国境なき医師団の遺贈寄付プログラム国境なき医師団の遺贈寄付プログラム

自分らしい人生のかたちを考えた時、遺される財産を
「つぎの命」のために役立てたいとお考えになる方が
増えています。国境なき医師団では、命を救う活動に役立てる
遺贈寄付プログラム
をご用意しています。

「遺贈」をお考えの皆さまのご質問に
お答えしています。

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遺贈寄付とは?

命のバトンを「つぎの命」へ。

遺贈寄付のイメージ

遺贈とは、「遺言」によって遺産の一部または全てを相続人
以外の者や団体に無償で譲ることをいいます。 そのうち、
「寄付」として行われるものは「遺贈寄付」と呼ばれ、
ご自分の思いを未来に託す新しい寄付のかたちです。

あなたらしい選択のひとつとして、
「遺贈寄付」を検討してみませんか。

国境なき医師団
遺贈寄付プログラム

遺贈寄付のイメージ

遺言書において、一部または全ての財産の受取人とし
て国境なき医師団日本を指定することで、医療・人道
援助を通じた命を救う活動に遺産を役立てていただく
ことができます。 国境なき医師団に遺贈いただいた
財産は、相続税の課税対象になりません。

あなたの寄付で実現できること

皆さまからの遺贈は、幅広い
医療活動に役立てられています。

10万円で3000食分のイメージ
100万円で40000人分のイメージ
500万円で救急車1台のイメージ
1000万円でテント型外科診療所一式のイメージ
10万円で3000食分のイメージ
100万円で40000人分のイメージ
500万円で救急車1台のイメージ
1000万円でテント型外科診療所一式のイメージ

※ 数値は外国為替によって変動します。

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遺贈寄付をお決めに
なった方に聞きました

遺贈を決めることができて、
ほっとしています。

東京都70代女性H様のイメージ 東京都70代女性H様のイメージ

国境なき医師団の存在を知ったのは成人してからのことです。医師をはじめとする医療関係の方々が、世界各地の紛争地域や貧困地域などで人道的な医療活動をされていると知って、強い関心を持ちました。

私の場合、相続関係の問題はなく、わずかばかりの不動産ではありますが、その遺贈について考えていましたので、いろいろ調べました。

国境なき医師団では不動産も受けてくださる(※)と分かり、私の希望とも合致しましたので、ここにしようという結論に至りました。

自分の年齢もあり、この先のことや世の中の状況など不確定な要素ばかりの中で、今回一つの決断ができてほっとしています。

※不動産のご遺贈には、一定の条件がございます。お気軽にお問い合わせください。

国境なき医師団の最大の力は、現地に人が入っていくことです。

茨城県60代男性N様のイメージ 茨城県60代男性N様のイメージ

妻が倒れたのは突然でした。連れ合いがいなくなるのがこれほど辛いことだとは思いませんでした。

もともと「うちは子どもがいないから、いずれはどこかに寄付したいね」と話していたので、(二人が出会った)高校のブラスバンド部などに寄付し、では自分はどうする?と。 国境なき医師団には創設された頃から注目していました。ずっと製薬会社で薬の研究開発をしてきましたし、薬は確かにとても大事です。が、最終的に必要になってくるのは人です。薬を手配し、運ぶ人。診断して、処方する人。

国境なき医師団の最大の力は、どんなに厳しい環境にあっても現地に人が入っていくことです。薬があっても、運ぶ人や医療関係者がいなければ、やっぱりだめなんですよ。そのお役に立てるのなら、と考えました。

どんな小さな疑問もご遠慮なくどうぞ どんな小さな疑問もご遠慮なくどうぞ
遺贈寄付専任担当

遺言書の書き方から相続税に関すること、
遺贈寄付の具体的な手続きまで、
詳しくご説明したパンフレットをご用意
しましたので、ご請求ください。
また、
遺贈寄付専任担当に直接、お電話で
ご相談いただくことも可能です。
遺贈の
ことなら何でも、お気軽にご相談ください。

国境なき医師団の活動

国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、
独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。
国境なき医師団の活動は、9割以上が民間からの寄付で成り立っています(2021年)。

「独立・中立・公平」な立場

設立時から変わらない3つの活動原則です。

医療・人道援助活動

命の危機にさらされている人びとに
無償で医療・人道援助を届けています。

証言活動

人権侵害や暴力行為を国際社会に訴え、
医療だけでは変えられない問題の解決
につなげます。

海外派遣スタッフの声

始まりは、高校の英語の教科書。
「私も将来こういうことをやりたい」
と医師を志しました。

空野すみれ産婦人科医

始まりは、高校の英語の教科書。
「私も将来こういうことをやりたい」
と医師を志しました。

初めての派遣は、南スーダンのアウェイル病院。ある患者さんは、
出産がうまく進まずに病院に搬送され、「帝王切開」を希望していました。
が、胎児は元気で胎児の頭はすぐそこにあったので、経膣分娩を説得。
最初はなかなか聞き入れてくれなかったのですが、最後は頑張って、
元気な赤ちゃんを出産しました。その彼女が、出産後の診察で何か
つぶやきました。
周りに通訳を頼むと「神様にあなたの幸せを願って
いるんだよ」と。こんな表現でお礼を言われたのは初めてでした。

現地では、私の説得を理解してもらえているか分からなくなることも
あったのですが、こんなふうにお礼を言われると、「私の気持ちも
伝わっていたのかな」と思えて、嬉しくなりました。

空野すみれ産婦人科医

日本人が思っている以上に、日本は世界から
期待されている。頼りにされているんです。

私は65歳で定年になってから、国境なき医師団に参加しました。
それまでに「海外」で働いたことが3度ありましてね。
1度目は医学生だった1960年代、沖縄と奄美大島のハンセン病の療養所へ
実習に行きました。それで将来、こういう苦しんでいるのに顧みられない
人たちのために働きたいと思ったんです。2度目は外科医になって5年目。
政府がケニアで行っていた医療支援のプロジェクトに参加。3度目はエチオ
ピアの大干ばつの時、国際救急医療チームとして活動しました。
だから定年になった時、「もう一度海外でボランティアをしたい」と
思ったんですね。 世界にはたくさんの問題があるけれど、世界の平和を
引っ張っていけるのは日本、って私は思っているんです。日本人が思って
いる以上に、日本は世界から期待されている。頼りにされているんです。

菅村洋治外科医

日本人が思っている以上に、
日本は世界から
期待されている。
頼りにされているんです。

菅村洋治外科医

私は65歳で定年になってから、国境なき医師団に参加しました。
それまでに「海外」で働いたことが3度ありましてね。

1度目は医学生だった1960年代、沖縄と奄美大島のハンセン病の療養所へ
実習に行きました。それで将来、こういう苦しんでいるのに顧みられない
人たちのために働きたいと思ったんです。2度目は外科医になって5年目。
政府がケニアで行っていた医療支援のプロジェクトに参加。3度目はエチオ
ピアの大干ばつの時、国際救急医療チームとして活動しました。
だから定年になった時、「もう一度海外でボランティアをしたい」と
思ったんですね。 世界にはたくさんの問題があるけれど、世界の平和を
引っ張っていけるのは日本、って私は思っているんです。

日本人が思って
いる以上に、日本は世界から期待されている。頼りにされているんです。

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