遺贈寄付とは?
命のバトンを「つぎの命」へ。

遺贈とは、「遺言」によって遺産の一部または全てを相続人
以外の者や団体に無償で譲ることをいいます。 そのうち、
「寄付」として行われるものは「遺贈寄付」と呼ばれ、
ご自分の思いを未来に託す新しい寄付のかたちです。
あなたらしい選択のひとつとして、
「遺贈寄付」を検討してみませんか。
国境なき医師団の
遺贈寄付プログラム

遺言書において、一部または全ての財産の受取人とし
て国境なき医師団日本を指定することで、医療・人道
援助を通じた命を救う活動に遺産を役立てていただく
ことができます。 国境なき医師団に遺贈いただいた
財産は、相続税の課税対象になりません。
あなたの寄付で実現できること
皆さまからの遺贈は、幅広い
医療活動に役立てられています。








※ 数値は外国為替によって変動します。
活動資金の9割以上が寄付

国境なき医師団の活動資金は、
そのほとんどを民間からの寄付で
まかなっています。

それは資金の独立性と透明性を保ち、どんな権力からも影響を
受けず、自らの決定で必要な場所へ援助を届けるためです。
公的資金の割合を抑えることで、活動の自由を担保しているの
です。国境なき医師団日本の2021年度の総収入は、119.3億円
でした。そのうち、個人を中心とした民間からの寄付金が93.7%
を占めました。
活動資金の使い道

お寄せいただいた寄付を1円でも
多く
援助活動に生かすため、
全支出の8割を
援助活動・
証言活動費に充てること
を
公式目標としています。

皆さまからお預かりした資金を、いかに医療・人道援助活動
に優先して充当しているかを示すソーシャル・ミッション
比率は、2021年度実績で82.7%となりました。
の総支出(※)に対する医療・人道援助に支出した金額の占める割合 ※「その他海外向け支援金等」を除く。
遺贈寄付をお決めに
なった方に聞きました
遺贈を決めることができて、
ほっとしています。


国境なき医師団の存在を知ったのは成人してからのことです。医師をはじめとする医療関係の方々が、世界各地の紛争地域や貧困地域などで人道的な医療活動をされていると知って、強い関心を持ちました。
私の場合、相続関係の問題はなく、わずかばかりの不動産ではありますが、その遺贈について考えていましたので、いろいろ調べました。
国境なき医師団では不動産も受けてくださる(※)と分かり、私の希望とも合致しましたので、ここにしようという結論に至りました。
自分の年齢もあり、この先のことや世の中の状況など不確定な要素ばかりの中で、今回一つの決断ができてほっとしています。
※不動産のご遺贈には、一定の条件がございます。お気軽にお問い合わせください。
国境なき医師団の最大の力は、現地に人が入っていくことです。


妻が倒れたのは突然でした。連れ合いがいなくなるのがこれほど辛いことだとは思いませんでした。
もともと「うちは子どもがいないから、いずれはどこかに寄付したいね」と話していたので、(二人が出会った)高校のブラスバンド部などに寄付し、では自分はどうする?と。 国境なき医師団には創設された頃から注目していました。ずっと製薬会社で薬の研究開発をしてきましたし、薬は確かにとても大事です。が、最終的に必要になってくるのは人です。薬を手配し、運ぶ人。診断して、処方する人。
国境なき医師団の最大の力は、どんなに厳しい環境にあっても現地に人が入っていくことです。薬があっても、運ぶ人や医療関係者がいなければ、やっぱりだめなんですよ。そのお役に立てるのなら、と考えました。



遺言書の書き方から相続税に関すること、
遺贈寄付の具体的な手続きまで、
詳しくご説明したパンフレットをご用意
しましたので、ご請求ください。
また、
遺贈寄付専任担当に直接、お電話で
ご相談いただくことも可能です。
遺贈の
ことなら何でも、お気軽にご相談ください。
国境なき医師団の活動
国境なき医師団(Médecins Sans Frontières=MSF)は、
独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う民間・非営利の国際団体です。
国境なき医師団の活動は、9割以上が民間からの寄付で成り立っています(2021年)。

設立時から変わらない3つの活動原則です。

命の危機にさらされている人びとに
無償で医療・人道援助を届けています。

人権侵害や暴力行為を国際社会に訴え、
医療だけでは変えられない問題の解決
につなげます。
海外派遣スタッフの声
始まりは、高校の英語の教科書。
「私も将来こういうことをやりたい」
と医師を志しました。

始まりは、高校の英語の教科書。
「私も将来こういうことをやりたい」
と医師を志しました。
初めての派遣は、南スーダンのアウェイル病院。ある患者さんは、
出産がうまく進まずに病院に搬送され、「帝王切開」を希望していました。
が、胎児は元気で胎児の頭はすぐそこにあったので、経膣分娩を説得。
最初はなかなか聞き入れてくれなかったのですが、最後は頑張って、
元気な赤ちゃんを出産しました。その彼女が、出産後の診察で何か
つぶやきました。
周りに通訳を頼むと「神様にあなたの幸せを願って
いるんだよ」と。こんな表現でお礼を言われたのは初めてでした。
現地では、私の説得を理解してもらえているか分からなくなることも
あったのですが、こんなふうにお礼を言われると、「私の気持ちも
伝わっていたのかな」と思えて、嬉しくなりました。

日本人が思っている以上に、日本は世界から
期待されている。頼りにされているんです。
私は65歳で定年になってから、国境なき医師団に参加しました。
それまでに「海外」で働いたことが3度ありましてね。
1度目は医学生だった1960年代、沖縄と奄美大島のハンセン病の療養所へ
実習に行きました。それで将来、こういう苦しんでいるのに顧みられない
人たちのために働きたいと思ったんです。2度目は外科医になって5年目。
政府がケニアで行っていた医療支援のプロジェクトに参加。3度目はエチオ
ピアの大干ばつの時、国際救急医療チームとして活動しました。
だから定年になった時、「もう一度海外でボランティアをしたい」と
思ったんですね。 世界にはたくさんの問題があるけれど、世界の平和を
引っ張っていけるのは日本、って私は思っているんです。日本人が思って
いる以上に、日本は世界から期待されている。頼りにされているんです。

日本人が思っている以上に、
日本は世界から
期待されている。
頼りにされているんです。

私は65歳で定年になってから、国境なき医師団に参加しました。
それまでに「海外」で働いたことが3度ありましてね。
1度目は医学生だった1960年代、沖縄と奄美大島のハンセン病の療養所へ
実習に行きました。それで将来、こういう苦しんでいるのに顧みられない
人たちのために働きたいと思ったんです。2度目は外科医になって5年目。
政府がケニアで行っていた医療支援のプロジェクトに参加。3度目はエチオ
ピアの大干ばつの時、国際救急医療チームとして活動しました。
だから定年になった時、「もう一度海外でボランティアをしたい」と
思ったんですね。 世界にはたくさんの問題があるけれど、世界の平和を
引っ張っていけるのは日本、って私は思っているんです。
日本人が思って
いる以上に、日本は世界から期待されている。頼りにされているんです。