロン 東京 (六本木駅) |
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大阪 | 10月15日(金) ~ 21日(木) 富士フイルムフォトサロン 大阪 (本町駅・堺筋本町駅) |
名古屋 | 12月10日(金) ~ 16日(木) 富士フイルムフォトサロン 名古屋 (伏見駅) |
入場料:無料 会場協力:富士フイルム株式会社
オンライントークイベント
写真展東京会場からは、写真家の大石芳野さんとMSF日本会長で外科医の久留宮隆が、ライブでオンライントークイベントを配信します。半世紀近く国内外の紛争地や被災地を撮影してきた大石さんとともに、50年の人道危機の現実と、「沈黙」や「無関心」に立ち向かい、声を上げ続ける国境なき医師団の活動について振り返ります。皆さまのご参加をお待ちしています。
2021年10月1日(金) 20:00~21:00 ゲスト:大石 芳野氏 (写真家) 参加費:無料 配信ツール:YouTube |
イベントは終了しました アーカイブ動画は こちら からご覧いただけます。 |
当オンラインイベントや写真展についてのくわしい情報は こちら
※写真展・イベントはやむを得ず中止・変更させていただく場合があります。 中止・変更の際には、同ウェブサイトにてお知らせいたします。
- 写真展のご来場、ご鑑賞中は必ずマスクの着用をお願いいたします。
- 検温の結果、体温が37.5度以上の場合は入場をお断りさせていただきますので、あらかじめご了承ください。
- 入口をはじめ、館内各所に消毒液を設置いたします。入退館の際は必ず、手指の消毒をお願いいたします。
- 混雑時には、入場制限により整理券を配布させていただくことがあります。あらかじめご了承ください。
- 待機中やご鑑賞中など人の集まる場所ではフィジカル・ディスタンスの確保や咳エチケットにご協力をお願いいたします。
- 展示エリア内では、できる限り他のお客様との間隔を空けてご鑑賞ください。また、大声での会話は固くお断りします。
- 展示作品をはじめ、壁や展示ケースなどには触れないようお願いいたします。
- 撮影コーナーでの撮影は、お客様ご自身でお願いいたします。
国境なき医師団 設立50年
オンライントークイベント「私たちは声を上げる。」
国境なき医師団は、1971年に医師とジャーナリストによってフランスで設 立され、今年で設立50年を迎えます。緊急医療援助と同時に、現地で目の当 たりにした人道危機に声を上げ、国際社会へ伝える「証言活動」を行ってき ました。 さまざまな分野のゲストをお招きし、オンライントークイベントを開催します。 これからの人道援助について、一緒に考えてみませんか。どなたでもご参加いただけます。
Event 1 | 「いとうせいこうさんと考える、なぜ人道援助をするの?」 11/3(水・祝日) 16:00~17:30 ゲスト:いとうせいこう氏(作家・クリエイター) |
イベントは終了しました アーカイブ動画は こちら からご覧いただけます。 |
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Event 2 | 「クロストーク プロフェッショナル対談」 11/18(木) 20:00~21:00 ゲスト:宮本 亞門氏(演出家) |
イベントは終了しました アーカイブ動画は こちら からご覧いただけます。 |
Event 3 | 「世界といのちの教室」スペシャル版 11/23(火・祝日) 16:00~17:30 |
イベントは終了しました |
Event 4 | 「私たちは声を上げる。」 11/27(土) 16:00~17:00 ゲスト:別所 哲也氏(俳優)、LiLiCo氏(映画コメンテーター・タレント) |
イベントは終了しました アーカイブ動画は こちら からご覧いただけます。 |
© MSF
設立50年 サイドイベント (海外派遣 参加希望者向け)
国境なき医師団では、日本からも多くのスタッフが世界の現場で活動中です。設立50年サイドイベントでは、多くの方が気になっている活動に必要な「語学力」をはじめ、活動地での生活状況や将来のキャリアプランなど、海外派遣を検討している方向けに、さまざまなオンラインイベントを開催しました。そのほか、さまざまな採用イベントを開催しています。
メッセージ募集
「あなたの声を聞かせてください」
国境なき医師団 設立50年
皆さまからのメッセージを募集
© Toru Yokota
国境なき医師団(MSF)に託した思いや応援の理由など、あなたの声を聞かせてください。人道危機に直面する人びとや、現地で援助活動をするスタッフに 届けたいメッセージなどもお寄せください。お送りいただいたメッセージは、11月に実施予定の「設立50年記念イベント」でスペシャルゲストによる朗読やMSFのニュースレターなどでご紹介するほか、MSFスタッフを通じて活動地にお届けする予定です。
応募締切 | 11月8日(月) |
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応募方法 | オンラインフォームからメッセージをお送りください。 ※イベント等でご紹介させていただく場合のみ、11月中旬までにご連絡させていただきます。あらかじめご了承ください。 |
メッセージ募集は
終了しました
国境なき医師団は、この50年、
さまざまなジレンマに直面しながら
人種や宗教、政治的な関わりを超え
人道危機に直面する人びとに寄り添い、
医療・人道援助を届けてきました。
目撃した窮状にある人びとの姿や、
非人道的な状況を証言し、
現状を変えるために声を上げられるのは
民間の皆様からの寄付によって活動が支えられ
いかなる権力の影響も受けない
独立性があるからです。
これからも、
人道的な行為に境界はないという思いを皆様と共有し
一人でも多くの方が、私たちと共に声を上げ
応援してくださることを願っています。